衝撃の未成年事件簿
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社会 2020年11月21日 22時30分
捜査本部に殺した女子高生の鏡やクシを送り付ける!都内定時制高校殺人事件【衝撃の未成年犯罪事件簿】
東京都内のある高校で殺人事件が発生したのは1958(昭和33)年の夏休みシーズンだった。 8月17日、高校の定時制に通う当時16歳の女子高生Oさんが行方不明になった。Oさんは家族に「友達の家に行く」と出たまま戻らず、目撃されたのは河川敷で高校生の野球の試合を見ていたのが最後だった。 >>各地で銃殺を繰り返した19歳、獄中の作品がベストセラーで文学賞も受賞【衝撃の未成年犯罪事件簿】<< 行方不明から3日経った8月20日朝7時ごろ、何者かから捜査本部に「Oを絞め殺して高校の物置の屋上に投げ込んだ」という電話があった。 警察が調べたところ、Oさんは通っていた高校の屋上にあるスチーム配管の中に、頭から突っ込まれ死亡した状態で発見された。8月の真夏日だったこともあり、死体は腐り始めており外傷の状態は分からなかった。 家族は「娘は強気な性格で知らない人についていくことはない」といい、顔見知りの男性が犯人ではないかとして捜査が始まった。 しばらくして、捜査本部に差出人不明の封筒が届いた。封筒には殺したOさんの血が付いたクシが入っており、警察への挑発として送られてきたものとみられた。 だが、ここで犯人は致命的なミスを犯す。封筒に切手を貼り付ける際、犯人は自分のツバを切手に付けており、犯人の血液型が判明したのだ。 その後も鏡や写真などが送り付けられたが、警察の特定作業は順調に進む。新学期が始まった9月1日、Oさんと同じ学校に通う当時18歳の男子高校生が逮捕された。 逮捕の決め手は、捜査本部に送られてきた遺留品に付着していたツバや指紋、怪電話の声紋鑑定など。言い逃れはできなかった。 この男子高校生は8月17日の午後5時ごろに学校のプールで泳ごうとしたところ、読書をしていたOさんを見かけた。ポケットにあったナイフで脅し、暴行しようとした際、大声を出されたので殺害に至ったという。 犯人の高校生は常にナイフを携帯していたことから、余罪を調べたところ、その年の4月に当時23歳の女性を同様の手口で殺していたことが判明。結果的に男子高校生は殺人と強姦致死の罪に問われ、1959年に東京地裁で死刑が宣告され、1962年に22歳の生涯を終えた。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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社会 2020年11月14日 22時30分
各地で銃殺を繰り返した19歳、獄中の作品がベストセラーで文学賞も受賞【衝撃の未成年犯罪事件簿】
前回、「警察庁広域重要指定事件」に指定された少年犯罪2件のうち1件(混血少年連続殺人事件)を紹介した。今回は残る1件の永山則夫連続射殺事件について触れたい。 1968(昭和43)年10~11月にかけて、東京・京都・函館・名古屋といった都市で拳銃による射殺事件が相次ぎ発生した。 >>愛知・千葉・山梨で相次いで若い女性が殺害『混血少年連続殺人事件』【衝撃の未成年犯罪事件簿】<< 被害者は警備員の男性2名、タクシー運転手の男性2名で、衝動的に殺した痕跡があり、2年前に発生した混血少年連続殺人事件の被害者(若い女性3名)とは対照的であった。 それぞれ、使用された銃の形式や弾丸が同じだったため、本事件は広域重要指定108号事件となった。 そして年をまたいだ1969(昭和44)年4月7日、東京都内の専門学校に泥棒目的で侵入した当時19歳の少年が逮捕された。東京・京都・函館・名古屋の殺人はこの少年によるものであることが分かり、5月10日に東京地方検察庁から東京家庭裁判所へ送致されることになった。 この少年・永山則夫は北海道の網走市出身だった。幼少の頃、家庭崩壊が始まり、極貧の生活を続け不良少年となっていた。 やがて集団就職で上京。だが、網走時代の不良時代の発覚を恐れて職場を次々と変え、社会に対する恨みつらみを募らせていたことが犯行のきっかけだったという。 