>>震災被災地での不謹慎不倫も妻が怒れなかった理由とは? 石井竜也の夫婦で手つなぎ謝罪【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】<<
優佳さんは、瀬戸選手から不倫を報告された際の心情を「怒りと悲しみが同時に襲ってきた」と吐露し、「人生で初めて味わう感覚」と表現。離婚もよぎったというが、「結婚式で『病める時も健やかなる時も』と誓った以上、私自身この騒動を経た彼がどう変わるか見届けてからじゃないと離れられない」と騒動の矢面に立ち、「ゆるい覚悟で結婚したわけじゃない」と妻の貫録を見せた。
このインタビュー記事にネット上では優佳さんを励ます声が続出した。アスリート時代に鍛え抜かれた精神からか、若くして肝の据わり具合が半端ない。まるで、出産当日に不倫を告白されたタレント・金子恵美をほうふつとさせる強心臓の持ち主といえるだろう。
金子というと、2003年に「ミス日本」関東代表に選出された経歴を持つ。韓国への留学を経た07年に新潟市議会議員選挙でトップ当選。12年の衆議院議員総選挙に自由民主党公認で出馬し、初当選を果たすと二階派に入会し、14年に再選。15年5月、同じ二階派所属の宮崎謙介氏との結婚を発表し、16年2月に長男を出産した。
切迫早産で入院していた金子は、予定より出産が早まった。だが、我が子との対面に母としての喜びを嚙みしめていたその夜、悲劇が襲った。宮崎氏は顔面蒼白の状態で病室に現れ、不倫の事実を突き付けたという。
当時、宮崎氏は議員の育児休暇取得の実現に向けて働きかけ「イクメン議員」として名をはせていた。しかし、出産6日前の2016年1月末、女性タレントを自宅に泊めたことが、同年2月発売の『週刊文春』(文藝春秋)で明らかとなった。
宮崎氏はメディアからの取材から逃げ回り、世間の強いバッシングにさらされた。そして、直後には記者会見を開き「人間としての欲が勝ってしまった」と、報道を認めて謝罪。議員辞職へと追い込まれた。
「かねてから『いつか(浮気を)やるかもしれないという覚悟が私の中にあった』と“妻の勘”を働かせていたという金子。そうはいっても、気丈には振る舞えず産後回復は遅れたよう。この上ない屈辱を受けながらも、金子には離婚の選択肢はなかったといいます。宮崎氏から受けた愛情や、政治家としての尊敬の念を天秤にかけたとき、夫婦であることに偽りはないと心に決めたようです。ですが、当時国会議員だった金子は互いの支援者への説明などに疲れ、宮崎氏を責める気力もなかったとか」(芸能ライター)
幸いなことに、金子の両親も離婚を迫ることなく宮崎氏を許容したという。その後、無職となった宮崎氏は育児に専念。日々の生活や反省の念を日記につづることで徐々に夫婦関係を修復させていったようだ。
そのかいあって、宮崎氏はコメンテーターとして活躍するかたわら、コンサルタント会社を設立。長男の育児など“主夫”としても頼れる存在へと立ち直っていった。
この経験が転機となった金子は今年2月、タレントに転身し、今月5日には著書『許すチカラ』(集英社)を発表。“懐の広さ”が注目され、大成功を収めているようだ。
現在、渦中にいる優佳さんは、先のビジョンを描ける余裕などないだろう。だが、瀬戸選手の行動次第では、これまで以上の幸せが生まれるかもしれない。