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トレンド 2015年04月23日 12時17分
NTTレゾナント 「gooのスマホ」で廉価スマホ市場に参入
22日、NTTレゾナントは都内で事業戦略説明会を開催し、同日に予約受付を開始した「gooのスマホ」を披露した。 発表会に登壇したNTTレゾナント代表取締役社長の若井昌宏氏は、14年度のポータルサイト「goo」のブラウザごとの訪問回数(ユニークブラウザ)数が1.1億まで増え、手応えのある1年だったと振り返った。そして、15年度はこの実績を踏まえ、「スマホを中心とした“おもてなし”を、さらに拡充していく」と宣言した。 この新展開で中心となるのが「gooのスマホ」で、投入する機種は、「g01(グーマルイチ)」、「g02(グーマルニ)」、「g03(グーマルサン)」の3種で、いずれもZTE製となる。 価格は「g01」が1万円(税抜、以下同)、「g02」が2万円、「g03」が3万円となっている。この3機種は、高い性能を持ちつつも、価格が安く抑らえれているのが特徴となっており、特に現在のスマホユーザーに向けての機種となる「g03」に関して、メディア事業部・ポータルサービス部門長の鈴木基久氏は、「他社の同レベルの機種では4万円以上するが、g03は3万円と低価格で提供する」とアピールした。 さらに今回のシリーズでは、操作が面倒というイメージがあり、フィーチャーフォンから、なかなかスマートフォンに機種変換できない人向けに、「g01」で操作性の簡単さを大きくアピールしていくとのことで、鈴木氏は「アイコンでごちゃごちゃする端末も多いが、gooのスマホではgoo専用アプリのアイコンは1つだけです」とシンプルさを強調。専用アプリは「goo milk feeder」という名前ニュースアプリで、「アイコンにあしらわれたヤギの乳のように、栄養価の高いコンテンツで健康的な生活を送ってほしいとの思いを込めた」と語った。また、簡単な設定などをするのも不安というユーザー向けには、遠隔操作による設定のサポートも行うとのことだ。 「gooのスマホ」の3機種の端末を担当したZTEの、アジア太平洋ロシア統括本部総経理の張樹民氏は、説明会終了後の個別取材で、本製品の魅力について「価格安さだけではなく、技術面での性能の高さも実現している商品です。この2つを同時に実現できるのはZTEだけです」とコメント。また、「g03」に今夏追加予定の網膜認証によるロック解除機能の他にも、ユーザーに向けて強力なサポート体制を築いていきたいとのことで、「ぜひ、今までスマートフォンを使ったことのない人も、手にとって楽しんでもらいたい」と語った。 「gooのスマホ」は現在の方針としてはネットのみの販売で、「NTTコムストアby goo Simseller」などで22日から予約を開始している。実際に手元に届くのは5月中旬になるとのこと。(斎藤雅道)
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芸能 2015年04月23日 12時00分
スタジオが凍りついたオカルト作家・山口敏太郎の小籔批判
関西ローカルのバラエティー番組『上沼・高田のクギズケ!』(読売テレビ)で先日、面白い一幕あった。 パネラーのホラー作家・山口敏太郎氏が本気モードでお笑い芸人の小籔千豊の批判トークを展開し、スタジオの空気を凍りつかせたのだ。 小籔が雑誌コラムで美魔女ブームを批判したという話題を取り上げたときのこと。パネラーの井上公造氏がその内容を解説し、MCの上沼恵美子と高田純次がそれを受けて話を転がしていると、山口氏が真顔でこんな話を始めた。 「小藪さんって、中途半端にテレビで出てくる素人に対して厳しいが、勝てる相手にしかケンカを売らないんですよ。さんまさん、たけしさんにはケンカを売らない。関西では面白いが、関東では滑りまくって毒舌コメンテーターでいこうとしている。でも関東人を笑わせるのが先でしょ。コラムで弱いやつを叩いてても芸人として未来はない」 思わぬガチな批判にスタジオ内は一気に緊張。