犯罪史の中で永山の名前が伝説化したのは獄中での文筆活動が大きな話題になったためである。1971(昭和46)年に手記『無知の涙』が発表されるとその内容が評価されベストセラーになり、その後も『木橋』、『ソオ連の旅芸人』など小説や手記を次々と発表。 特に『木橋』は第19回新日本文学賞を受賞するなど高く評価されている。 法廷では永山の量刑判断がポイントに。後に「永山基準」と呼ばれ、少年犯罪を罰する際のひとつの基準にもなった。 永山は1997年8月1日に東京拘置所で死刑が執行された。なお同年6月には兵庫県神戸市で当時14歳の少年が児童を殺害した神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)が発生した。日本の少年犯罪はこれをきっかけに、現代の社会問題として再び議論されていくことになる。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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社会 2020年11月07日 22時30分
愛知・千葉・山梨で相次いで若い女性が殺害『混血少年連続殺人事件』【衝撃の未成年犯罪事件簿】
「警察庁広域重要指定事件」と呼ばれる事件がある。これは日本全国の警察機構が協力体制を取り、捜査に当たることを指す。主に被害者が都道府県をまたがって存在し、かつ凶悪犯罪と見なされた際に指定される。 >>中学生2年生が爆弾魔に小倉駅コインロッカー爆破事件【衝撃の未成年犯罪事件簿】<< これまで24件が「警察庁広域重要指定事件」に指定されているが、中でも少年犯罪は2件あり、そのうちの1件が1967(昭和42)年に発生した『混血少年連続殺人事件』である。 被害者は3人の若い女性。最初に殺害されたのは同年12月13日、愛知県豊橋市に住む、当時24歳の主婦であった。主婦の死体は風呂場で発見され、下半身がむき出しになっていたため、性的暴行を加えられ溺死させられたものとされた。 第二の事件は同年12月28日、千葉県我孫子市で当時28歳の主婦が細いひもで縛られ、殺されていた。第三の事件は年が明けて1968(昭和43)年1月16日に山梨県甲府市の住宅街で発生。被害者は当時25歳の独身女性であった。この女性はアイロンのコードで首を縛られ、さらに床には血の付いたソーセージやキュウリが散乱し、局部に突っ込んだ痕跡があったという。 愛知・千葉・山梨と3県で発生した女性連続殺人事件は、手口がほぼ同じということもあり、同一犯人と断定。また、現場近くには必ず20歳前後の長身の男性の姿が目撃されていた。警察は柏市で容疑者の16歳少年を逮捕した。 少年は日本に駐留していたアメリカの兵隊の父親と日本女性のハーフで、父親は朝鮮戦争で戦死。母親はアメリカに渡ってしまい天涯孤独の身となってしまった。 ハーフである少年は「日本社会では差別される」と勤務先の自動車工場を抜け出し日本全国を放浪。金に困ると窃盗や強盗をはたらき、やがて若い女性を性的暴行目的で狙うようになったという。 少年は複数の強盗殺人で無期懲役の判決が下ったが、現在は出所。罪を反省し日本社会で平穏に暮らし存命であれば69歳になっている。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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社会 2020年10月31日 22時30分
中学生2年生が爆弾魔に小倉駅コインロッカー爆破事件【衝撃の未成年犯罪事件簿】
