水谷は1965年、13歳で「劇団ひまわり」へ入団。70年公開の映画『その人は女教師』でスクリーンデビューを果たし、72年放送のドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)の第1話で犯人役として出演し、注目を集めた。
その後は主演クラスの俳優に上り詰め、1976年にはATG映画で女優・原田美枝子とW出演を務めた『青春の殺人者』でキネマ旬報賞主演男優賞を最年少で受賞した。78年、高視聴率記録したドラマ『熱中時代(教師編)』(同)の主演で大ブレークした水谷は、視聴率の取れるTV界の名俳優とされ、名だたる賞を数多く手に入れた。
私生活では、元キャンディーズのメンバーで女優・伊藤蘭を妻に持つ芸能界きっての“おしどり夫婦”で知られる水谷。だが、実は伊藤とは再婚であり、“略奪不倫”の末に極秘入籍した経緯があるのだ。
水谷は、『熱中時代(刑事編)』(同)で共演した女優のミッキー・マッケンジーと1982年に1度目の結婚をしている。だが、結婚からわずか半年で東京と米・ロサンゼルスでの別居状態となり不仲説が報じられた。
一方で、同年放送のドラマ『あんちゃん』(同)での共演で伊藤と意気投合した水谷は、83年放送の『事件記者チャボ!』(同)で自ら伊藤を相手役に指名した。再び共演した伊藤との熱愛が報じられるようになり、86年5月には水谷の離婚が成立したのだ。
その後、水谷と伊藤は都内マンションで半同棲に近い生活を始め、所属事務所も2人の交際を認めた。当初は、沈黙を守り一時は破局の噂も流れるほどだったが、出会いから7年後の1989年1月に正式な夫婦となった。
だが、その裏で夫婦は別々に極秘で米・ハワイ入りしていた。さらに、宿泊ホテルも別々に手配し、事情をかぎつけたマスコミが後を追うと、今度は挙式予定の教会をキャンセルしては、急きょ別の教会を探すという徹底ぶりを見せた。
「夫婦の挙式には、両家の母親と親しい友人だけが参列していたようです。その2日後には、現地のホテルで記者会見を開き、水谷は『ボクはあんまり冷静じゃなくって、彼女のウエディング姿もよく見られなかった』とはにかみ、伊藤も『私も緊張しました』と、会見は終始和やかムードでした。プロポーズについては1988年11月、水谷が食事帰りの車の中で『一緒に住まないか』とアプローチをかけ、伊藤は『式の時には1回目の時(ミッキーとの式)と同じ服は着ないでください』と返事をしたそうです。しかし、なぜマスコミをかいくぐったのか。やはり、不倫の末の“略奪婚”であることをクローズアップされたくなかったのでしょう」(芸能関係者)
再婚前は一時期スランプに陥った水谷を支え続けた伊藤。そして、『相棒』で再ブレークを果たし、1990年には長女が誕生した。
月日は流れ、2013年公開の映画『少年H』で夫婦は28年ぶりに共演し、夫婦役を演じた。出会った当初、伊藤は「家庭のある人っていうのはダメなんですよ。ドロドロするのは嫌い」と既婚者だった水谷を恋愛対象として見てはいなかったという。だが、現在こうしていい関係を築けていることは“運命”なのかもしれない。