「横綱大関」とは大関が1人、または不在の場合、横綱が大関の地位を兼任するという形で番付に記載される地位のこと。江戸時代に始まったとされる大相撲において、当時の最高位が大関だったことや、小結、関脇、大関の三役は番付上、欠くことができないという慣例が由来とされているが、あくまでも番付上の穴を埋めるための措置であり待遇などは変化しない。
番付上に「横綱大関」が出現するのは、西横綱の北の湖が対象となった1982年初場所以来。つまり、前回のケースが終了したのは同場所ということだが、実はそこに至るまでの道のりは紆余曲折だった。
前回のケースが始まるきっかけとなったのは1981年春場所。同場所の大関は東に千代の富士、西に増位山という顔ぶれだったが、5日目に増位山が現役引退を表明。その後、昇進目安をクリアする成績を収めた関脇もいなかったため、翌夏場所では大関が千代の富士1名だけに。そのため、西横綱の二代目若乃花を「横綱大関」として番付上の穴を埋め合わせた。
ただ、迎えた夏場所、そして次の名古屋場所を経ても、関脇から大関への昇進力士は輩出されず。それどころか、名古屋場所を制した千代の富士が横綱に昇進したため、大関が0人という状況になってしまった。それゆえ、同年秋場所では昇進したばかりの千代の富士だけでなく、東横綱の北の湖も「横綱大関」として番付に名前が掲載されている。
その後秋場所で琴風が昇進に成功したことで、九州場所では再び1人大関、1人「横綱大関」の体制に戻った上位陣。その後、九州場所では昇進力士が出なかったが、翌1982年初場所で隆の里が昇進を決めたため、5場所にわたって番付に存在し続けた「横綱大関」は同場所をもって姿を消すこととなった。
「関脇、小結の空位は成績のいい平幕力士を昇進させることで対応できますが、大関には“三役での直近3場所で33勝”という昇進目安が設けられているため、空位になっても簡単に昇進させるようなことはできません。前回から今回はたまたま38年という長期間となりましたが、不測の事態やアクシデントによる空位への対応が難しいことを考えると、『横綱大関』出現のリスクは常に存在しているといっても過言ではありません」(相撲ライター)
今回のケースでは鶴竜が春場所に「横綱大関」となることが濃厚とされているが、同場所は朝乃山の大関とりが懸かっているため、朝乃山が昇進に成功すれば「横綱大関」は1場所で消滅する。ただ、もし失敗に終わってしまった場合、「横綱大関」消滅までの道のりは前回以上に紆余曲折となってしまうかもしれない。
文 / 柴田雅人