上沼が「敏太郎さんがこんなこと言うの初めて。何かあったん? ケンカしたん?」と振ると、山口氏は「僕が出始めのとき、ヤンタン(大阪の長寿深夜ラジオ番組)でやられましたからね」と、その番組にまつわる個人的な恨みを明かした。 上沼はその後、「小藪くんは東京の番組でも面白いこと言うてるけど、編集が悪い。ヤンタン時代は彼がまだトンガッていた頃だと思う」などと小籔を擁護しつつ、「敏太郎さんの言うことも一理ある。ごめんなさい。伝えておきます」と山口氏へも気遣いを見せていた。 上沼の現場の収め方はさすがだったが、小籔はクセの強いキャラだけに、山口氏に共感する人も少なからずいるかもしれない。
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芸能 2015年04月23日 12時00分
【バラエティ黄金時代】タモリ「笑っていいとも!」が作り出したギョーカイのお約束
『笑っていいとも!』(フジテレビ系)が終了して、1年がすぎた。1982年から2014年3月まで、およそ32年にわたって“お昼の顔”であり続けた国民的長寿番組。“BIG3”と呼ばれたビートたけしが出演した最終回昼は、平均視聴率16.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。同日夜に放送された“グランドフィナーレ”は、平均視聴率28.1%、瞬間最高視聴率は33.4%を弾きだし、あらためて全日本国民が愛したことを実証した。 番組開始当初の80年代前半、タモリを生番組に出演させるのはバクチだった。今でいう、江頭2:50を毎日地上波に出演させるに等しかったからだ。ところが、大人気漫才師・B&Bが司会を務めた『笑ってる場合ですよ!』の後釜としてスタートした“タモリの番組”は、徐々に浸透。開始6年後(88年)には、最高視聴率27.9%(関東地区)を記録するおばけ番組に成長。同時間帯の民放番組で、翌89年から24年連続でトップを走った。 “いいとも!”いちばんの魅力は、生放送がゆえに起こった、数々のハプニングだろう。特に、番組の顔といえる『テレフォンショッキング』のコーナーは、宝の山だった。 たとえば、矢田亜希子の場合。友だち紹介の際、「友だちではないんですけど」と前置きし、つないだ大竹しのぶに、「はじめまして」と言ってしまった。それまでに、『テレフォンショッキング』に友だちは出ないという暗黙の了解は、業界内に存在した。それを矢田が認めたことによって、以降、「友だち」を「ゲスト」と呼ぶようになった。 しかしじつは、それ以前にも多くのゲストが「はじめまして」をニオわせていた。早見優、木村拓哉(SMAP)、山田まりや、西郷輝彦などは、ほぼ確信犯的にネタバレに加担していた。田中美奈子を紹介したプロレスラーの蝶野正洋は、「ディレクターに『次はこの人を紹介してください』って言われた」と、後日トークイベントでポロリともらしている。岡村隆史(ナインティナイン)は、レギュラー番組だったニッポン放送『オールナイトニッポン』のラジオ内で、「『紹介できそうな芸能人をリストアップしてくれ』ってディレクターから頼まれて、紹介できたのは、そのうちのひとり」と明かしている。 同コーナーの醍醐味は、あくまでも突然、友だちがいる場所に電話をつなげて(なぜか、つながる)、あくまでも突然、明日の出演を交渉する点にあった。しかし、鈴木杏樹は、「おとといから緊張してました」と興奮し、新山千春から紹介された島谷ひとみは、うれしさのあまり「電話、待ってた」と口にした。平野綾にいたっては、Twitterで「打ち合わせが終わった」とあげてしまい、別日に入念な打ち合わせがあることをバラしている。 なかには、そんな事前打ち合わせを無視する大物もいた。大物演歌歌手の千昌夫、大物ミュージシャンの大滝詠一が、そうだ。打ち合わせでは、出演を快諾。ところが、本番当日の電話口で出演を拒否して、スタッフを慌てさせた。大物芸人の志村けんも、またしかり。友人の桑野信義から紹介を受けたが、「あす、ゴルフなんだよね」と最初は笑わせ、とうとう最後まで主張を曲げなかった。 番組開始当初の80年代前半といえば、携帯電話もポケットベルもなかった。