2月は寺山修司原作、蜷川幸雄演出の舞台「血は立ったまま眠っている」の東京公演と大阪公演の合間を縫って2日間だけベルリンへ行き、受賞に関する取材を受けるというハードなスケジュールをこなした寺島。とにかくこの舞台が気に入っているとブログで語っているが、そもそも彼女を“演技派女優”として決定づけたのも、蜷川幸雄演出の「ある舞台」の出演がきっかけだった。
寺島しのぶのデビューは、1993年のNHK大河ドラマ『琉球の風』(東山紀之主演)。尚寧王妃という役であったが、このドラマでは父の尾上菊五郎が尚永王役、また母の富司純子が尚永王妃役で共演し、配役のうえでも親子を演じた。しかし、母・富司純子ほどの“華”を感じない娘・しのぶに世間の反応は低く、おまけに結婚相手の琉球の王(沢田研二)の心が母に傾くという、役の上でも母に負けていた。
その後寺島は、学業と両立しながらドラマや舞台で実績を積み、1995年から蜷川幸雄演出の『近松心中物語』に出演。最初はお亀というサブキャストの役であったが、数年前、新作で念願の女性主人公・梅川を演じた。10年近くお亀を演じる間に、濃密な演技力が磨かれ、「ヴァイブレータ」他、“女”を演じられる映画女優としても頭角を表わし始めた寺島。森進一の曲が流れ、男女が紐で縛りあい心中する激しいシーンが印象深い、故・太地喜和子さんの当たり役・梅川を完全リプレイ。この演目に新しい風を吹き込んだ。
歌舞伎役者と有名女優の娘として注目を集めるも、そのあまりにも強い「七光りオーラ」を背負ったデビューは寺島にとって辛かったに違いない。梨園の幼なじみとの長い恋愛が終わり、“二代目スター”として地位をかなぐり捨てる様なハードな役に挑むようになった寺島しのぶ。役を“演じきる”女優として、必要とあらば「脱ぐ」しか無いのである。ごく自然な事だ。
「生活する人間を撮っているんだから、脱いで何が悪い。裸だけ騒ぐって、意味わかんないですよ」(2月22日付の朝日新聞のインタビューより)
濡れ場について騒ぐマスコミに対して、本人はあっけらかんと言う。サバサバした体育会系な一面も、また魅力である。