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スポーツ 2009年06月01日 15時00分
球界因縁のライバル(9) 江川VS掛布(下)
アテネ五輪で日本代表監督として現場復帰した長嶋監督。2003年11月に札幌ドームで行われたアテネ五輪アジア最終予選から指揮を執ったが、実は幻に終わった衝撃の組閣案があった。子飼いの中畑清氏が務めた日本代表ヘッドコーチに江川卓という、長嶋監督が温めていた切り札があったのだ。 「誰もが驚く強烈なインパクトがあり、長嶋ジャパンの超目玉になるし、江川にとっては巨人監督への重要なワンステップになる。それなのに、江川の方が断ってきた。長嶋さんの親心がわからない、親不孝者だよ、アイツは」 長嶋人脈の球界OBはこう吐き捨てた。 実は、掛布氏にも同じような現場復帰のチャンスがあった。千葉を本拠地にしたロッテが地元・習志野高校出身の元ミスター・タイガースにアプローチ、「将来の監督含みの話で打撃コーチに就任してほしい」と要請したのだ。しかし、掛布氏の言葉にロッテ関係者は絶句したという。「僕はコーチの器ではありませんから」と断ったのだ。つまり「僕は監督の器ですから、コーチはやりません」ということなのだろう。 アテネ五輪日本代表・長嶋監督が究極の案として、江川ヘッドコーチを招請、巨人監督へのステップにしてあげようとしたのに引き受けなかったのと、全く同じだ。江川氏、掛布氏の頭の中には「監督」しかないのだろう。 現役引退の際も元祖・怪物投手とミスタータイガースは酷似した道を歩んでいる。故障禍もあったが、88年に33歳の若さで電撃引退、チーム内に波紋を呼んだ掛布氏。尊敬する千葉の大先輩、長嶋氏には電話で相談した事実を後日、明かしている。テレビ、スポーツ紙共に巨人系列に籍を置いたのも、長嶋氏の影響からだといわれている。 江川氏の方は、1年早く87年に13勝しながら、突然引退を表明している。「ボロボロになっている右肩の禁断のツボにハリを打った」という問題発言に対し、鍼灸師たちが怒り抗議の声を上げたことに、謝罪する一幕まであった。 余力を残しながらの電撃引退劇。そして、人気ライバル球団の巨人、阪神の元スター選手として年間、億単位のギャラをもらいながら派手なタレント活動を展開する。これでは、とても安い年俸でコーチを経験して、管理職を勉強する気にはならないのが人情か。 想像するに、2人の頭の中には中日、阪神で監督を務め成功した星野仙一氏と、中日・落合博満監督の存在があるのではないか。「コーチを経験しなくても、星野さん、落合さんは監督として実績を上げたのだから、我々にもできるはずだ。できないワケがない」という思いだ。星野氏は北京五輪日本代表監督として大火傷したが…。 「日本のプロ野球の監督はたった12人しかいない。自分がなりたくてもなれるワケではない。縁とか、その時のタイミングが合わなければ、なれるものではない。だからコーチとして呼ばれたら、喜んで行くべきだ。そこから監督への道が開けることもあるのだから」 コーチ、監督を経験した球界OBの、この言葉には実感がこもっている。 現実に「将来の監督含みのコーチの話を蹴った、あれが最大の過ちだった」と悔やむ球界OBもいる。元祖・怪物投手VSミスタータイガースという2人のライバルに、野球人生の最終章で奇跡の大逆転ドラマは起こるのか。
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社会 2009年06月01日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(54)