ゆえに、固定電話による芸能人の数珠つなぎは、ガチだったと思われる。84年には、タモリが電話番号を誤ってしまい、まったくの素人宅につながった。おもしろがって、そのまま4日間、一般素人をゲストに招いた。ここに、“深夜対応”だったタモリの遊び心が、見え隠れする。 そんな一般人を番組観覧客として、毎週月曜日から金曜日まで、東京・新宿スタジオアルタにおよそ100人招いて、1時間近くにわたって生放送を届けていた。毎日となると、アクシデントを引き起こすのがステージに立っている人間だけとは限らなくなる。84年に八神純子が出演した際、トーク中に右翼団体の男性がスタジオに乱入。火のついていない発煙筒を投げこんだことがある。犯人は即取り押さえられ、現行犯逮捕された。 観覧席に座っていた男性が、肉声で参加してしまう事件もあった。山崎邦正(現:月亭邦正)がタモリに、「質問あったら、なんでも答えますんで、言ってください」とオーダーをすると、男性が、「タモさん、“いいとも!”が年内に終了するって、ほんとなんですかね?」と割って入った。CM明け、男性が座っていた席には、小さな白いぬいぐるみが着席しており、以降、バラエティ番組では、アブないやつの席にぬいぐるみが置かれることが定番となった。この一面を切り取っても、“いいとも!”イズムはしっかりと、今のテレビ業界に継承されているということか…。 (伊藤雅奈子=毎週木曜日に掲載)
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芸能 2015年04月23日 11時45分
個性派俳優・萩原流行さんが事故死!
映画やテレビで、個性派俳優として活躍した俳優の萩原流行さんが22日、バイク事故で死亡し、各メディアが大々的に報じた。 報道をまとめると、萩原流行さんは同日午後6時ごろ、東京都杉並区内の青梅街道の上り線を愛車の大型バイク・ハーレーダビッドソンで走行中、前の車を追い越そうとして、右の車線に入ろうとした時に転倒。その際、後続の車にひかれたとみられるという。萩原さんは救急車で都内の病院に緊急搬送されたが、病院で死亡が確認され、駆けつけた妻のまゆ美さんが本人であることを確認した。 クセのあるキャラで名脇役として活躍していた萩原さんだが、最近はうつを患い俳優活動をセーブ。プライベートではバイクや車好きで知られていたが、昨年10月に同区内の区道で乗用車を運転中に歩行者と接触して走り去ったとして、今年3月に自動車運転処罰法違反(過失傷害)などの疑いで書類送検された。また、先月23日に同区内でバイクを運転中に転倒し右腕を打撲するケガを負って入院するなど、最近2年半で3度の事故を起こしていた。 萩原さんの事故死から一夜明けた23日朝、まゆ美さんは自宅に集まった報道陣に対応。憔悴しきった様子で、「20歳から42年間ずっと一緒でしたので…まるで夫婦漫才のようでした」と瞳を潤ませた。故人の遺志により、葬儀は密葬の形で行うことを明かした。 萩原さんは82年公開の映画「蒲田行進曲」で注目され、その後、アクの強い名脇役として活躍。トレードマークはテンガロンハットで、気さくで陽気なキャラクターでバラエティーにも出演。独特な怒り方はタレントの神無月のモノマネで知られていた。 その一方で、まゆ美さんが20年以上うつ病を患い、献身的な看病を続けていたが、数年後に自身もうつと診断され08年にテレビ番組で告白。09年発売の著書「Wうつ」に闘病体験をつづり、講演活動も行っていた。 萩原さんのご冥福をお祈りしたい。
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アイドル 2015年04月23日 11時45分
HKT48 指原莉乃 明治座で座長をつとめるも「いまいち私、舞台、興味が無くて…」
