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レジャー 2009年05月26日 15時00分
新重賞今昔物語 1999年日本ダービー ダービー馬になることを宿命づけられたアドマイヤベガ
宿命に打ち勝つことはそんなに簡単じゃない。まして、それが一国の宰相になるより難しいといわれるダービーの勝利ならなおさらだ。 毎年1万頭前後の馬が生産され、彼らの夢が濃縮される舞台。18しかないゲートを目指して厳しいサバイバルが繰り広げられるなか、アドマイヤベガほどダービー馬になることを宿命づけられた馬はいないだろう。 父は当時、最盛期を迎えていた不世出の大種牡馬サンデーサイレンス。母は桜花賞、オークスの2冠馬ベガ。所属したのは、サイレンススズカで一世を風靡(ふうび)した橋田厩舎だ。そして鞍上には武豊がいる。オーナーの近藤利一氏はこの馬を手に入れた時、すでにダービーは夢ではなく、手の届く目標としてとらえていたのではないだろうか。 だが、その道のりは連戦連勝とはいかなかった。楽勝かと思われた新馬戦は1着入線→4着降着。続くエリカ賞、ラジオたんぱ杯3歳S(現NIKKEI杯2歳S)を連覇して一気にクラシックの最有力候補に浮上したが、年明け初戦の弥生賞は道悪で2着。皐月賞はマイナス12キロの馬体が影響して6着に惨敗した。 そんな状況で迎えた1999年日本ダービーは、皐月賞馬テイエムオペラオー、同3着ナリタトップロードとの3強対決と騒がれた。潜在能力では文句なしのナンバーワンと評価されたベガだが、強さとモロさが同居したレースぶり、また前走で減った馬体重に対する不安もあり、1番人気はトップロードに譲り、2番人気に甘んじた。 だが、アドマイヤベガのDNAには、宿命がはっきり刻み込まれていた。10キロ増と立て直された馬体には、活力がみなぎっていた。道中はライバル2頭を前に置き、じっくり後方を追走。直線で外に出すとすさまじい瞬発力を発揮し、6年前、母がオークスを圧勝した舞台で頂点を極めた。父にとってはタヤスツヨシ、スペシャルウィークに続く3頭目のダービー馬となった。 鞍上・武豊の好騎乗も光った。トップロードの渡辺、オペラオーの和田は当時、ともに経験の浅い若手でダービーのゴールを目前に勝ちを急いだ。その点、武豊はギリギリまで追い出しを我慢した。前年、スペシャルウィークで念願のダービー初制覇。あれで勝ち方をしっかりつかんだのだろう。アドマイヤベガの天才的な切れ味を、天才が見事に引き出した一戦だった。
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芸能 2009年05月26日 15時00分
芸能界事件簿 故・岡田有希子さん(1)
トップアイドルだった岡田有希子さんが所属事務所のビルの屋上から飛び降り自殺を遂げたのは、1986年4月8日のことだった。享年18歳だった。 うつ伏せにアスファルトに叩き付けられた体、その頭部から脳みそが飛び出していた光景はあまりにも衝撃的だった。飛び降り直後の写真は、一部写真週刊誌にも掲載され大きな話題になったほどだ。 清純派アイドルの人気絶頂の最中での突然の死にマスコミは、その死因をめぐってさまざまな説や憶測を唱えたが、今でも真相は薮の中である。 当時取材に当たっていたベテラン芸能記者が話す。 「岡田有希子の自殺の原因は諸説ありますが、当時騒がれたのは85年に共演した俳優の峰岸徹に失恋したからという理由だった。さらに、それ以前に交際していたレーサーが練習中に事故死したことがショックだったという話も。最終的には峰岸が釈明会見を開くことで事態は沈静化していきましたが、その後も都市伝説のように峰岸説は残りました」 自殺当日、岡田有希子さんの様子は明らかにおかしかった。 午前10時ごろ、青山の自宅マンションで手首を切った上で、ガス自殺を図ったのだ。異臭に気づいたマンションの管理人が110番通報したところ、自宅室内には手首から血を流し真っ青な顔をした岡田有希子さんの姿があったという。 病院に搬送された岡田有希子さんのケガは幸い軽症ですぐに退院。駆けつけたマネージャーとともに、事務所関係者が彼女から事情を聞くために所属事務所へ向かったという。
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スポーツ 2009年05月26日 15時00分
ボクシング 内藤大助完敗! 挑戦者の熊にタジタジ
