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競輪人国記 岡山(2)

 一時、「岡山ハンドル」というのが流行った。競りやすいようにハンドルを太くして相手のハンドルをこじあげるのだが、このハンドルを作ったのは西谷康彦(40期)だった。最初は29期の試験を受けて不合格。家業を継いだが、29期の阿部良二(岩手)の活躍を見て「阿部があんなに活躍できるなら俺にもできる」と40期を再受験した。東京の山口国男と仲が良く岡山勢は「かくれフラワー軍団」といわれた。競りに強くスタートも速かった。
 片岡克己(42期)は昭和51年の千葉日本選手権での新井正昭(埼玉)の逃げ切りを見て競艇選手希望から競輪選手に変わったという。体の大きな片岡にとっては競輪選手への志望変更は正解だった。

 自転車に乗り始めて3カ月で42期の試験に合格したのだからすごい。昭和53年10月にデビューして10連勝特進でA級に上がり、実は41期の適性組の試験を受けようとしていたから、41期にはすごいライバル意識を持っていた。特に村岡和久(福岡)や原田則夫(新潟)にはファイトむき出しで闘いにいった。
 45期の峰重竜一は先行まくりで鳴らした峰重和夫がおじさんにあたる。小柄な体だが、番手勝負専門で昭和57年の小倉競輪祭新人王を獲った時は松枝義幸(47期)−佐古雅俊(現在・徳島)について、松枝がカマすと「3番手でも勝てる」と自信満々で、タイトルを獲ったのに、それほど感激した表情もみせなかった。相撲の千代富士に似た感じで勝ち負けに淡々とした表情を見せたのも共通した感じだった。

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