アイドルグループ、HKT48の指原莉乃が、同グループの冠番組「HKT48のおでかけ」で、現在、明治座で開催されている「HKT48指原莉乃座長公演」について言及した。 同公演で明治座でも史上最年少で座長をつとめる指原だが、「すごいことってわかっているんですけど、いまいち私、舞台、興味が無くて…」と発言。その理由を、「(演技を)している人は凄いと思うし、見に行ったこともあるんですけど、自分にはあわないなって思います。演技が下手だから」と説明した。 さらに、「めっちゃ真剣にやってます。仕事が忙しくて頭がおかしくなりそうだったけど、それでもセリフは全部覚えられたし、自分的にはめちゃくちゃ努力していて」とも。自身を努力しないタイプだと分析している指原だが、「最近では珍しく努力して、本当に頑張っているんですけど、ただ、全然楽しいとは思っていない」とぶっちゃけた。 また、MCのフットボールアワー後藤輝基から、「座長だから、メンバーには(演技の事)言ったりする?」と質問されると、「言わないです」と即答。「私、演技できないので、演技の指導はいっさいしません」と語った。 4月8日からスタートした「HKT48指原莉乃座長公演」だが、21日には、AKB48の木崎ゆりあと入山杏奈が観劇に訪れ、木崎は自身のツイッターで、「すっごく面白かったしHKTの魅力がぎっしり詰まった内容でした。みんな可愛くてライブを見てると勉強になることばかりで楽しかったです。やっぱり指原さん偉大でした!」との感想を綴っている。
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アイドル 2015年04月23日 11時45分
AKB48 島崎遥香が柏木由紀にも塩対応
AKB48の40枚目のシングル「僕たちは戦わない」MV完成披露試写会が22日東京・新宿バルト9で行なわれ、島崎遥香、柏木由紀、横山由依、加藤玲奈、大友啓史監督がファン300人と共に鑑賞した。 センターを務める島崎はMVを観た感想を問われ「今まで以上に練習して、自分なりに考えてやろうと思って撮影に臨みました。出来上がった作品を見た瞬間にこれは映画だと思いました。素敵な作品を作っていただいて良かったなと思い自然に涙が出てきました」と感激の様子。島崎はMCから大友監督に今聞いてみたいことを質問されるといきなり「好きな食べ物は何ですか?」と“塩”質問。場内は大爆笑に包まれた。大友監督が「最近は健康に気をつけて野菜を食べるようにしてます」と話すと島崎は「私はピーマンが好きです」と“らしい”答え。 前作でセンターを務めた柏木。今回のセンター島崎については「ぱるる(島崎)はセンターの人なんだなと思いました。歌番組なんかを見ているとぱるるの周りに光が差している様に見えるんです」と話すと、島崎は「はぁ〜。何を言ったら良いんですか?」と見事な塩対応を披露、しかし最後には島崎は集まったファンに「(MVを見ての)皆さんの想いを是非たくさんの方に伝えて下さい」とPR。(アミ−ゴ・タケ)
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スポーツ 2015年04月22日 16時00分
浅田舞が明かしたフィギュア界の“闇”
推定Eカップ巨乳とぶっちゃけトークで、最近、バラエティー番組でひっぱりだこの浅田舞(26)。先日、発売した初写真集『舞』も好評で、ますますメディアの露出が増えていきそうな気配だ。 「海外撮影の水着ショットがあり、巨乳を存分に味わえる。同時期に発売されたAKB小嶋陽菜の写真集には負けているが、綾瀬はるかよりは部数が出ている。かなりの人気作品といえるでしょう。今後はDVDも出すでしょうし、徐々に露出度を上げていくことによって、バラエティーに並行してグラビア系の仕事も切れることはないはず」(芸能ライター) スケート選手としては妹の浅田真央(24)の陰に隠れた格好だったが、現在はタレント活動をのびのびと楽しんでいるように見える。 そんな舞が少し前、フィギュアスケート界の闇を暴露したことがあった。 「高校時代、スケートの練習場から控室に戻ってきたら、舞の荷物や練習道具が全部投げ出されていたというのです。放送はされませんでしたが、現場では同時期のライバル選手の名前が出ていたそうです」(同) フィギュア界にはこういった類の話は多く、渡部絵美は現役時代、海外留学し外国人コーチに習ったことが生意気だと、国内大会のために帰国しても練習リンクを貸してもらえなかったという。 「渡部のケースは選手と連盟との軋轢の一例ですが、そもそもフィギュアは子供時代から練習を重ね、トップ選手になるまで1億円ぐらいかかると言われる特殊な世界。人気コーチになると母親たちによる奪い合いがあり、コーチの食事係、コーヒー係といった一種の序列ができるそうです」(同) 舞のみならず、お騒がせの安藤美姫(27)もタレント転身後、生き生きしているのも分かる気がするが、そうなると気になるのは、進退を決めていない真央の今後だ。
