その中でも個人的に気になった女の子が渡辺桂子である。当時は岡田有希子が大好きで、彼女の出るところにはかなりの確率で出没していたのだが、岡田と同期である渡辺は、音楽祭などを中心に岡田と一緒に出ることが多かった。なので渡辺をメインに現場に行くということは、この頃には考えていなかった。しかし渡辺を観に行く日がいきなりやって来たのだ。
渡辺は84年3月に『H-i-r-o-s-h-i』でデビューを果たしたのだが、当時のクラスメイトで「広志」という友人がいて、その友人が自分の名前を歌ってくれていると舞い上がっていた。これまでアイドル現場に一緒に行っていた友人なので、その友人が生で『H-i-r-o-s-h-i』を聞きたいと言い出したのだ。私も渡辺は気になる存在でもあったので、快く承諾して一緒に観に行くことにした。真夏の暑い日だったが、当時の私の定番スポットだった後楽園けやきステージに渡辺が新曲キャンペーンで来ることになったので、出向いてみた。
朝早く友達と現地で合流したのだが、何と私たちは一番乗りの到着だった。もちろん最前列でイベントを観ることになったが、キャンペーン対象曲では無かったので、お目当ての『H-i-r-o-s-h-i』が聞けるかは不安だった。デビュー曲ということもあるので終盤にしっかり歌ってくれたので、ホッとした私だったが、隣の友人を見ると何と涙を流して喜んでいた。この光景のインパクトはすごく、この友人とこのキャンペーンに来て良かったと確信した。
それからイベントのみならず公開番組の収録やテレビ局の出待ちをするようにもなり、キャンペーン以外で初めて渡辺と話しをする機会が出来たのだ。TBSラジオの収録があり、その収録明けだった。「けいこちゃん」と声を掛けると笑顔で返事をしてくれた。まず持っていた色紙を差し出しサインを書いて貰った。写真も嫌がることなく撮らせてくれて、かなり好感度も上がった。もちろん一緒にいた友人も大喜びだった。そんな気持ちが持てたので、翌年1月に、この友人と一緒にまたまた後楽園けやきステージで行われた4枚目のシングル『グッバイ・ガール』のキャンペーンに行ってみた。この時にもしっかり『H-i-r-o-s-h-i』を歌ってくれたのだが、友人はさすがに泣くことは無かった。
アイドル歌手として順風満帆に売れてきたところで、当時のアイドルのステイタスだったドラマの主演が決まった。私の大好きな大映ドラマである。『乳姉妹』(TBS系)というドラマで、これまでの可愛らしい雰囲気と違い、シリアスな演技を見せてくれた。2クール(半年)の放送だったので、このドラマで渡辺を知ったという人も多かった。ドラマが終了したのが85年10月で、ここからヒット曲が連発する予感もしていたのだが、10月に発売された7枚目のシングル『純情レジスタンス』を最後にレコードの発売は無くなってしまった。
86年になるとメディアの露出も激減してしまい、気が付いたら渡米して、まさかの渡米先で結婚したのだ。しかもそのまま芸能界を引退してしまった。これまで多くのアイドルを観て来たのだが、この時ほど消化不良な気持ちになったことは無かった。しかし彼女の結婚生活は短かったようで、2年も経たずに離婚して帰国。さらに芸能界に復帰することになった。当時は21歳で、まだアイドルとして通用する年齢だったが、復活は何とヌード写真集だったのだ。その後にビデオを立て続けに3本発売されたのだが、それ以降の芸能活動は無く、完全に引退してしまった。ヌードを披露するだけのための復活になってしまったが、密かに彼女の裸が見れたことは嬉しかったが、二度と会えない悲しみの方が強かった。
引退後は地元の大阪に戻って結婚して子供も授かったと風のウワサで聞いているが、これから芸能界に復活とは無いと思うが、もしメディアに出る機会があるのなら、当時の背景を細かく聞いてみたい。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。