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再ブレークの広瀬香美、大沢たかおとの離婚理由は?“格差”の逆転が原因か【芸能界、別れる二人の真相】

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大沢たかお

 シンガーソングライターの広瀬香美が12日放送の『しくじり先生 夏の特別授業 2時間SP』(テレビ朝日系)に出演。大ヒット曲「ロマンスの神様」の裏側を語った。同曲は、自身3枚目のシングルとして1993年12月に発売。「サビは学生時代の福岡。中学校の頃」と明かし、話題となった。

 広瀬というと、米・ロサンゼルス滞在中に自作のデモ音源がレコード会社の耳に留まり、1992年12月にシングル「愛があれば大丈夫」でデビュー。98年11月発売のベストアルバム『広瀬香美 THE BEST "Love Winters"』は240万枚を売り上げ、トップアーティストへと上り詰めた。

 ​>>『しくじり先生』出演の広瀬香美に「自慢話にしか聞こえない」「しくじりでも何でもない」の声<<​​​

 天才的な才能を持つ広瀬は、プライベートでも順調だった。1999年3月、俳優の大沢たかおと電撃結婚を発表。その1週間後、大沢は都内で開かれた結婚会見に1人で挑んだ。
 「広瀬とは、1995年の公開の映画『ゲレンデがとけるほど恋したい』の主演と主題歌担当として知り合い、大沢のアプローチで交際に発展したようです。これまでワイドショーなどとは無縁の世界で生きてきた大沢だけに、会見場でリポーターの質問にあたふたしていたのが印象的でした。その頃の大沢は、まだ俳優としても駆け出しの頃で、『冬の女王』の異名を持つ広瀬に対し『格差』を揶揄されていたのです」(芸能関係者)

 さらに、会見で注目されたのが大沢の容姿だ。
 「結婚会見だというのに、大沢の髪は寝癖で後頭部がぐしゃぐしゃに荒れ果て、ジーンズに白いTシャツ、ジャンパーを羽織ったラフなスタイルで現れたのです。緊張を隠せない大沢でしたが、肝心な質問には答えず、のらりくらりの対応に記者たちもいら立ちが募ったといいます」(前出・同)

 結婚発表後に渡米した夫婦は、同地で身内だけの挙式を挙げていたという。だが、活動の拠点を同地に置いていた広瀬は、日本で活動する大沢とすぐに同居するのは困難だったようだ。こうして、新婚夫婦は別居生活からスタートしたのだ。

 会見で大沢は「広瀬の明るくて前向きなところに惹かれた」と明かし、一方の広瀬は大沢の“根暗”なところに惹かれたと広瀬に代わって発言していた。当初から、真逆で謎めいた夫婦だったが、2007年に離婚に至っている。

 「もともと、私生活など多くを語らない夫婦でしたが、浪費癖のある大沢は、日本から遠く離れたアメリカで活動する広瀬と疎遠になったといわれています。他にも、とにかく気の強い性格の広瀬は、7年の間でマネージャーが30人近く辞めたという証言や、女性マネージャーに広瀬が暴行してケガをさせたと報じられるなど、広瀬側に問題があったかのように認識されています。結婚生活に安らぎを求めていたという大沢でしたが、現実は多忙な広瀬に代わって家事などのサポートをしながら、気性の荒い広瀬の支配下の元で波風立てないよう暮らしていたのではないでしょうか」(芸能ライター)

 だが、理由はまだあるようだ。
 「結婚当時は、広瀬との“格差”を小バカにされていたが、その後は役者として大成し、2000年以降はヒットに伸び悩んだ広瀬と立場が逆転したのです。当然、夫婦関係に溝が生じ、あげくには“格差離婚”とまでささやかれていました」(前出・同)

 離婚翌年の2008年10月、広瀬は一般の米国人男性と再婚。一方の大沢は、15年に当時学生だった日本テレビアナウンサー・岩田絵里奈との熱愛をスッパ抜かれている。その後の進展は不明だが、結婚と子どもへの願望はあるという。

 夫婦にも“格差”のない環境づくりが大切なようだ。

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