名プロデュサー山田廣作が類稀なる才能に惚れ込み08年11月、『桜島(さくら)/幸せな日』でデビューさせたのが稼木。当時からオリジナルは「メッセージ性のある楽曲」が山田の拘りである。
いわば「社会派歌謡」。そのためか稼木にとって、今の日本を襲う様々な事象は気になって仕方ないそうだ。
「『雲のうつし絵』(13年5月リメーク)は私のふるさと鹿児島が舞台です。鹿児島は太平洋戦争で特攻隊の出撃基地があった場所で、曲は戦地に向かう戦士と残された人々の心情を詠んでいます」(稼木)
稼木は中学生の時、鹿児島・知覧にある『特攻平和会館』を見学。その時、強く感じたのが「特攻隊員の“守りたい”という強い気持ち」。
「本気で国を守りたい、愛する人を守りたい…その純粋な想いで身を挺したと思うのです。それをマスコミや一部政党は“戦争は悪。日本は悪い”という形になる。私は納得できません。今、日本が平和なのは、こうした先人たちの想いがあったからこそ」(稼木)
そして話は日本兵が30万人を虐殺したと言われている南京大虐殺へ。あまりに「不自然すぎる」と感じた稼木は南京大虐殺を研究。中国の記念遺産(ユネスコ)申請には憤りを感じているのだ。
「知人から南京大虐殺の話を聞いて、『天に誓って「南京大虐殺」はあったのか』(幸福の科学出版)という書籍を読んだのです。ビックリしました。日本兵が南京に入城した時、殆どの人は疎開していた。住民がいない状態だったそうです。さらに虐殺に使用したとされる戦車も虐殺時には製造されていなかった事実が発覚。南京事件は完全な作り話なのです。よく中国・韓国が“正しい歴史認識”と言いますが、彼らこそ正しい歴史認識を持って頂きたい。そして日本も正しい歴史を伝えなければいけません。加えて、日本人はもっと“誇り”を持って欲しいです」
こう語る稼木は自らの歌に魂を注入。大和撫子として誇りを持って熱唱している。