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スポーツ 2015年04月22日 16時00分
監督代行・川相ヘッドが示した巨人の近未来像
川相昌弘ヘッドコーチ(51)の手腕をもっと評価しても良いのではないだろうか。 去る4月14日、DeNA戦が雨天中止となった。原辰徳監督(56)がインフルエンザに感染した件が発表されたのは同日夜のことで、球団は各メディアに伝えるのと同時に、川相ヘッドにも監督代行を要請していた。川相ヘッドも前日までインフルエンザでチームを離れていた。 「川相ヘッドは原監督と入れ代わるようにしてチームに復帰しました。復帰と同時に監督代行を務めることになりましたが、戸惑いは全く感じられませんでした」(ベテラン記者) 川相ヘッドの監督代行は初めてではない。同14日以降、奇しくも巨人は“常勝街道”に入り、首位戦線に浮上した。 川相采配による初黒星は15日の阪神戦だが、その試合を指して、年長のプロ野球解説者がこう評していた。 「7回表、先頭打者の村田が四球を選ぶと、迷わず、代走のスペシャリストである鈴木を投入しました。次打者の犠打失敗もあり、得点には繋がりませんでしたが、早めに仕掛けた作戦は間違っていない」 対戦チーム・阪神には、クローザーの呉昇桓がいる。9回最後の攻撃になれば、得点のチャンスは少なくなる。実際に『対呉昇桓』となった9回表も、相手の失策に付け込み、阪神ベンチをヒヤヒヤさせてみせた。川相采配を高評価するプロ野球解説者も少なくない。ひょっとしたら、この堅実な采配が巨人の監督後継問題にも影響してくるのではないだろうか。 原監督は今季で契約任期が満了する。経営陣がゴジラ松井にラブコールを送り続けているものの、色好い返事は帰って来ない。渡辺恒夫・球団会長は開幕前に催された巨人の応援組織『燦々会』で、「来季以降も」といったニュアンスを含む発言をし、“再々続投”も示唆したのは、松井氏を説得できていない事情も影響していたはずだ。 「いや、この状況で松井クンに次の監督をお願いするのは申し訳ない。有力候補である高橋由伸に対しても同様です。野手陣は世代交代のはざまにあり、若手はまだ一人前に育っていない」(関係者の1人) 原監督の続投が“ゼロ”になっていないのも、そのためだろう。 「松井待望論」が尽きないのは、人気回復のため。巨人は2年連続で主催ゲームの観客数を増やしたが、地上波でのナイター中継数は激減したまま。営業面で期待する向きがあるのは仕方ないとしても、チームの課題は野手陣の世代交代を進めること。松井氏に人気回復、世代交代、優勝の3つを課すのは気の毒な話であり、大田泰示、橋本到、岡本和真らの若手を一人前に育て上げた後に「松井氏か、高橋由伸を監督にし、長期政権を」というのが、もっとも自然な流れだろう。 そこでクローズアップされてきたのが、川相代行の堅実な野球だ。同ヘッドコーチは二軍監督を務めた経験もあり、大田、橋本らの性格も分かっている。『原-川相』の継承ラインもあり得るのではないだろうか。 また、ポスト原が内部昇格ならば、「次はゴジラ松井」というファンの期待も継続できる。 「近年、巨人監督に選ばれたOBは読売新聞スポーツアドバイザー職を務めてきました。その図式から考えると、現在、その職にある鹿取義隆氏も候補の1人です」(前出・ベテラン記者) 本命・ゴジラ松井を招聘する前に、巨人は世代交代という課題をクリアすべきである。
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芸能 2015年04月22日 15時30分