潮が満ちて来たらしく、徳次の乗った伝馬船は橋の下から、岩出屋の油倉庫が並ぶ岸のほうに近づいて行った。油倉庫は炎に包まれ、焼け落ちる寸前のようだった。 伝馬船は今や倉庫と至近距離になっている。このままでは油倉庫は爆発する、そう思って冬用外套、モーニング、帽子を脱ぎ捨ててワイシャツだけになり、水中に跳び込んだ。3、4メートルやっと泳げる程度だったが必死にもがいて、橋下の台座に辿り着いた。その直後、大音響とともに油倉庫が焼け落ちた。 火の海が渦を巻いている。その中からいくつも火柱が立った。熱で真空になっているところへ空気が動いたために起きた突風が人、トタン板、家と、あらゆる物を吹き飛ばした。いったん上に上がってから方向を変え、横に向かって飛んで行くのだった。 先程(さきほど)まで乗っていた伝馬船は影も形もない。徳次は履いていた靴下の片方を脱いで鼻孔と口を塞(ふさ)ぎ、吹き付ける熱い煙を防いだ。台石にしがみつき、水面にちょっと顔を出して水中に頭を入れたままでいた。水面すれすれのところは煙の影響が比較的少なく、何とか呼吸ができた。タライが流れて来たので頭から被ったが、しばらくするとそのタライが燃えだしたので捨てた。 日が暮れかけてきた。一時は水面に人の首ばかり見えたが、今は数えるほどしか残っていない。死体がいくつも漂い徳次の体に触れるのだった。 顔や手足を火傷していることに気が付いた。気が付いた時にはヒリヒリしたが、だんだん痛みが激しくなっていった。 日はとっぷりと暮れていた。日が暮れるにつれて、両岸の火の勢いもようやく弱まってきていた。吹き荒れていた熱風も少し衰え、川の水も湯のようだったのが徐々に冷めてくるのが感じられた。 しかし、上げ潮で水嵩(みずかさ)が増し、水中で立っていられなくなったうえに腹が痛み出した。そこで自分を“落ちつけ、元気を出せ”と励ますように、昨日練習した謡曲の船弁慶を謡(うた)ってみた。声は震えていたが、出来はよかった。
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トレンド 2009年06月01日 15時00分
高橋四丁目の居酒屋万歩計(1) 「ダイヤ菊」(だいやきく、居酒屋)
JR・東京メトロ銀座線、新橋駅から徒歩70歩 映画監督小津安二郎が愛してやまなかった酒、ダイヤ菊。長野県茅野市にあるダイヤ菊酒蔵によると、その命名は金剛石であるダイヤモンドと、日本の秋を象徴する菊と、良いものをふたつ並べたのであると。 「酒蔵 ダイヤ菊」は昭和26年に新橋駅東口に直営店を開き、46年にこの場所に2号店を開いた。酒の名を名乗る東京唯一の特約店は、ほかのブランドは置かない。店は父から娘へ継承された。そうして、新橋という立地がいい。北鎌倉に住んでいた小津も、ここへなら一本で来られる。 小津は、後期の名作群を共同執筆していた脚本家野田高悟と、蓼科にある農家風の大きな別荘「無芸荘」にこもって、書いては飲み、飲んでは書き、脚本一本しあがるころには「天の美禄」ダイヤ菊の一升瓶30、40本を空にして、ずらりと並べてその戦果としていた。 「蓼科の夜中、二人の初老の男がクックッと笑いながら書いていたに違いない」(「小津安二郎日記」都築政昭著、講談社)シナリオとは、たとえば最後の共同執筆作となった「秋刀魚の味」のラストシーン近く。娘の結婚式を終えて礼服のまま知り合いのバーに立ち寄った笠智衆が、「今日はどちらのお帰りーーお葬式ですか」とママに問われて、「うーむ、ま、そんなもんだよ」と答える場面だろうか。 松竹を、小津を離れた、映画監督吉田喜重氏でさえも、「最後に到達した小津さんらしい至芸の諧謔ぶり」(「小津安二郎の反映画」岩波書店)ともらす、だれも文句のつけようがない脱帽の台詞。 このシナリオの執筆中に小津の母が他界する。小津は生涯独身。散髪屋で結婚の話題を振られて「不愉快なり」などと若き日の日記に書いているような男で、母は最愛の母であった。葬儀を終えて蓼科へ戻った小津は、日記に書く。「もう下界はらんまんの春、りょうらんのさくら。此処にいてさんまんのぼくは『さんまの味』に思いわずらう。さくらはぼろの如く憂鬱にして、酒はせんぶりの如くはらわたににがい」。酒はいつも甘露ではなく、これもまたダイヤ菊の味だった。 ところで隣席のカウンター客が気になってならない。この青年、どうみても小津ファンなのだ。さっきから挙動が怪しい。満足げな顔が怪しい。わたしに親切なのがさらに怪しい。 キミね、わたしはね、小津映画は好きだけどファンじゃない。どう違うか? んなことどうでもいいの。ダイヤ菊に飲まれてもいいけど、小津安二郎に飲まれてはいけないよ。 いくら三上真一郎氏(俳優)が、小津監督のダイヤ菊のお燗が「決まって温度は55度」と証言しているからといって、お店にそんなこと要求しちゃいけない。 ええっ、してくれるの! じゃ、わたしもそうしてもらおうかなっと。(注・してくれませんのでそのように)予算3000円東京都港区新橋2-16-1 ニュー新橋ビルB1