1974年(昭和49年)という年は、日本全国で「爆弾」にまつわる事件が相次いだ年であった。 この年の8月30日に発生した三菱重工爆破事件を皮切りに、三井物産、大成建設といった大手企業が狙われた連続企業爆破事件が発生。予告なき爆弾魔の犯行に多くの人々が恐怖したのだが、実は東京以外の地域でも連続爆弾事件は発生していた。 >>70名以上の少年院生が施設から脱出!?【衝撃の未成年犯罪事件簿】<< 連続企業爆破事件からおよそ半年前、福岡県北九州市で相次いで連続爆弾事件が発生した。最初はデパートの清涼飲料水売り場に空き缶と乾電池を巻いた簡易的な爆弾(爆発せず)が発見されたのを皮切りに、数日後には路上で火薬とクギが入った瓶が爆発する事件が相次いで発生した。 怪我人はおらず、また爆弾そのものも爆発物に知識が深い人物が作ったものとは思えず、警察も重く考えてはいなかったが、3月13日、国鉄小倉駅(現:JR小倉駅)の構内にあるロインロッカーが突然爆発し、5人が重軽傷を負うという事件が発生した。 現場にはクギと電池が散乱しており、これまで発見された爆発物と同様の製造工程であったことから、警察は爆弾魔を小倉駅近辺にいるものとして、捜査を開始した。 そして、しばらくして「近くの公園で爆弾の実験を行っている中学生がいた」という証言を元に、同市に住んでいる14歳の中学二年生のAが容疑者として逮捕した。 Aは、小倉駅爆破事件の前後に、警察に数枚の爆発物の脅迫文を送りつけたことが明らかになっているほか、両親から「最近、家にいる時の息子の様子がおかしい」といった証言が取れており、部屋から爆弾の材料となった乾電池や空き瓶が発見されたためである。 Aは犯行の動機について、「学校で仲間外れにされたため」「世間に対して恨みがあった」といった事を供述していたという。 「中学生の爆弾魔」のニュースは全国に衝撃を与えた一方、後に発生する三菱重工爆破事件とともに、爆弾の恐怖が身近なものになった象徴的な一件と言える。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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社会 2020年10月24日 22時30分
70名以上の少年院生が施設から脱出!?【衝撃の未成年犯罪事件簿】
一度捕まった人物が牢を破り、施設の外に出てしまう行為「脱獄」。 近年(2018年)でも、大阪府警富田林警察署から被疑者1人が脱走。49日間に渡り脱走劇を繰り広げたことが話題になったが、昭和の時代は「脱走」に関してのスケールもまた大きい。 >>不良少年と教授の娘の逃避行「オー・ミステーク事件」【衝撃の未成年犯罪事件簿】<< 今回は戦後、昭和29年(1954年)に発生したトンデモナイ脱走劇を紹介したい。 この年の8月26日、千葉県印旛郡にある特別少年院で多くの院生が一斉に脱出する事件が発生した。脱出した少年院生は、なんと76人に及ぶ。 彼らは授業中に院生が教官に石を投げつけたことをきっかけに、一斉に大暴れ。ガラス窓を割り農作業の道具である鎌やクワ、こん棒などを手に教官に襲い掛かった。 「おい!やめろ」と教官は院生を捕まえようとするが、100人近い少年達が一斉に暴れたため、教官たちは取り押さえることができず、76名の院生が塀を乗り越え、外に出てしまった。 この脱出で、教官2名は割れたガラスで胸を刺されるなどで重傷。飛び出た院生のほとんどが殺人や強盗犯などの凶悪犯罪者だったことから、警察は青くなり、四方八方を尽くして脱走した院生を捕まえに向かった。 幸い特別少年院の近くに住宅はなく、走って逃げるしかないため、42名は警察が午後2時までに無事に保護できたが、残りは取り逃してしまい、東京方面にまで散ってしまった。 だが、当時の少年院生は白いズボンに裸足という姿で目立つため、翌日27日までには逃亡した70名あまりが無事保護された(中には途中で自殺した院生もいたという)。 なぜ、76名もの集団脱走になったか? それは、少年院内の縄張り争いの影響が強いという。 数か月前、印旛特別少年院には、八街少年院、小田原少年院からおよそ100名近い院生が移管してきたという。 そのため、院内では少年院生による縄張り争いが起こり、その結果「少年院を脱出して自由になろう」と有志が作戦を企てたのがキッカケだという。 当時は戦争の影響で不良化する少年も多く、少年院はかなり狭くなっており、若い少年たちは、一日も早く少年院から脱出したかったそうである。 なお、70名を超える少年院生の集団脱出は戦後では類例がなく、この集団脱走劇は今も千葉県の警察内部では有名な話だという。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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社会 2020年10月17日 22時30分
