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平成史上、類を見ない泥仕合を繰り広げた「ミッチー・サッチー騒動」に全国から感謝の声?<共演NG?【犬猿の仲】の有名人>

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沙知代さん

 プロ野球・ヤクルトは15日から2日間、東京・明治神宮野球場と1軍キャンプ地「ANA BALL PARK 浦添」(沖縄・浦添市)、2軍キャンプ地の西都原運動公園野球場(宮崎・西都市)において、11日に虚血性心不全で死去した元監督・野村克也氏への献花台を設置した。

 プロ野球界で戦後初の三冠王に輝いた名捕手であり、監督としてはチームを3度の日本一に導いた野村氏。球界に大きな功績を残した名将をしのび、3カ所の献花台には2日間で約8700人ものファンや関係者が訪れた。
 野村氏は、2017年12月にくしくも同じ死因で妻の沙知代さんを亡くしている。飲食店での相席がきっかけで知り合った2人は、既婚者ながらダブル不倫に狂奔し、1973年に楽天イーグルス一軍作戦コーチ・克則氏をもうけた。そして、周囲の反対を押し切り、78年4月に略奪婚を実らせた。
 
 夫を支え続ける一方で、沙知代さんは野村氏をさまざまな騒動に巻き込んだ。中でも99年に勃発した女優・浅香光代との「ミッチー・サッチー騒動」は、芸能史に残る批判合戦でメディアをにぎわせた。
 両者の出会いは97年のとあるパーティーだったという。1月14日発売の『週刊女性』(主婦と生活社)のインタビューに応じた浅香は、事実婚状態にある作曲家の世志凡太氏と友人関係だった野村氏から「仲よくしてほしい」と紹介されたと語っている。

 4歳年上の浅香と、意気投合した沙知代さんは頻繁に浅香の家に訪問する間柄に。ところが、やがて沙知代さんはおねだり上手な上に、度を超えた厚かましさを発揮していったようだ。それでも面倒見のいい浅香は沙知代さんと交流を持っていたが、1998年の舞台共演が発端となり、両者には亀裂が入ったという。

 ある日、浅香の芝居に招待された沙知代さんは「私も踊りたい」と志願。劇場を押さえ、広告を手配すると、なんと沙知代さんが高額な出演料を要求してきたというのだ。浅香はなんとか工面したが、こうして泥仕合の幕開けを迎えた。
 踊りができると宣言していた沙知代さんだったが、出来栄えは素人同然だったという。舞台中に観客に手を振り、いい加減な踊りにいら立ちを覚えた浅香は指示を出すと、沙知代さんが本番中にケンカを仕掛け、以降は“犬猿の仲”へ発展していった。

 1999年3月、浅香は当時レギュラーだったラジオ番組を体調不良で降板することになるのだが、番組では最後に言いたいことを言う流れになったという。すると、これまでの沙知代さんに対する怒りが込み上げ「あたしゃ許さないよ!」と爆発してしまった。
 これに沙知代さんも応戦し、持ち前の図太さと毒舌ぶりを大いに発揮。浅香からの非難を“売名行為”と一蹴したが、沙知代さんの振る舞いに反感を抱く芸能人も賛同する展開となり、芸能界を巻き込む騒動に発展していった。

 当時を振り返った浅香は、「全国からお礼の手紙や電話がすごかったわよ」と、方々で傍若無人な振る舞いをしていた沙知代さんからの被害を訴える人が後を絶たなかったという。浅香と世志氏のもとには連日、応援や感謝の声が届く一方で、メディアが事務所前に人だかりをつくり、私生活にも支障をきたした。

 しかし2001年12月、沙知代さんが脱税容疑で逮捕され騒動は収束。平成史上最も芸能界を騒がせた“熟女バトル”はこれにてお開きとなったのだ。

 浅香はかつての宿敵に「この世では2度とああいう女には会えないだろうね。あと何年かしたら、『座布団敷いて待ってたわよ』って迎えてくれるかもね」と想いを寄せている。「けんかするほど、仲がいい」とはこういうことなのだろう。

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