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トレンド 2009年06月01日 15時00分
高橋四丁目の居酒屋万歩計(2) 「津國屋」(つのくにや、居酒屋)
JR田町駅から徒歩670歩 慶応義塾大学三田キャンパスの足下に、木造二階建ての面構えのいい居酒屋がある。入り口の両側に、それぞれ一畳はあろうかと思われる藍染め地が、2枚張られている。それが目印。1枚は「酒処」、1枚は屋号「芝 三田 津國屋」。それぞれ白く染め抜かれ、折からの風にあおられて、生きのいい魚のようにばたついている。 福沢諭吉が作った江戸随一の英学私塾が、慶応4年(1868)に芝に移転して、慶応義塾。同年、元号が明治に改まり、そろそろ津國屋に酒林が下がる。ここはそのむかし酒屋だった。 諸国の酒は半紙に墨書され、出身や特性は赤い墨汁(こうとしか言いようのないあの朱文字)で添え書きされている。ここでは居酒屋にありがちな雑多さは嫌われて、それらはあくまで整然と貼られ、代々そのような商いをしてきたのか、半紙もまた清浄である。 誰何(すいか)される。予約ではない、と応じる。ならば、としかるべき卓へ導かれる。男2人が頬を緩める、至上の瞬間がきた。まず「千代の光」をそう言う。相方は「酔鯨」から始めるようだ。いずれも特製の海の色をしたガラスのお銚子に移して供される。次に「加賀の庄」をそう言う。その次の「月に雁」が大当たりだったので、すかさず追加。秋田の酒であることを朱文字に教わる。 あては、きうり漬け、飛び魚の刺身、あじす(鯵酢)、メンチカツ、鯛頭。いずれも外れはなし。 腹もくちくなり、互いに顔に赤い墨汁が差してきたので、そろそろ上がろうとすると、女将が「本日のお品書き」というコースメニューを持ってきた。九品で2400円なのだという。 今夜の勘定は2人で6000円だったので、コースでもよかったようなものだが後の祭り。このコースを10組以上のお客に時間差で出していくのは手間だろう。料理は注文されてもすぐ出来ない場合がある、と釘をさされたのはそういうことだったのかと納得。後ろ髪引かれた「本日のお品書き」とは、一、前菜 いか薩摩揚げと厚焼き卵の盛り合わせ一、お刺身 旬の刺身盛り合わせ一、サラダ 厚揚げと水菜のサラダ一、煮物 ふろふき大根帆立貝のあんかけ一、オーブン焼き 帆立貝のガーリック風味オーブン焼き一、揚げ物 鳥唐揚げとメンチカツの盛り合わせ一、本日の一品 鳥もも肉の照り焼き 温野菜添え一、お食事 オムソバ一、香の物 香の物の盛り合わせ なんとも、堪(たま)りませんな。隣の卓では慶応義塾大学国際センターの「アジア・オセアニア文化研究所」(そんなものがあるかどうか知りませんが)帰りとおぼしき、日本人および異国の方々が男女織り交ぜて、まずは前菜からおいしそうに食べてらっしゃいました。 女将の後出しはまだ続いて、昼の定食もおさおさ怠りない物を供しているのでよしなにという。そうでしょう、そうでしょう。そりゃ、そうでしょうよ。予算3000円東京都港区三田2-16-8
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トレンド 2009年06月01日 15時00分
高橋四丁目の居酒屋万歩計(3) 「やき屋」(立ち飲み)
JR中央線、荻窪駅北口から徒歩130歩 着座するや挨拶もそこそこに酒を飲み始めるので、新入会員が肝をつぶす俳句結社「れいの会」の月例句会は、モダーンアパートメントハウスを併設する荻窪の瀟洒な旅館西郊で開催されている。 2000年(平成12)秋に始めた句会はすでに100回を越した。その間には物故者2名、見解の相違で袂(たもと)を分かった同人1名、俳句に満腹したと卒業宣言した同人4名、食傷したと自主退学していった同人2名、兼題(宿題)が面倒くさくなってずる休みに入ったまま現在に至る同人5名、姿を消した。 それでもなんとか、まだ毎月8人は参集するのだからしつこい、いや熱意がある。 