チューヤン氏は98年に、『進ぬ!電波少年』で俳優の伊藤高史とともに朋友(パンヤオ)として、アメリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイクに挑戦。ゴール後は日本でタレント活動を始め、同番組や兄弟番組『雷波少年』の司会を務めた。05年に帰国し、現在は香港の広告代理店で仕事をしていると伝えられている。
そんなチューヤン氏は、今年11月にツイッターアカウントを開設。日本語でのツイートを積極的に行っている。そこで、12月14日に「141秘話 05年僕は日本の芸能界引退し 香港に戻っで 何んてで思ったでしょ 実は君と別れた事が 一番大きかったね 君が一杯日本語教えてくれた でもやはり僕達育ての文化違うだなぁ 僕恋愛下手だし 女子アナの君と 日本語全く違うだ 何時別れる分ってますよ」と書き込んだのだ。当時、チューヤン氏は帰国理由の一つに父親の体調不良を挙げていたが、別の理由もあったようだ。
これは番組のTプロデューサーこと土屋敏男氏も把握していなかったようで、「じょ、女子アナと付き合ってただとーーーーーーーーーーーーー⁉︎」と即座に反応。密かな話題となっている。ネット上でも「チューヤンさん女子アナと悲恋があったの」「やっぱり日本にいる時モテたんですね〜」といった声が聞かれた。
>>萩本欽一、松本人志、有吉弘行…エンタメ最前線で活躍してきた土屋敏男P、世界に挑戦! 「電波少年」裏話も<<
チューヤン氏は、他局への出演歴は数えるほどであり、実質的に日テレ専属タレントに近い存在だった。知り合うとなれば、やはり日本テレビの女子アナだったのだろうか。さらに、チューヤン氏は英語に堪能なことで知られる。噂の女子アナの元カノとも、やはり英語でコミュニケーションを取っていたのだろうかと、気になる点は多い。ただ、すでに20年近く前の出来事でもあるだけに、余計な詮索は野暮かもしれない。
記事内の引用について
チューヤン氏のツイッターより https://twitter.com/tsechiuyan
土屋敏男氏のツイッターより https://twitter.com/TSUCHIYA_Pr