昨季「18登板・11勝3敗・防御率2.42」で最多勝と最高勝率(.786)の2冠に輝きながら年内に更改を終えていなかったソフトバンク・石川柊太は、年明け直後の1月5日に3200万円増の年俸8000万円(推定)プラス出来高でサイン。越年の理由について「日程が合わなかった。交渉どうこうではない」と、単に球団側と都合が合わなかっただけと説明したことが伝えられている。
一方、昨季「.350・14本・64打点」で首位打者を獲得したオリックス・吉田正尚は、「12登板・4勝5敗・防御率2.60」だった同僚・山岡泰輔と共に現在(5日午後7時)まで更改に至っていない。昨年12月29日に越年決定が伝えられた際は両者とも条件面で折り合いがついていないとされていたため、交渉の難航を心配するファンも少なくない。
以上の3名のように日程面、条件面で折り合いがつかず越年更改となる選手は毎年少なからずいるが、まれにキャンプインまで更改がまとまらず自費でキャンプに参加する選手もいる。また、現役時代に阪神(2003-2014)一筋で活躍した久保田智之(現阪神二軍投手コーチ)は、自費キャンプ参加に踏み切った結果、後にしっぺ返しを食らってしまったことがある。
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久保田が自費キャンプを決断するきっかけとなったのは2007年の契約更改。同年の久保田は「90登板・9勝3敗46ホールド・防御率1.75」で最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得するとともに、シーズン最多登板数のプロ野球新記録を樹立。この活躍に球団側はそれまでの年俸5500万円(同)からちょうど2倍増となる年俸1億1000万円(同)を提示したが、久保田は3倍増となる年俸1億6500万円(同)を希望額としていたため保留した。
球界では成績次第で年俸が前年から3倍に跳ね上がることは珍しくなく、久保田もタイトル獲得と日本記録樹立という実績を考えると実現の余地はあった。しかし、同年の阪神は藤川球児に1億1000万増の年俸2億8000万円(同)とした以外は大幅昇給を提示しないなど“厳冬更改”のスタンスだったため、久保田は球団と交渉がまとまらず年を越すこととなった。
キャンプイン前日の翌2008年1月31日になっても両者は契約更改に至らなかったが、久保田は自費でキャンプに参加した上で球団と交渉を継続。その後、球団側が6500万円増となる年俸1億2000万円(同)を提示し歩み寄ったため、久保田は2月15日にようやく合意した。
契約を伝える報道の中では久保田が「ファンの皆さんにはご心配をおかけしましてすみませんでした」とここまで契約更改がこじれたことを謝罪したが、当時のファンは「納得いくまで交渉するのは全然悪い事じゃない」、「キャンプまで粘ったのはイメージが悪い」と賛否両論。また、更改の遅れが調整に悪影響を及ぼしたのか、2008年の久保田は「69登板・6勝3敗31ホールド・防御率3.16」と2年連続で最優秀中継ぎ投手に輝いたものの数字は悪化した。
すると、球団側は同年オフの契約更改でシーズン終盤の投球内容が不安定だったとして、1000万円減となる年俸1億1000万円(同)を提示。久保田は2年連続のゴタゴタはさすがに避けたかったのか「長引かせたくなかった」として同年12月22日にサインしたが、ファンの間では「去年ゴネたことへの仕返しだなこれは」、「投球内容うんぬん言ってるけど絶対ゴタゴタの恨みも含んでるだろ」との憶測も少なからず挙がっていた。
プロ野球選手にとって年俸額は球団からの評価の表れであるため、不満がある場合は納得するまで交渉を重ねることは間違いではない。ただ、球団やファンの印象を考えると、あまりゴネすぎるのも考えものなのかもしれない。
文 / 柴田雅人