浅香光代
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芸能ニュース 2020年12月19日 16時00分
浅香光代さんと野村沙知代さん、仲が修復することのなかった「サッチー・ミッチー」騒動のきっかけは
女優の浅香光代さんが、12月13日に亡くなった。92歳だった。浅香さんと言えば、2017年に亡くなった野村沙知代さんと、99年から01年にかけて、激しいバトルを繰り広げたことで知られる。お互いのニックネームを取って、「サッチー・ミッチー騒動」とも呼ばれる。 双方が舌戦を交わし、それをワイドショーや週刊誌が面白おかしく取り上げる「泥試合」の様相を呈してきたが、そもそもの発端は何であったのか。 最初の火種は、98年に両者が共演した舞台で生じていた。もともと2人は、浅香さんの内縁の夫の世志凡太氏と、野村さんの夫の克也氏が親友ということもあって、交流を深めていった。当初は食事に行くなど仲睦まじかったが、やがて浅香さんは、野村さんが稽古をサボり、挨拶がないことに不満を持つようになる。 翌99年3月に出演したラジオ番組で、96年に野村さんが出演した衆議院議員選挙で、次点繰上げの可能性について話に出ると、「税金の無駄遣い」を舌鋒鋭く批判。前年の舞台共演から生じている確執を明らかにした。これに対し、野村さん側は翌4月に記者会見を開き、「どうせ売名行為でしょ」と反論した。この流れを見ると、騒動に火をつけたのは浅香さんだと言える。 この騒動は2人だけに留まるものではなく、神田うのや美川憲一が浅香さん寄りの発言をする一方で、神田川俊郎やテリー伊藤が野村さん擁護を展開するなど、芸能界を巻き込んだ騒動に発展して行く。 >>平成史上、類を見ない泥仕合を繰り広げた「ミッチー・サッチー騒動」に全国から感謝の声?<共演NG?【犬猿の仲】の有名人><< 当時、野村さんはテレビ番組で毒舌を見せるなど、ふてぶてしいキャラクターで活躍していた。夫で野球監督の克也さんを「尻に敷く」イメージもあって、世間の騒動の見方は野村さんバッシングに傾いていった。 2人の関係は修復することはなかったが、野村さんが亡くなると、浅香さんは故人を悼んでいる。
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芸能ニュース 2020年12月16日 20時00分
爆問太田、再ブレークのきっかけに小松政夫さんとの思い出 妻の名前と浅香光代さんとの秘話も明かす
12月15日深夜放送の『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ系)で、訃報が伝えられた女優の浅香光代さんと、俳優でコメディアンの小松政夫さんとの思い出が語られた。 太田光は、妻で所属事務所タイタンの太田光代社長の名前は、社長の母が浅香さんのファンだっため名付けられたという。太田は「それでそんな話もしていたらさ、すっかり良くしてくれてさ、たまに季節のあれで手紙が来て。それが巻物で、果たし状みたいなんだよな」と振り返った。これは相方の田中裕二も目にしたことがあるようで、「あんなのもらったことないよね」と浅香さんの達筆ぶりに驚きのようだった。 さらに、小松さんと爆笑問題の初対面の場は、彼らが再ブレークするきっかけの一つとなった1993年の『NHK新人演芸大賞』だった。爆笑問題は、ここで大賞を得て、さらに同時期に放送していた『GAHAHAキング爆笑王決定戦』(テレビ朝日系)で初の10週勝ち抜きを果たし、知名度を上げていった。 >>爆問田中、“渡部イジり”の漫才をアンジャ児嶋と鑑賞「どういう状況だ」一同大ウケ<< 太田いわく、それまでの『NHK新人演芸大賞』は落語家が大賞を取るのが暗黙の了解だったが、会場で爆笑問題が大受けだったため、異例の受賞となった。小松さんは審査員の一人であり、打ち上げの席で「爆笑問題、アンタはエライ!」と自身のギャグにかけた一言を放ち、大爆笑をさらったという。太田はこれには「やっぱり嬉しかったわけだよ」と当時の思い出を振り返っていた。 この打ち上げの席では、関西の上方落語の噺家が延々と文句を付けていたエピソードも披露され、太田の思い出し怒りも見られた。これがきっかけかはわからないが、翌年から『NHK新人演芸大賞』は、演芸部門と落語部門に分かれることになった。 これには、ネット上で「これはいいエピソードだな」「みんな亡くなっていくのは切ないね」といった声が聞かれた。爆笑問題と浅香さん、小松さんとの知られざる交流が知れる放送となった。
