報道によると、式秀部屋では今年に入ってから式秀親方が体調を崩したため、代わりにおかみが力士たちの面倒を見ていたとのこと。しかし、おかみは「大部屋のコンセント使用は許可制」、「個人宛ての荷物は写真を撮りグループラインに投稿」、「個人ロッカーの抜き打ちチェック」といったルールを力士たちに義務付け、反発する者には「クビにするぞ」などと脅していたという。
こうした指導に不満を募らせた力士のうち9名が、4日夕方に部屋を脱走し千葉県内のカラオケボックスに逃走。そこで日本相撲協会に連絡したことから今回の一件が発覚したという。
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7月19日~8月2日まで開催されていた7月場所が終わった直後の騒動に、ネット上には「約半分の力士が脱走というのは異常事態じゃないか?」、「報道内容が本当なら、ちょっと行き過ぎた指導って感じがする」といった反応が多数寄せられている。一部では「力士の脱走っていうと双羽黒の騒動を思い出すな」、「双羽黒の時みたいな大事に発展しなければいいが…」といったコメントも散見された。
コメントで挙がっている「双羽黒」は、第60代横綱・双羽黒(本名・北尾光司)。2019年2月10日に慢性腎不全のため55歳で亡くなった元力士だが、現役中に所属する部屋を脱走する騒動を起こしている。
騒動が起こったのは、今から33年前の1987年末のこと。当時24歳の横綱・双羽黒は、直前の11月場所で「13勝2敗」と好調。横綱・千代の富士(前九重親方)が「15勝0敗」だったため優勝とはならなかったが、翌1988年は複数回の優勝を果たすのではとの見方も強かった。
ところが、双羽黒は同年12月27日に立浪親方(元関脇・安念山)に生活態度を注意されたことを理由に、所属していた立浪部屋を脱走。当時の報道では部屋で出されたちゃんこの味付けを巡り親方との言い争いに発展したとされているが、本人はちゃんこも満足に作れない若い衆を指導するよう親方に求めたところ、逆に若い衆への謝罪を求められたことが発端と後年に主張している。
双羽黒は脱走後に都内のマンションの一室に潜伏したが、周囲が部屋に戻るように説得しても応じず。一方、双羽黒の行動に激怒した立浪親方は、協会へ双羽黒の廃業届を提出。この事態を受けた協会は同月31日に緊急理事会を開き、双羽黒の廃業届を受理することを決定。双羽黒も同日に記者会見を開き、「横綱としては失格だったかもしれないが、自分を貫いた」と廃業を受け入れている。
ここまでが双羽黒が起こした騒動の経緯だが、協会はこの騒動をきっかけに“双羽黒を優勝なしで横綱に昇進させた判断が結果的には甘過ぎた”と反省し、以降は「大関の地位で2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績」という昇進基準を厳格にするようになったといわれている。実際、これ以降は「2場所連続優勝に準ずる成績」を挙げた大関が、「2場所連続優勝」を満たしていないとして昇進を見送られるケースが続出。2014年3月場所後に大関・鶴竜(前場所優勝同点・当場所優勝)が昇進するまで、厳格な適用は続いたとされている。
一方、双羽黒は力士引退後にプロレスラーや格闘家として活動したが、いずれも成功せずに1998年に引退。その後、2003年に代替わりした立浪部屋のアドバイザーを一時務めていたがこれも長続きせず、2013年に腎臓を患って以降は亡くなるまで闘病生活を送っている。
今回の騒動を受け協会は式秀親方とおかみを注意し、脱走した力士9名は全員部屋に戻ったことが報じられている。ただ、脱走した9名以外にも不満を募らせている力士がいるとも伝えられているため、事態の収拾にはもう少し時間がかかりそうだ。
文 / 柴田雅人