不良少年と教授の娘の逃避行「オー・ミステーク事件」【衝撃の未成年犯罪事件簿】
1930年代にアメリカ中西部で銀行強盗や殺人を繰り返した男女カップル、ボニーとクライド。彼らはカップルかつ殺人のパートナーであり逮捕されるまで多くの銀行を襲い、罪のない人間を次々に殺害した。その奇妙な関係は『俺たちに明日はない』など様々な映画の題材にされている。 >>伝説アウトローの少年犯罪・伊達順之助事件【衝撃の未成年犯罪事件簿】<< さて、そんなボニーとクライドの和製版ともいうべき存在が戦後すぐの東京にいた。1950(昭和25)年9月22日、東京都千代田区丸の内近くで銀行帰りの車が2人組に襲撃され現金を奪われた。奪われたのは日本大学職員への給料約191万円で、輸送していたのは同じく日大に勤めていた職員であった。 警察は日大内部に精通している者の犯行ではないか、と推定し調査を開始。すると日大の職員A(当時19歳)と日大教授の娘B子(当時18歳)が数日前から行方不明になっていることが分かった。 警察は2人が強盗事件の犯人ではないかとし、指名手配された。手口が粗かったこともありAとB子は3日後の9月25日にそろって逮捕された。 捕まった時、Aは頭にハットを被り、上物の上着をまとっていた。B子も同じく時代を考えればオシャレなツーピース姿だった。 彼らは捕まった後もふてぶてしい態度をとっており、取り調べ中も英語交じりで話すなどしていたという。 大学教授の娘であるB子と一緒に家出するため、金欲しさに犯行に及んだという。 Aは勤め先の日大で、B子に一目ぼれし交際に発展した。だが教授の娘で箱入りだったB子の父は、Aとの交際を認めてくれなかった。B子はAに家出することを告げるが、金がないため仕方なく銀行強盗を思いついたという。 本事件は「不良少年と教授の娘の逃避行」として話題になった。本事件の俗称は「日大ギャング事件」であるが、外国かぶれのAが警察に逮捕された時に叫んだとされる「オー!ミステーク!(失敗した)」という言葉をもじって「オー・ミステーク事件」と呼ばれることもある。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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社会 2020年10月10日 22時30分
伝説アウトローの少年犯罪・伊達順之助事件【衝撃の未成年犯罪事件簿】
明治初期から第二次世界大戦終結までの約80年間、アジアには「大陸浪人」と呼ばれる日本人の一群がいた。 戦争で日本側の勢力が拡大した際、男たちは新天地を日本以外の大陸に求め、単独で政治活動および放浪生活を行っていたとされる。 >>節分の日に行われた惨劇「福笑い殺人事件」【衝撃の未成年犯罪事件簿】<< 特に知名度の高い大陸浪人として名前が挙がるのが、後に中国名・張宗援を名乗る伊達順之助である。 伊達順之助はその苗字が表す通り、戦国武将・伊達政宗の直系子孫である。伊達家は華族であり、英才教育を順之助に施したが、正宗の血がそうさせたのか。生まれながらにして素行が悪かったようで、多くの学校を転々としていたという。 学生時代から順之助には敵が多かったようで、登校する際には「いつでも勝てるように」と懐に凶器を隠し持っていたという。 そんな順之助が殺人を起こしたのは、18歳の頃、立教中学在学中の1909年(明治42年)5月13日のことであった。殺されたのは現在の東京都中央区の一帯を牛耳っていた不良学生の一人で、胸には2発の弾丸の跡があった。 順之助と殺された不良学生は前日にイザコザを起こしており、翌日の放課後に決闘を申し込んだ。 相手の不良学生は鉄製の十手を手にして戦ったが、順之助はよほど腹に据えかねたのか、5連発のピストルをいつもの出刃包丁の代わりに仕込んでおり、幼い頃から乗馬と拳銃の訓練を受けていた順之助は2発の弾丸を不良学生にぶち込んだ。 順之助とその一派は殺人罪で逮捕され、懲役12年の判決が出たが、順之助の出身が名家かつ18歳と若かったことなどで、伊達家の雇った弁護士の手腕によって、無罪を得て釈放となっている。 