これまで渡さんの死去についてコメントを出さなかった舘だが、各紙によると、渡さんが四十九日を迎えたことから取材に対応。
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舘はコロナ禍の影響などで臨終に立ち会えず、8月14日の密葬や9月16日の四十九日法要の参列は控えたのだとか。
しかし、最初の月命日だった9月10日に渡さんの自宅を弔問し、今月6日に神田正輝や徳重聡ら「石原軍団」と墓参りを行ったという。
舘は、「いまだに亡くなったって感じがしないんだよね…。ご遺体を見ていないからかもしれないし、もしその場にいても見る勇気があったかどうかも分からない」、「亡くなってちょっとパニックだった時期があった」などと胸中を告白。
来年1月16日で石原プロモーションは事実上の解散。今後については「まだ決まっていない。いい映画を撮って墓前に報告したい。それが今の僕の夢」とした。
一方、舘と並んで石原プロの2トップである神田正輝は、6日の墓参りについて「私としては故人の遺志を尊重してきたので、穏やかに眠っていただきたいです」とのコメントを発表。いまだに渡さんの死去について生でコメントはしていない。
「舘と神田が一緒に取材に応じるという案もあったようだが、神田の方がそれを嫌がったようだ。その時点で、石原プロの解散後、2人が別々の道を歩むことを示唆している」(テレビ局関係者)
すでに石原プロの所属タレントののうち、神田穣と金児憲史はそれぞれ他の事務所に移籍。現在は舘、神田、徳重聡、池田努、増本尚が在籍している。
発売中の「週刊文春」(文芸春秋)によると生前、渡さんは「事務所の解散後は、若い社員や役者の面倒を見てやってほしい。あとは頼む」と舘に言葉をかけ、舘は「……分かりました」と言葉少なに応じたという。
渡さんに託された舘は決意を固め、解散後、春に新事務所を設立する方向で徳重、池田、増本は所属する見込み。神田は後輩の舘の事務所に入ることはなく、当面はフリーで活動することになるというのだ。
渡さんは神田ではなく舘を“後継者”に任命したようだ。