WBC世界フライ級王者の内藤大助が25日、東京・後楽園ホール展示場で前日計量を行い、リミット一杯でパス。ところが、開催地が東京になったことで、知人からチケットをせがまれ、世界王者がブローカーの役割を担うハメに陥っているという。そればかりか身長、リーチで劣る挑戦者・熊朝忠にアピール合戦でヒケを取るなど、“前哨戦”で完敗した。 同級10位の熊と5度目の防衛戦に臨む内藤。直前で中国・上海での興行が中止になり、開催地が東京に変更、異例のワンマッチ興行になるなどゴタゴタに巻き込まれた。 トラブル発生にコンディションが懸念されるが、「もう(気持ちを)切り替えるようにしました。いろいろバタバタがあったけど、試合では全力を出し合っていい試合がしたい」とキッパリ。必勝を誓った。 計量もリミット一杯の50.8キロでパス。最年長防衛記録更新に向けて万全の態勢を整えた。直前に会場が変更になり、移動の負担がなくなったこと含めると王者が圧倒的優位に思えるが、そうでもない。 「僕に関しては問題ないですけど、昨日とか『チケットを取って』って直接、僕自身のところにすごい量のメールが来ちゃってさ」と代替開催の影響が及んでいることを明かした。 事務所を紹介し、その場はなんとか切り抜けたが「最初は勘弁してくれよ、と思っていた」と本音をポツリ。試合2日前になって内藤自身が“上海ショック”の余波を受けているのだ。 さらに内藤は身長で12.5センチ、リーチで14.5センチと大きく上回っているが「あのぐらい身長だと逆に低すぎてびっくり。(パンチが)当たんないかもしれない」と警戒心を強めた。 内藤はマッチョポーズで筋肉を誇示してみせたが、逆に挑戦者から片手腕立てを見せつけられた。そのパワーを目の当たりにし「もういいよ」と白旗を上げた。 上海ショックに加え、肉体美対決でも不覚を取り、精神的に追い詰められている内藤。本来は1階級下の相手に、試合では王者の意地を見せつけることができるか。◎熊ベルト奪取宣言 挑戦者の熊朝忠もリミット一杯でパス。王者としての凱旋を誓った。 24日に急きょ来日した熊は「(アウェーは)いい経験になる。世界タイトルに挑戦できるだけで、言葉にならないくらいうれしい。世界チャンピオンになるのは子供の頃からの夢だった」と目を輝かせた。 実家が農家でバナナ採りや炭鉱労働などで力をつけたという挑戦者は「僕はパンチをよけるのがうまい。(内藤のパンチを)よけて(自分が)パンチを出していきたい。(母国に)いいニュースを持って帰りたい」と世界一の土産を持って帰ることを約束。「単純に僕の方が若い」と挑発していた。 なお、この日は北京五輪バンタム級金メダリストのバダルウーガン・エンクバット(モンゴル)がJBCを表敬訪問した。 「日本では白鵬、朝青龍が相撲で活躍している。私も高い目標をもってやれば必ず(世界王者になるという目標を)達成できる」と見据えていた。
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スポーツ 2009年05月26日 15時00分
DREAM カンセコ“満塁弾”予告
いよいよきょう26日にゴングが鳴る「DREAM.9」(横浜アリーナ)の公開会見が25日、東京・新宿ステーションスクエアで開催。スーパーハルクトーナメントのチェ・ホンマン戦で総合デビューする元メジャーリーガー、ホセ・カンセコが巨人狩りを宣言した。 約5000人の観衆が集まった会見。注目が集まったのは、カンセコだった。対戦相手の韓流大巨人と初対面を果たし「ホンマンは巨大。サップよりでかいヤツを見たのは初めてだ」と武者震い。「正直怖いけど、アドレナリンは出っぱなしだよ」と息巻いた。 決して怖気づいてはいない。「彼は投手で言えばジョンソン。ランディーは身長も6フィート10インチ(約2メートル8センチ)あって、打者を威圧する雰囲気がある。でも打てないわけじゃない」とホンマンを現役大リーガーの豪腕投手ランディー・ジョンソンになぞらえ「ミーが総合格闘技版のグランドスラム(満塁ホームラン)をかっ飛ばしてやる」と意気揚々だ。 また、フェザー級GP2回戦で1年5カ月ぶりにリング復帰を果たすKIDも必勝宣言。ジョー・ウォーレンを前に「オレの方が強いなって思っちゃいました」と余裕の態度だった。
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その他 2009年05月26日 15時00分
海のエジプト展入場券プレゼント
ミステリーマニアが注目する「海のエジプト展 -海底からよみがえる、古代都市アレクサンドリアの至宝-」(主催=朝日新聞社ほか)が6月27日から9月23日まで、横浜・パシフィコ横浜ホールDで開催される。 フランスの海洋考古学者フランク・ゴディオ氏が90年代から続けてきた、アレクサンドリア、ヘラクレイオン、カノープスという3つのエジプト海底遺跡の発掘成果を紹介する。話題の国際巡回展がいよいよ日本に上陸だ。 本展の入場券を100組200人にプレゼント。 ※プレゼントの応募は締め切りました。