その後、順之助は日本を離れ、中国大陸に渡り、乗馬と拳銃の腕を活かし、中国名を名乗り馬賊(馬を使って荒らし回る賊)となった。 第二次世界大戦が始まると、順之助は日本軍の中国制圧を目的とする別動隊となり、戦後は中国青島にて日本人戦犯として連行され56歳の生涯を閉じた。 人を殺した少年犯罪者が中国へ渡り、戦争に参加していたというアウトローの実話は後に多くの小説の題材にもなっている。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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社会 2020年10月03日 22時30分
節分の日に行われた惨劇「福笑い殺人事件」【衝撃の未成年犯罪事件簿】
「鬼は外、福は内」と声を発しながら豆を撒き、厄除けを行う日本の伝統的な文化である節分。主に2月3日に行われる節分であるが、今から65年前の1955年(昭和30年)の節分の日、東京都八王子市のある神社の一角でとある衝撃的殺人事件が発生した。 >>「俺をハワイに連れて行け!」17歳少年のハイジャック【衝撃の未成年事件簿】<< 殺されたのは、この神社の境内で飲み屋を開いていた41歳の女将であった。当時、東京を始めとする多くの都市では、太平洋戦争の空襲の影響でお店を開店できない経営者が多くおり、神社の境内で商売をする人が多くいた。41歳の女将もそのような焼け出された経営者の一人だったようだ。 女将の殺され方はまさに異様で、血まみれのまま布団をかぶされ、現場にはビール瓶が散乱。さらに顔は鈍器で殴られ、生々しい傷跡が残っていたほか、目には目隠しがされ、首には麻紐が括りつけてあったというのだ。 さらに、発見者でもある女将の長女が確認したところ、預金通帳と印鑑が無くなっており、強盗目的での犯行であることがわかった。 しばらくして、女将殺しの容疑者として21歳と19歳の男性2人が挙げられた。彼らは少年院の同期で、仲がよかったことから2人が共謀して女将を殺したのはないか?という推察に至ったのだ。 そして、事件発生から17日後の2月20日、2人の若者は逮捕された。彼らが女将を殺したのは、やはり警察の推察通り強盗目的のためで、少年院から出所後、電車でたまたま再会した2人は、東京都内をブラブラしていた。 放浪生活の末、金がなくなり、困っていたところで、顔なじみだった神社の飲み屋の女将が小金を貯めこんでいることを思い出し、犯行当日がたまたま節分だったことから、女将に「福笑いをしよう」と誘い、目隠しをしたところで麻紐で首を締め、瓶で殴って殺害したのだ。 2人は前科があったことから後に死刑宣告され、揃って死刑になったという。 本事件は、事件当時は三面の小さい記事であったが、楽しい遊びであるはずの「福笑い」が恐ろしい犯罪に使われたこと、「福笑い」とのイメージのギャップから、今でも語られることの多い事件の一つである。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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社会 2020年09月27日 23時00分
「俺をハワイに連れて行け!」17歳少年のハイジャック【衝撃の未成年事件簿】
2000(平成12)年5月3日、「西鉄バスジャック事件」が発生した。 当時17歳の少年が、人質の乗客1人を殺した。同年に発生した豊川市主婦殺人事件、岡山金属バット母親殺害事件の犯人と同年代で「キレる17歳」と形容されるようになり、後の改正少年法の成立(2000年)のきっかけとなった事件でもある。 >>渋谷のど真ん中でライフル乱射「少年ライフル魔事件」【衝撃の未成年事件簿】<< 実は「西鉄バスジャック事件」からさかのぼること25年、1975(昭和50)年には同じく17歳少年によるハイジャック事件が発生している。それが「17歳高校生ハイジャック事件」である。 夏休みシーズンに入った1975年7月28日午後4時41分。羽田発札幌行きの全日空便が宮城県松島沖の上空でハイジャックされた。 犯人とみられる男は、機長室のドアを強くノックし、手をポケットに入れたまま「俺はハイジャックだ!」と叫んだ。 男はまだあどけなさが残る少年のようで、機長はギョッとしたという。