熊本地震の被害は想像以上に大きい。
筆者は熊本県の阿蘇山から西に40キロメートルほど離れた山鹿市で生を得たため、阿蘇村の阿蘇大橋が崩れ落ちた光景をテレビで視聴し、ショックを受けてしまった。阿蘇山に向かう際に普通に通っていたあの巨大な橋が、土砂崩れにより崩落してしまったのだ。
熊本の象徴であった熊本城の石垣や屋根瓦も崩れ落ち、無残な姿と化した。熊本県出身者の一人として大変悲しい。被災者が自宅に戻り、日常を取り戻すことができたら、早期に熊本城を再建してほしいと願う。
それにしても本稿執筆時点(4月20日)で、最初に発生した4月14日以降、震度5弱を超える地震が20回も起きたのだ。信じられないほどの大地震の「頻発」である。
九州は比較的「地震が少ない」と言われていた。とはいえ、現実は違った。日本国に住んでいる以上、大地震から逃れることはできないと、あらためて理解できた。それにもかかわらず、日本政府や政治家、いや「日本国民」は大地震に対する備えをおろそかにしてきた。
今回の震災では、本来「救援活動の拠点」になるべき建造物までもが倒壊の危機に瀕している。後日震度7に訂正された16日未明の本震で、熊本県宇土市の市役所本庁舎は鉄筋コンクリート造り5階建ての建物の4階部分が押しつぶされ、崩壊寸前になってしまった。宇土市役所本庁舎は1965年5月の竣工から、すでに51年が経過している。何と半世紀前に建設された建造物なのだ。
実は今年の2月29日に宇土市庁舎建設検討委員会が開かれ、
「宇土市役所本庁舎は昭和40年5月の竣工から51年経過し、老朽化が著しく、さらには耐震性にも大きな問題を抱えております−(中略)−そのような課題もあることから、市では市庁舎建設についての方向性を検討するため、市民代表や学識経験者などからなる『宇土市庁舎建設検討委員会』を設置し、検討を行っていきます」
と、市庁舎建て替えの検討が始まったところだったのだ。そのわずか1カ月半後に熊本地震に見舞われ、建物が半壊状態になってしまった。
同じく地震で使用不可能になった大津町役場も、竣工が1969年10月であるため、ほぼ筆者と同い年ということになる。すなわち、築46年だ。
なぜ、宇土市や大津町が老朽化した庁舎の建て替えをしてこなかったのか。1981年に耐震基準が大きく変更されたというのに、旧耐震基準のまま放置されてきたのか。
もちろん、「財政上の理由」である。わが国は「国の借金で破綻する」「公共事業は無駄だ」といった、財政破綻論、反公共投資論が広まり、その“空気”に影響され、自治体も予算を削減せざるを得ず、非常事態発生時の拠点たる建造物が旧耐震化基準のまま使われ続けてきたのだ。
今後、行政機関を新耐震基準に建て替えたとしても、未来永劫、大地震が発生しないかも知れない。その場合、「無駄な支出だ」という話になるのだろうか。
絶対に、違う。
来るかどうか分からない、来ないかも知れない、とはいえ、来たときの被害が甚大な災害に備えるからこそ、政府が存在するのだ。
日本国は、早急に全国の病院、市庁舎、学校など、全国の旧耐震化基準の公共建築物を「全て」新基準で建て替えるべきである。そうすることで、将来の日本国民の生命を救うことができる。
そう考えたとき、わが国に「需要がない」などと考えることが、いかに愚かであるか理解できるはずだ。需要がないのではない。需要から「目を背けている」のが現代の日本国民や政治家の姿なのである。いいかげんに「国民を大規模自然災害から守る」という巨大な需要から目をそらすことはやめるべきだ。
ところで、東日本大震災の際にも書いたのだが、大地震が発生し、被災地で被災者が苦しんでいるからといって、
「被災地の方々のために、おカネを使うのは控えよう」
といった行動をとるのは絶対にやめてほしい。特に、イベント自粛などは最悪だ。
われわれ日本国民は生産者として働き、モノやサービスを生産し、顧客に消費、投資として支出(購入)してもらい、所得を得る。つまりは、所得とは「誰かがおカネを使わない限り」創出されないのだ。そして、この所得から税金が徴収され、被災地の救援のために使われることになる。
読者が被災地のことを考え、おカネを使うのをやめてしまうと、その分、誰かの所得が生まれない。つまりは、税収が減る。被災地のことを考えるならば、むしろこれまで以上におカネを使うべきである。寄付やふるさと納税もいいが、特に熊本県や大分県のモノやサービスを買うことこそが、真の意味で被災地支援になる。経済(経世済民という意味の経済)とは、そういう「仕組み」になっているのである。
もっとも熊本地震のような非常事態が発生すると、経世済民という意味の経済において最も重要なのが何か分かってくる。あるいは経済力の本質が理解できる。
経済力の本質とは、おカネではない。モノやサービスを生産する力、すなわち供給能力だ。
被災地のニーズは刻一刻と変わる。しかし、全国各地のモノを運び込む「運送サービス」の力は低下したままで、今も被災者は苦しんでいる。何しろ、高速道路があちこちで寸断され、しかも阿蘇大橋のようにメーンの橋梁が崩落してしまった地区である。
物資を必要な人、つまりは「需要」の下に届けるのが運送サービスの役割だが、熊本県では実現が困難になっている。運送サービスにしても、「安全保障」の一環を担っているのだ。そもそもロジスティクスとは兵站用語なのである。
非常事態は常に発生し得る。大地震が起きても、国民を可能な限り救う。被災者に物資を必要な分、届ける。この手の防災安全保障を意識することなく、わが国では国民は生き延びることができないと肝に銘じるべきだ。
みつはし たかあき(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、分かりやすい経済評論が人気を集めている。