記事の中では、前妻の妊娠が判明した時期に、最盛期だった中野が中絶を懇願したエピソードや、娘自身に命名された名前への不服、離婚後の養育費の未払いや財産分与の不満などの金銭的な問題について列挙されていた。
娘によって語られたその不幸な境遇の内容について、世間の反応と言えば「無責任極まりない」「そんなひどい人とは知らなかった」「勝手すぎる」といった中野に対する批判の声が上がっている。これらは告発した娘の思惑通りといった所だろう。
ところがその一方で、同性である女性からの感想には、「とっくに離婚した元夫の事をネチネチと子供に言い聞かせる母親もどうかしてる」「毒親なんだね」「アラサーでフルネーム出して親のことやら金のこと…」「結局は相続の取り分が減る事を懸念してか。この33歳の娘もどうなの」等、同情の声よりもむしろ母娘に対する批判の声が目立った。
生い立ちは確かに不幸であるにも関わらず、母娘は何故批判される立場となってしまったのか。その答えは、批判の声の主たちの心理の裏側にある。
近年、離婚家庭はそう珍しくはない。似たような辛い境遇であっても、誰に頼るでもなく苦労や努力を経て自立した女性達からすれば、中野を告発した娘の内容はただの「甘え」とも取れる。当然、それを咎めたくなる心理が働きやすいものと思われる。
母親への批判の声については、女性特有の「エレクトラコンプレックス」の関与が挙げられる。「エレクトラコンプレックス」は、同性である母親に対して嫌悪感や対抗意識を抱く状態を指すものだが、女性の御意見番が父親としての中野の所業よりも、母親としての前妻の欠点や失敗の方を批判的に扱った理由の一因と言えるだろう。
また、それらを別としても、他人の毒親ぶりを批判することで自分の考えの正当性、特に子育てについての価値観の正当性を主張したいという心理の働きも反映している。人を批判するという事は、裏を返せば自分の正当性をアピールする事でもあるのだ。
他人の家庭の事情ゆえ、本来なら他人が意見する余地はない。しかし、情報を自ら世間に公開したからには、ある程度の批判は避けて通れないだろう。特に、女性から女性へ向けられる厳しい意見には覚悟が必要である。
文:心理カウンセラー 吉田明日香