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トレンド 2009年05月26日 15時00分
BESTチョイス 伊豆長岡温泉「定額給付券」キャンペーン
100年に一度の経済危機と言われるいま、地域活性化の景気対策を! 静岡県の伊豆長岡温泉旅館協同組合では「定額給付券」キャンペーンを実施中。鎌倉時代から名高い名湯にゆっくり浸かり、海・山の幸を味わい、美しい富士山や天城連山を眺めて日本経済を活性化させよう。
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トレンド 2009年05月26日 15時00分
オヤジの磨き方 女性への贈り物に花束は鉄板
ビリヤード仲間のSさん(45)から「知り合いの女の子が誕生日なんだけど、何をあげたら喜ぶかなあ」と相談を受けました。この時点でゲームは私の10連勝中。きょうのSさんはプレーに集中できていないな…と思っていたのですが、なんのことはない、ずっと女性のことを考えていたわけです。 私はキューにチョークを塗る手を休めず、「花束がいいですよ」と即答しました。ちょっとスカしすぎかもしれません。しかし、そのくらい“鉄板”の回答なのです。 女性は年齢、職業、性格にかかわらず花が大好きです。その証拠に母の日にはカーネーションをあげるでしょう? 父の日に花を贈る習慣はありません。 相手の女性が何歳であろうと、そしてどのような関係であっても、花束のプレゼントは間違いなく喜んでもらえます。いい例えではありませんが居酒屋で「とりあえずビール」と注文するぐらい確実です。 注意してほしいのは、花束の構成をフラワーショップまかせにしないこと。値段が安いのでかすみ草は大盛りで。彼女のイメージに合う花を1つだけ選び、その名前を聞いておきましょう。花束を買うくせに、中途半端に照れるのはやめてください。 ただし、花言葉を気にするナルシストオヤジにだけはならないように。「花言葉は…」なんて寒すぎます。 ちなみにSさん、花束を贈った20歳年下の彼女とうまくいったそうで、最近ビリヤード場に来なくなってしまいました。(ジゴロライター・紫三太郎)
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その他 2009年05月26日 15時00分
競輪人国記 岡山(2)
一時、「岡山ハンドル」というのが流行った。競りやすいようにハンドルを太くして相手のハンドルをこじあげるのだが、このハンドルを作ったのは西谷康彦(40期)だった。最初は29期の試験を受けて不合格。家業を継いだが、29期の阿部良二(岩手)の活躍を見て「阿部があんなに活躍できるなら俺にもできる」と40期を再受験した。東京の山口国男と仲が良く岡山勢は「かくれフラワー軍団」といわれた。競りに強くスタートも速かった。 片岡克己(42期)は昭和51年の千葉日本選手権での新井正昭(埼玉)の逃げ切りを見て競艇選手希望から競輪選手に変わったという。体の大きな片岡にとっては競輪選手への志望変更は正解だった。 自転車に乗り始めて3カ月で42期の試験に合格したのだからすごい。昭和53年10月にデビューして10連勝特進でA級に上がり、実は41期の適性組の試験を受けようとしていたから、41期にはすごいライバル意識を持っていた。特に村岡和久(福岡)や原田則夫(新潟)にはファイトむき出しで闘いにいった。 45期の峰重竜一は先行まくりで鳴らした峰重和夫がおじさんにあたる。小柄な体だが、番手勝負専門で昭和57年の小倉競輪祭新人王を獲った時は松枝義幸(47期)−佐古雅俊(現在・徳島)について、松枝がカマすと「3番手でも勝てる」と自信満々で、タイトルを獲ったのに、それほど感激した表情もみせなかった。相撲の千代富士に似た感じで勝ち負けに淡々とした表情を見せたのも共通した感じだった。
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社会 2009年05月26日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(49)
