國松長官が狙撃されたのは朝の午前8時30分過ぎ。自宅マンションから出勤する國松長官を待ち構えていた男による犯行だった。犯人は國松長官がマンション通用口から出てきたところを、背後から拳銃で4発発砲した。周囲には16人の目撃者がおり、すぐに警察と救急車へと通報が入る。現場に救急車が駆け付けた時には、國松長官は瀕死の状態だったそうだ。その後、医師による懸命の治療により國松長官は一命を取り留めた。
しかし、事件はこれだけで終わらない。國松長官が狙撃されてから1時間後、テレビ朝日に犯人と思われる男から電話が入る。内容は次の犯行予告だった。犯人は警視総監、内閣情報調査室長ら高官の名前を次々と上げていき、最後には「オウム真理教団への捜査を中止しろ」と要求して電話を切った。後に、電話をかけたオウム真理教幹部の男が逮捕されるが、証拠不十分により釈放されている。
警視庁は南千住署に捜査本部を設置し、大規模な捜査活動を開始した。白昼の犯行ということもあり、目撃証言はすぐに集まったという。目撃者によると、犯人は國松長官を狙撃した後、近くに停めてあった黒の自転車に乗って逃走。年齢は30代から40代前後、身長は170㎝から180㎝程度だったそうだ。さらに、現場付近から自転車で逃走する犯人らしき男の姿も多数確認されていた。犯人逮捕も時間の問題かのように思われたが、それ以降の足取りを掴むことは出来なかった。また、現場には韓国の硬貨と北朝鮮のバッジが残されていたが、犯人との関連は確認されていない。
当時、オウム真理教関連の犯罪が相次いでいた事や、テレビ朝日への犯行予告の件もあり、世間の間では長官狙撃事件に関してもオウム真理教の犯行を疑う見方が強かった。そして、事件発生の翌年1996年、思いもよらぬ人物が犯行を認める。当時、警視庁に勤めていた巡査長が犯行を自白したのだ。彼はオウム真理教の信者だったという。しかし、警視庁はマスコミに内部告発がされるまでの半年間、その事実を警察庁に報告しなかった。後に供述の裏付け捜査が開始されるが、凶器はおろか物証も得ることが出来ず、立件は見送られた。
延べ50万人以上の捜査員が導入された警察庁長官狙撃事件。懸命の捜査が行われたものの、事件発生から15年後の2010年3月10日に時効が成立した。
実は巡査長の他に、もう一人犯行を自白した人物がいる。2度の強盗により無期懲役の判決を受け、服役中の中村泰という男だ。彼のアジトからは10丁の拳銃と1000発以上の銃弾が発見された他、長官狙撃事件に関する新聞・雑誌のコピーが大量に発見されたという。犯行理由は「オウム真理教の犯行に見せかけて、警察が本気でオウム制圧に向かうように仕向けたかった」というもの。しかし、結局、中村も嫌疑不十分で不起訴処分となる。
目撃証言と合わせて3人の容疑者が浮かび上がり、うち2人は犯行を自白した当事件。巡査長も中村も自白では単独での犯行を供述しているため、どちらかは嘘をついていることになる。オウム真理教の指示で実行し、後に麻原被告の裁判を見て幻滅して自白したと語った巡査長。中村はオウム信者ではなかったものの、オウム真理教の行為を止めるために犯行したという。当時、いかにオウム真理教の影響が強かったのかを物語っている。