>>容疑者は全員自殺、誘拐された医師夫人の行方は未だ分からない謎【未解決事件ファイル】<<
家族や友人らの元にAさんから助けを求める電話がかかってきたのは、4月6日の昼頃。「知らない男に連れ回された」「覚せい剤を打たれた。助けて」「2人組の男に、ラブホテルに連れ込まれそうになった」と数回電話がかかってきたというが、薬の影響から意味不明な言動が目立ち、正確な居場所を聞き取ることはできなかったそうだ。同時刻に、Aさんは警察にも自ら通報していたものの、呂律が回っていない状態だったため、こちらも正確な居場所を割り出すことはできなかった。
この電話を受けて、Aさんの両親はすぐに警察に通報した。警察は断片的に聞き取ることができた車のナンバーや、Aさんの通話履歴を頼りに捜査を開始。ほどなくして、当時26歳だった容疑者Bを割り出すことに成功した。
そして、事件から5日後の4月11日、東京都青梅市内の駐車場で、ワゴン車の中で寝ているBを発見。警察は監禁容疑でBを逮捕した。ワゴン車はBの父親名義だったが、Bが普段から車内で生活していたと見られ、生活用品やゴミが散乱していたという。鑑識の結果、車内から尿反応が確認されたが、Aさんのものであるかは分かっていない。血液も見つかったが、これはBが覚せい剤を使用する際に出たものと見られる。逮捕後の身体検査で、Bの下着から覚せい剤と向精神薬数錠が見つかった。
警察による事情聴取が行われると、Bは「奥多摩方面にドライブに行った。峠で休憩していたら、Aさんが急に暴れ出して車外に出て行った。探したが見つからなかった」と供述。一方で、Bが覚せい剤を使用する際に、山梨県の山林を使っていたと話したことから、警察はAさんの手掛かりを求めて山林の捜索を開始した。見事、警察の予想は的中し、山林からAさんのブーツ、ショルダーバッグ、手提げ鞄を発見。しかし、携帯電話だけは見つからなかった。警察は更に捜索を続けたが、これ以降Aさんの手掛かりを見つけることはできなかった。
Bは覚せい剤の使用は認めたものの、Aさんの殺害や誘拐は否認。結局、Aさんの行方に関する手掛かりが見つからず、証拠もなかったことから監禁容疑での立件は見送られた。覚せい剤取締法違反で立件されたものの、懲役2年執行猶予4年の判決が下り、Bは釈放された。Bは被告人質問で「監禁事件に巻き込まれたというか、話がでかくなってしまった」と話したそうだ。
Bは中学時代から不良グループの一員となり、盗みや暴行で度々問題になっていたという。今回犯行に使用された出会い系サイトでは、Bが薬物の隠語で何人もの女性を誘い出し、「行方不明になっても責任は問いません」と誓約書を書かせていた事を、当時の産経新聞が2008年4月18日配信の記事で報道していた。しかし、未だAさんの行方はおろか、共犯者の存在も明らかになっていない。