1991年のドラフトで4位指名を受け阪神に入団し、2013年までチーム一筋で現役生活を送った51歳の桧山氏。今回番組では6日に阪神の新人8選手が球団選手寮『虎風荘』に入寮した話題が取り上げられたが、その最中に「桧山さんは入寮の時に何を持ち込んだとか、思い出はありますか」と話を振られた桧山氏は自身に退寮を決意させたという大誤算について語った。
>>阪神・矢野監督、ドラ1佐藤の今後を明言「そんなに甘くない」鮮烈デビューには否定的も、数年後の未来には期待?<<
ドラフト指名翌年の1992年1月に選手寮に入寮した当時22歳の桧山氏。入寮にあたり何を持ち込むべきなのか分からなかったためとりあえず素振り用のバットを持ち込み、その後同時に入寮した他の新人選手を参考にテレビや自転車を買いそろえたという。
ただ、桧山氏によるとこの年は当時プロ4年目・22歳の亀山努、プロ3年目・20歳の新庄剛志の活躍に阪神ファンが熱狂した、いわゆる“亀新フィーバー”が起こった年で、「夜中でも100人、200人(のファン)が寮の周りにいた」とのこと。自転車で買い物などに出かけようとしてもすぐにファンに取り囲まれるため、ほとんど外出することができなかったという。
うかつに外出できない状況のため、寮では自身の部屋の窓ガラスを鏡代わりに素振りを行い時間を持て余さないように努めていたという桧山氏。ただ、ある日寮長から「(ファンが見てて騒いでいるから)カーテン閉めてくれ」と注意されてしまいこの取り組みもできなくなってしまったという。
息抜きはおろか自主練習もできないことから「こりゃダメだ」、「(寮を)出るしかない」と決意するも、当時は新人選手は3年間は寮から出られない決まりだったため、同年はずっと悩んでいたという桧山氏。ただ、その年のオフに同期入団の久慈照嘉が結婚して退寮したため、自身も「これはもう結婚と言うしかない」と嘘をついてでも退寮を認めてもらおうと決心したという。
動画内で具体的な日時は明かさなかったが、同年オフのある日寮長に「結婚を考えている女の子がいます」と嘘の申し出をし、「(相手が住んでいるのは)どこだ!」、「(相手の)名前は!?」と追及を受けつつも何とか退寮を認めてもらったという桧山氏。その後プロ6年目の1997年ごろに寮長に「すみません、嘘ついてました」と謝罪したことを笑い交じりに語っていた。
今回の放送を受け、ネット上には「亀山、新庄が人気過ぎて退寮決断って凄いエピソードだ」、「あの年のフィーバーは今思い返しても凄かった、確か観客も100万人くらい増えてたし」、「桧山が新人の年だとまだ初代虎風荘(1962~1994年まで使用)のころか、ただのアパートみたいな見た目だったが室内練習場とかも無かったんだろうな」、「結婚するって嘘がよく通ったな、寮長も『十分な練習ができない』っていう桧山さんの悩みは分かってたのかな」といった反応が多数寄せられている。
亀山、新庄の活躍もあり前年最下位から2位まで躍進し、観客動員数も前年の約182万人から約285万人と激増した1992年の阪神。当時は寮に常にファンが殺到するため裏口から車で甲子園に移動することをしいられた寮生も多かったといわれているが、その状況の中桧山氏が退寮を決意するほど苦しめられていたというエピソードに驚いたファンは多かったようだ。
文 / 柴田雅人