年上の友I氏は、あちらを立てればこちらが立たない、そんな両者の利害を調整する立場にいて、状況に応じて豪華さで名高い黒澤組のディナーを(かなりの確率で空いている監督の真正面の席で)監督と談笑しながら共にしたお人である。これは、なかなかできるものではない。さらにI氏は「乱」を遡(さかのぼ)ること数年前、多国籍映画「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)の合作責任者としてオーストラリアに赴き、大島監督が沈む夕陽に向かって叫んだ「まだOKじゃない。沈むな、バカヤロー」という演技指導をその耳で聞いてもいる。この言葉の意味を瞬時に理解すること、これまた、なかなかできるものではない。
仲間内でも、対極的な作風の2人の映画監督と、みっちり中味の濃い仕事をやってのける神経はどういう神経か、一度、頭の中を覗いてみたいものだと囁(ささや)かれていた。
ついでながらこの方は、観ていない映画をあたかも昨日観てきたかのようにとうとうと語るという特技をお持ちであり、そのような特技の発展形として、酒を一滴も飲まないのにスコッチのシングルモルトに精通してもいる。
下戸のI氏とは残念ながら、豊後の酒「一乃井出(いちのいで)」について、縷縷(るる)吟味することはできないが、ここにいればいたで、なにか上手(うま)いことを発言しそうで怖い。
この豊後の地酒が、いかにも不思議な酒なのである。持ち重りのする、でっぷり太った2合入りの徳利で独酌。燗酒なのに薫香がしない。いぶかりながら、口をつける。含む。嚥下する。息をつく。そのいずれの過程にも、酒の酒であるところの酒らしさが感じられない。それは、物足りない、のではない。これまでの燗酒にはない、異な体験に戸惑う。さらに杯を重ねても、1度目の飲み口と、12度目の飲み口と、なにも変わらなかった。
舌の上の酒が、こちらの理解を待たずに、胃の腑(ふ)に落ちてしまう。そしてそのことが、得も言われぬ快感になりはじめる。なぜだろう。小ぶりで渋い、いい造りのお店で、あてに鴨の燻製と菜の花辛子をいただいて、わたしは高揚のあまり、イノカシラでこんないい思いをしてイーノカシラと、鼻歌をうたっていた。
隣の客が、そのまた隣の客のクサヤの煙で、顔をしかめていた。で、謎の解明であるが、ここで試みて、ここで考えて、ここで答えを出すしかない。なぜならば、一乃井出という酒は全東京中「豊後」でしか飲めない(女将談)からなのだ。
わたしも謎解きに喜んで再挑戦するけれど、同好の士もよろしければ、ぜひ一度。
予算3000円
東京都武蔵野市吉祥寺南町2-6-6 第二丸昌ビル