お笑い芸人の不倫劇(後)
うやむやになったまま、迷宮入りになるのが、有名人の不倫。お笑い芸人のなかでも、ネットや週刊誌に書かれながらも終幕したケースが、いくつかある。たとえば、東野幸治の場合。 妻の玲子さんは、東野が無名だったころの91年、女子大生で、大ファン。社長令嬢だったことが大きなきっかけとなって付き合い、結婚。2人の娘に恵まれたが、01年に離婚した。しかし、04年、籍を抜いたままの状態で、同居を再開。再び籍も入れた。 この数年前から、東京・新宿の歌舞伎町で有名だったのが、“東野嫁”のホスト狂い。お気に入りのホストの誕生日には、ドンペリでシャンパンタワー。ひと晩で数十万円、2年で1,000万円を払ったことがある“太い客”だ。ホストと寄り添って歩く姿や、焼肉デートを女性誌に撮られている。 これを東野は、「自分が売れたのは妻のおかげですから」と黙認している。貧乏時代、借金の100万円をポンと手渡された東野からしてみれば、頭が上がらないようだ。ちなみに、玲子さんは麻布十番で美容系のサロンを経営。夫婦そろって、資金は潤沢ということか。(伊藤由華)
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ミステリー 2015年04月22日 15時30分
カエルから妖精まで、不思議写真の謎(3)
およそ百年前の1917年7月、イギリスのコティングリーで2人の少女が妖精の姿を写真におさめ、やがてシャーロック・ホームズの作者として有名なコナン・ドイルが写真を本物と認めて雑誌に掲載させたことから、イギリス全土で激しい論議が巻き起こった。当時、寄せられた反響の大半は否定的なものだったようだが、ドイルは1922年に「妖精の出現−コティングリー妖精事件」を著して反論するなど、肯定派と否定派は全面対決の様相を見せたという。 ドイルはかねてより心霊現象を始めとするスピリチュアリズムに強い関心をいだいており、また心霊の存在を科学的に立証する手段として写真にも大きな期待を寄せていた。実際、彼が1920年に妖精写真に出会う以前から心霊写真家集団「クルー・サークル」とは親交を深めており、また1918に設立された「超常写真研究会」では副会長も務めていた。 心霊写真の歴史は意外と古く、確認されている最古の事例は1861年にアメリカのボストンで撮影された写真とされる。写真の発明が公開されたのは1839年だが、心霊写真にとってより重要なのはガラスネガに像を写す湿式コロジオン技法が1851年に発明されたことであった。技術的な要素は割愛するが、それまでの銀板写真や紙ネガを用いる方法よりも撮影が簡単で、シャープな画像を得られる上、多重露光や撮影後の修正といった写真加工が可能となり、写真家にとっての自由度が大幅に向上したのである。 そして、スピリチュアリズムへの関心が高まっていた19世紀後半の時代背景もあり、降霊術などと組み合わせた心霊写真が続々と撮影、公表されていった。 ドイルが妖精写真を目にした時には、既に心霊写真の存在と真偽に関する論争が半世紀ほど続いており、偽心霊写真の検証についても手法が確立されていた。もちろん、最初に妖精写真を持ち込まれた神智学協会のロンドン支部長はプリントやネガを専門家に鑑定させており、重ねてドイルもコダックなどの専門家に鑑定させている。その結果、いずれの鑑定においても「ネガもプリントも修正を施されておらず、写真は野外で撮影され、多重露光でもない」との回答を得たことから、ドイルらは写真が本当に妖精の姿をとらえたと確信したのであった。 しかし、鑑定結果はあくまでも「偽造ではない」ことを示したに過ぎず、写真が妖精の姿を写しているのかどうかは、また別の問題であった。黒ではないことは、白であることを意味しないのだが、オカルトに深く傾倒していたドイルは「偽造でなければよし」として、画面に写っている【なにか】が「妖精ではない」可能性を無視したのである。 次回は少々寄り道して、初期の心霊写真とその偽造方法を簡単に解説する。(続く)*写真イメージ
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