そんな家族の温かいお母さんを演じるのは、女優の樋口可南子。樋口は1月、深夜に放送されたドラマ『コタキ兄弟と四苦八苦』(テレビ東京系)の第4話に、5年ぶりの映像作品として出演し、話題を集めた。楚々とした美しさと死にゆく人にしか見えないはかなさを見事に作り上げる樋口の女優力を見せつけた演技は圧巻としか言いようがない。
樋口というと、1978年、美術大学在学時にポーラテレビ小説『こおろぎ橋』(TBS系)で主演デビュー。大学を中退し、80年に映画初主演『戒厳令の夜』でスクリーンデビューを飾り、ゴールデン・アロー賞の新人賞を受賞。その後、83年公開の映画『卍』でのレズビアン役、87年の映画『ベッドタイムアイズ』での大胆な濡れ場を熱演しては話題をさらい、スター女優への階段を上った。
1991年には、写真家・篠山紀信撮影の写真集『Water Fruit 不測の事態』(朝日出版社)が55万部のベストセラーに(出版科学研究所調べ、2003年6月までの集計)。この写真集が、日本でヘアヌードを解禁させるきっかけとなった。
私生活では、コピーライターの糸井重里氏と10年越しの大恋愛を実らせ、1993年に結婚。だが、樋口と交際していた期間の糸井氏は妻帯者であり、2人の交際は“不倫”だった。
不貞が発覚したのは1982年。女性週刊誌の記者にマークされていた2人は、ホテルで一夜を明かし、まんまとスッパ抜かれた。当時の糸井氏は、結婚1年ほどの新婚で、長女が誕生したばかりの身であった。
ところが、糸井氏の妻は「不倫も仕事の一環」として夫の不倫を容認したという。これに糸井氏は、「そういう妻だから結婚した」という旨の発言で離婚を否定しながらも、妻公認の不倫を11年間継続していったのだ。
「この騒動の最中、樋口は不倫についてのコメントを求める報道陣に、『結婚は望んでいない』と宣言。『妻子ある人を好きになったんじゃありません。その人にたまたま家族があっただけです』と言い放ち、30年以上経った今も名言として語り継がれています。当然、大バッシングを浴びせられた樋口でしたが、妙に説得力のある一言でしたね」(芸能ライター)
2人の出会いは、不倫報道の約1年前。番組上での対談がきっかけとなったという。
「糸井氏は当時、出演作で大胆なヌードを披露して話題となった樋口に対して、『こういう姿を見られて恥ずかしくないんですか?』と問いかけると、『裸になるというのは素の自分を晒すというのとは全然別の次元のことで、女優をやってて恥ずかしいと思う瞬間はもっと別のところにある』と、冷然とした切り返しを見せたのです。当時、20代前半の樋口の貫禄に糸井氏はロックオンされたのでしょう。ですが、糸井氏が離婚に踏み出せなかった理由は娘の存在と言われ、娘が理解できる年齢まで待ったという説もあります」(前出・同)
正妻の座を射止めて25年の月日が流れた今でも、夫婦は仲睦まじい生活を営んでいるようだ。夫婦に子供は存在しないが、糸井氏の前妻との子供を自身の運営するサイトの社員、株主として在籍させているという。はたから見れば異様な関係を継続してきた糸井氏だが、樋口にとっては最良の選択だったことは間違いないだろう。