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芸能ネタ 2020年02月23日 21時00分
平成史上、類を見ない泥仕合を繰り広げた「ミッチー・サッチー騒動」に全国から感謝の声?<共演NG?【犬猿の仲】の有名人>
プロ野球・ヤクルトは15日から2日間、東京・明治神宮野球場と1軍キャンプ地「ANA BALL PARK 浦添」(沖縄・浦添市)、2軍キャンプ地の西都原運動公園野球場(宮崎・西都市)において、11日に虚血性心不全で死去した元監督・野村克也氏への献花台を設置した。 プロ野球界で戦後初の三冠王に輝いた名捕手であり、監督としてはチームを3度の日本一に導いた野村氏。球界に大きな功績を残した名将をしのび、3カ所の献花台には2日間で約8700人ものファンや関係者が訪れた。 野村氏は、2017年12月にくしくも同じ死因で妻の沙知代さんを亡くしている。飲食店での相席がきっかけで知り合った2人は、既婚者ながらダブル不倫に狂奔し、1973年に楽天イーグルス一軍作戦コーチ・克則氏をもうけた。そして、周囲の反対を押し切り、78年4月に略奪婚を実らせた。 夫を支え続ける一方で、沙知代さんは野村氏をさまざまな騒動に巻き込んだ。中でも99年に勃発した女優・浅香光代との「ミッチー・サッチー騒動」は、芸能史に残る批判合戦でメディアをにぎわせた。 両者の出会いは97年のとあるパーティーだったという。1月14日発売の『週刊女性』(主婦と生活社)のインタビューに応じた浅香は、事実婚状態にある作曲家の世志凡太氏と友人関係だった野村氏から「仲よくしてほしい」と紹介されたと語っている。 4歳年上の浅香と、意気投合した沙知代さんは頻繁に浅香の家に訪問する間柄に。ところが、やがて沙知代さんはおねだり上手な上に、度を超えた厚かましさを発揮していったようだ。それでも面倒見のいい浅香は沙知代さんと交流を持っていたが、1998年の舞台共演が発端となり、両者には亀裂が入ったという。 ある日、浅香の芝居に招待された沙知代さんは「私も踊りたい」と志願。劇場を押さえ、広告を手配すると、なんと沙知代さんが高額な出演料を要求してきたというのだ。浅香はなんとか工面したが、こうして泥仕合の幕開けを迎えた。 踊りができると宣言していた沙知代さんだったが、出来栄えは素人同然だったという。舞台中に観客に手を振り、いい加減な踊りにいら立ちを覚えた浅香は指示を出すと、沙知代さんが本番中にケンカを仕掛け、以降は“犬猿の仲”へ発展していった。 1999年3月、浅香は当時レギュラーだったラジオ番組を体調不良で降板することになるのだが、番組では最後に言いたいことを言う流れになったという。すると、これまでの沙知代さんに対する怒りが込み上げ「あたしゃ許さないよ!」と爆発してしまった。 これに沙知代さんも応戦し、持ち前の図太さと毒舌ぶりを大いに発揮。浅香からの非難を“売名行為”と一蹴したが、沙知代さんの振る舞いに反感を抱く芸能人も賛同する展開となり、芸能界を巻き込む騒動に発展していった。 当時を振り返った浅香は、「全国からお礼の手紙や電話がすごかったわよ」と、方々で傍若無人な振る舞いをしていた沙知代さんからの被害を訴える人が後を絶たなかったという。浅香と世志氏のもとには連日、応援や感謝の声が届く一方で、メディアが事務所前に人だかりをつくり、私生活にも支障をきたした。 しかし2001年12月、沙知代さんが脱税容疑で逮捕され騒動は収束。平成史上最も芸能界を騒がせた“熟女バトル”はこれにてお開きとなったのだ。 浅香はかつての宿敵に「この世では2度とああいう女には会えないだろうね。あと何年かしたら、『座布団敷いて待ってたわよ』って迎えてくれるかもね」と想いを寄せている。「けんかするほど、仲がいい」とはこういうことなのだろう。
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