双方が舌戦を交わし、それをワイドショーや週刊誌が面白おかしく取り上げる「泥試合」の様相を呈してきたが、そもそもの発端は何であったのか。
最初の火種は、98年に両者が共演した舞台で生じていた。もともと2人は、浅香さんの内縁の夫の世志凡太氏と、野村さんの夫の克也氏が親友ということもあって、交流を深めていった。当初は食事に行くなど仲睦まじかったが、やがて浅香さんは、野村さんが稽古をサボり、挨拶がないことに不満を持つようになる。
翌99年3月に出演したラジオ番組で、96年に野村さんが出演した衆議院議員選挙で、次点繰上げの可能性について話に出ると、「税金の無駄遣い」を舌鋒鋭く批判。前年の舞台共演から生じている確執を明らかにした。これに対し、野村さん側は翌4月に記者会見を開き、「どうせ売名行為でしょ」と反論した。この流れを見ると、騒動に火をつけたのは浅香さんだと言える。
この騒動は2人だけに留まるものではなく、神田うのや美川憲一が浅香さん寄りの発言をする一方で、神田川俊郎やテリー伊藤が野村さん擁護を展開するなど、芸能界を巻き込んだ騒動に発展して行く。
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当時、野村さんはテレビ番組で毒舌を見せるなど、ふてぶてしいキャラクターで活躍していた。夫で野球監督の克也さんを「尻に敷く」イメージもあって、世間の騒動の見方は野村さんバッシングに傾いていった。
2人の関係は修復することはなかったが、野村さんが亡くなると、浅香さんは故人を悼んでいる。