栗山というと、5歳のときにティーン誌のモデルとして芸能活動を開始。2000年公開の映画『バトル・ロワイアル』に16歳で出演。幸運にもこの演技が映画監督のクエンティン・タランティーノ氏の目に留まり03年10月、米国の公開映画『キル・ビル Vol.1』に出演 し、全米デビューを果たした。翌年、同国のMTV主催の映画賞で「Best Fight賞」を受賞し、以降は多数の映画やドラマ、CMに出演。また、歌手としての才能も発揮した。
長年お世話になった所属事務所に対し、栗山は「幼く何も分からない私を30年にわたりご指導いただきました事務所関係者様には感謝しかありません」と思いを記した。特に、栗山が言う「幼く何も分からない私」という言葉には特別な思いがあるのだろう。
栗山は、公式プロフィールからある出版歴を消している。それが、今の時代では完全なる“黒歴史”となってしまうからだと言われているのだ。
1997年、13歳時に写真家・篠山紀信氏が撮影した写真集『神話少女』(新潮社)を発売。だが、この写真集が後に改正された“児童ポルノ法”に抵触すると物議を醸し、絶版へと追い込まれた。
「栗山の写真集はヘアヌード写真集とうたっていました。発売当時は13歳でしたが、問題となったのは撮影時期です。写真集は、栗山の全裸や下着姿、パンチラ、スクール水着でのショットもあり、児童といえど、妖艶さが満載でした。成長期に伴う胸の膨らみも露骨なほどで、“わいせつ”と批判されたのです。幼い栗山の緊張した表情は写真からも伝わるほどで、当時の年齢は11歳だったと報じられています」(芸能関係者)
衝撃的な写真集だったが、当時、栗山の知名度はそれほどでもなく、どちらかというと、篠山氏が話題になったほどだった。
「芸能界に入った栗山は、幼いながらに世界的なモデルを目指していたようです。ところが、高学年になると身長が伸び悩み、その焦りからヘアヌードに挑戦したといいます。無名のジュニアモデルだった栗山が奇才の有名カメラマンに見初められ“児童のヘアヌード”企画に乗っかり出版したのでしょう。その後、女優として世界的にも有名になった栗山でしたが、その頃、“児童ポルノ法”の法律改正も相まってこの写真集が問題視され、掘り返されたのです。作品に露天風呂での全裸姿もありましたが、幼さのあまりに“ヘア”は存在せず、“割れ目”がくっきりと見えるほど。篠山氏は児童の恥部を“芸術”と見ていたのでしょうが、とても無理があると思います」(前出・同)
残念ながら現在は、この写真集を所持しているだけでも犯罪になるというが、買い取り書店ではどのような対応をするのだろうか。
「中古の買い取りも不可とされ、買い取り、販売そのものが犯罪になってしまいます。ネットオークションでも取引の存在自体がレアと言われる中、買い取りを堂々と扱う書店のサイトをのぞいてみると、価格は2万3千円で取引可能と表示されています。過去には10万円を超えた取引もあったようです」(芸能ライター)
今となってはプレミアと化したものの、“わいせつ物”扱いされてしまった幼き日の写真集。当時を振り返った栗山に、後悔がよぎることはあるのだろうか。だが、この挑戦が栗山の芸能人生に大きな影響を与えたことも確かなのでは。