腸出血で生死の境を彷徨(さまよ)った後、数カ月は床に伏せったものの、職場に復帰すると、また忙しい日々を送る徳次だった。発病後、1年半以上が過ぎていた。しかし「この際、少し療養したほうがいい」という周囲の勧めに従って塩原で湯治することにした。 仕事を何とか一段落させて、何度目かの引き継ぎも終え、出発の日を迎えた。 9月1日、その日は朝から異様に蒸し暑い日だった。空はどんよりと曇り、風ひとつない。午前11時、徳次は家を出た。文子と煕治、克己が門まで見送った。 生まれて初めての保養に一人で出かけるのを躊躇(ためら)う徳次に、巻島も2、3日付き合おうと約束してくれた。そこで、町内の巻島の家に寄った。上野には午後2時迄(まで)に到着すれば、列車には充分間に合う。 巻島の家でしばらく話をして、出発の前に散髪してこよう、と言った。時計は11時58分を指していた。その途端、徳次は座敷の片隅まで一気に跳ね飛ばされた。それからは、まるで大波に揺りあげられるような震動。言葉で言い表すことのできないような音響が辺りを包むように響いている。 障子がバタバタと倒れ、砂埃が渦を巻いて入ってきた。外からは人の叫び声がする。畳全体が波打つ。電灯の笠が落ちて大きい音を立てた。部屋の壁が落ち始めた。やっと這うようにして店まで出たが、徳次も巻島もすっかり気が動転していた。 「巻島さん、旅行どころではない。私は帰ります」。徳次は傍にあった座布団を被(かぶ)り外に飛び出した。 外に出て目にしたのは倒壊した家屋の数々、往来には悲鳴を上げ逃げまどう人々、倒れている怪我人、それらがもうもうとした土埃に包まれている。 1時間前に通った時とは姿が一変してしまった街。地面は一瞬も止まることなく上下している。巻島宅と徳次宅は目と鼻の先、200メートルほどの距離だったが、家まで帰るのがやっとだった。
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社会 2009年05月26日 15時00分
永田町血風録 総選挙へ“党内抗争”の激しさ増す民主党
民主党に、「鳩山─小沢」に対抗する“派中派”が誕生した。 党代表選で鳩山由紀夫に敗れた岡田克也を支援してきた議員たちが、東京都内で会合を開いた。そこで、その「岡田を支える有志会」が、会合を定期的に開く方向でまとまったのだ。 岡田は、小沢一郎前代表とは一線を画してきていて、党内では抵抗派とまでいわれていた。 「小沢は西松建設事件での責任説明をいまだに果たしていないのに有志を集めて、しかも民主党最大の支援団体である日本労働組合総連合会(連合)にうまく取り入って、影響力を保持しようとしている」(反小沢派議員) もともと連合は、旧社会党の支援母体だった。会長の高木剛はいつの間にか小沢に媚(こ)び諂(へつら)って、民主党の“御用団体”になってしまっている。今回の鳩山と岡田の党首争いで戦う前から鳩山有利となったのも、連合が鳩山を後押ししたからといわれている。 連合内部では、小沢の進退について代表続投と交代を求める声が交錯し、小沢との距離が広がった。だが、鳩山が小沢を総選挙のために筆頭代表代行にしたことで、連合と岡田との距離はさらに広がってしまった。 そこで岡田を応援してきた若手議員が中心になって、岡田の党内での存在感、発言力を保持しようと行動に打って出たといえる。 ある政治ジャーナリストが言うには、「民主党内で反小沢派の派中派が生まれることは時間の問題だった。主要メンバーには、党内では相当の実力者がそろっている。うかうかしていると、鳩山は足元を掬(すく)われかねない存在になる」そうだ。 岡田のほか副代表の前原誠司、幹事長代理の野田佳彦、川端達夫ら党内グループのトップも、名を連ねている。それに、今では党内ですっかり存在感が薄れた代表代行の1人、菅直人もグループのメンバー60人を引き連れてこれに加わった。 菅が「この岡田グループに加わっていないと、解散後、総選挙になった時、党内での身の置きどころがなくなる公算大」と読んでのことなのは、想像に難くない。さらには、党内での発言権を維持しようとの思惑も見え隠れする。 しかし、鳩山はその程度のことは歯牙にもかけていない。まずは自らの足元を固めようと地方遊説に力を入れている。それも小沢流に近いやり方で…。 「この派中派の出現が、かえって鳩山の闘志を掻き立てることになった。これまで以上に民主党はおもしろくなってくるよ」(前出・政治ジャーナリスト) 総選挙は間近。各種の世論調査ではわずかな差とはいえ、民主党有利が伝えられる。“党内抗争”も含めて、その動きからますます目が離せなくなってきたということか…。(文中敬称略)
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