そして男は「ハワイへ行け!」と叫んだ。 搭乗便は国内線だ。「燃料がない」と機長が返答すると犯人の男は激高したが、声は荒らげたものの凶器らしきものはいっこうに出てこないため、機長は犯人の男が凶器を持っていないと察し、「燃料を補給するため羽田へ戻る」と犯人に伝えた。 ハイジャック発生の連絡を受けて羽田空港には、大勢の警察官が待ち構えていた。機長は犯人に「まずは乗客を降ろしてくれ」と要請し、「ハワイへは行けない」と伝えた。行き先をハワイから沖縄へ変更すると、犯人は要件をのんだ。 そのやりとりの最中、警察官7人が航空機内に潜入。機長が「ジュースを飲みたい」とフライトアテンダントに伝え、ジュースが機長室へ運び込まれるタイミングで、警察官7人が犯人を取り押さえ、午後6時ごろに無事に解決した。幸いにも怪我人はいなかった。 犯人は神奈川県に住む当時17歳の高校生。一見普通の高校生だったが、小学生の頃に両親が離婚。以来、精神がすさむようになり、お金をためて北海道へ行こうとしたが、飛行機に乗った後、突然「ハワイに行きたい」と思い立ち、ハイジャックを実行したという。 完全な気まぐれによる犯行。スケジュールが大幅に狂った乗客はカンカンに怒り「なんと身勝手なヤツなんだ」と声を上げていたという。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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社会 2020年09月19日 22時30分
渋谷のど真ん中でライフル乱射「少年ライフル魔事件」【衝撃の未成年事件簿】
「まるで西部劇のようだった」。この事件を肌で知る者たちは口々にそう語ったという。 1965(昭和40)年7月29日、事件は神奈川県座間のある林の中で始まった。松林で18歳の少年Aが空気銃でスズメを撃っていた。この異様な光景にひとりの警察官が尋問すると、少年は隠し持っていたライフル銃で警官を狙撃したのだ。 >>繰り返された殺人…有名銀行強盗事件の少年時代の犯罪【衝撃の未成年事件簿】<< 銃弾は胸を貫き警官はその場に倒れた。さらに駆け付けたほかの警官にも発砲し重傷を負わせ、さらに通りすがりの男性から車を奪い、その後も車を乗り換え、東へと突き進んだ。 午後6時ごろ神奈川を脱出した少年Aが到着したのは、若者や帰宅帰りのサラリーマンが集まる東京・渋谷だった。 「ライフルを持った少年が渋谷に現れた」。このニュースはまたたく間に東京中に広まり、同時に少年は弾切れを心配し渋谷区内にある某鉄砲火薬店に籠城、店員を人質にとった。駆け付けた警察官と激しい銃撃戦が繰り広げられたのだ。 火薬店に籠城している間は弾切れの心配がなく、Aは100発あまりの弾丸を連射した。銃の腕はそれほど高くはなかったものの、周囲が薄暗くなり、弾を滅茶苦茶に撃ってくるライフル魔の銃撃に警察官、通行人、報道関係者ら16人が負傷。さらに立てこもった火薬店は駅の近くであったことから、流れ弾を防ぐために山手線が全線運休するなど大パニックになった。 そんななか、警察隊は催涙弾でAに応戦。人質の店員を盾にして外に出たが、その隙を狙ってひとりの警官が体当たりしAを取り押さえることに成功した。午後7時20分ごろAは逮捕され「少年ライフル魔事件」は終わりを告げた。なお死亡者は最初に座間でAに声をかけた警官ひとりだけだったそうだ。 Aは普段はコックとして働いていたが、年少の頃からガンマニアでハードボイルド小説を読んで「いつか拳銃を心ゆくまでぶっ放したい」と考えたという。 Aは犯行当時、未成年であり1審では無期懲役となったが、2審では自らの希望もあり死刑が言い渡され、事件から7年後の1972(昭和47)年に死刑が執行された。文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)
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学校から盗んだ刃物で女性を切りつける!恐怖の通り魔事件【衝撃の未成年犯罪事件簿】
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