月例会にはひとり5句を提出する決まりなので8人出席なら全40句。その中から詠み人が明かされない5句を選句し、さらに持参した土産を授与すべき特選1句を選ぶ。自分の句が座で選者から読み上げられ、密かに得点を重ねていくのは嬉しいが、1点も入らなければ軽く傷つく。座を捌(さば)く宗匠が、選句の理由をそれぞれに尋(たず)ねる。選句しておきながら選者という者はどこか批判的で、土足でアーチストの感じやすい心にずかずかと上がり込んでくる。その丁々発止は4時間に及ぶ。 最後の最後に詠み人が明かされたときには喧嘩寸前になったこともある。清記という、たがいの筆跡を消し去るために分けあって清書する作業も、得てしてトラブルの種になる。あってはならないことなのだけれど、漢字を写し間違えたり、てにをはを違(たが)えたりすることもある。そんなときには、救いようのない駄句の作り手ほど激高するものだ。わたしだ。これこそ、本当にあってはならない。座の文芸は、遊びとして高い自制心が要求されるのである。さて、カッカと火照って一向に冷めやらぬ頤(おとがい)と頭をクールダウンさせるのは、またしても酒。皮肉と自嘲と強弁と言い訳がないまぜになった、口角泡を飛ばす老人の主張を聞いてくれるのも結局一座の連中でしかなく、事実上クールダウンなど出来はしない。 しかし(1)、やき屋は、立ち飲みなので適度にくたびれる。そうして(2)、やき屋は、いつも混んでいるので長居はできない。だからちょうどいい。おまけに(3)、やき屋は、イカ料理の専門店でありながら驚くほど安い。 「れいの会」の宗匠は俳人明石令子さん。<蒲公英のはびこり少女出奔す>という句で、師である藤田湘子氏主宰の俳句専門誌「鷹」の、平成元年の新人賞を獲得されている。明石令子さんの師匠が、藤田湘子。藤田湘子の師匠が、水原秋桜子。水原秋桜子の師匠が、近代俳句の始祖正岡子規。われわれは令子宗匠の弟子なので、僭越(せんえつ)ながら子規のひ孫弟子ということになる。 「れいの会」が、アラカン(還暦でこぼこ)男たちの老後の無聊(ぶりょう)をかこつ、そのために発案されたことは言うまでもない。ちゃんとした宗匠さえ見つけられれば、句会は誰にでもできます。予算1400円東京都杉並区上荻1-5-6
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その他 2009年06月01日 15時00分
「東京ダービーTシャツ」を読者5人にプレゼント
3日(水)に行われる「第55回東京ダービー(SI)」を記念して、5人に「東京ダービーTシャツ」をプレゼント。 ※プレゼントの応募は締め切りました。
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その他 2009年05月30日 15時00分
6・1内外60周年記念イベント「そして…」ディファ有明にて
内外タイムス社は60周年記念イベントを6月1日に都内ディファ有明で18時30分から開催します。各界著名人も多数参加。一般読者もふるってご参加ください。 当日は著名人との写真撮影、握手会なども予定しております。またプロレス・チケットを先着順でプレゼントいたします。(入場無料)
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芸能ニュース 2009年05月30日 15時00分
松山ケンイチ舞台挨拶に藤川ゆり議員登場
映画「ウルトラミラクルラブストーリー」が、6月6日からの全国公開を前に、5月30日(土)、主演の松山ケンイチと横浜聡子監督の故郷、青森県内で先行公開された。二人は八戸フォーラムで舞台挨拶を行った。 「おふたりは青森の出身ですが、青森を活性化する方法は?」というファンからの質問に、「映画を通して、青森をみせていきたい」(横浜監督)、「僕はいつまでも青森の人間だと思いつづけること」(松山)と返答した。 また、公開を心待ちにしていた、青森出身で、≪世界一美しい政治家≫に選ばれた八戸市市議会の藤川ゆり議員が、花束を持って客席から登場。「日本では農業の地位が低いけど、松山さんのようなオーラがとても凄い俳優さんが、陽人のような農業青年を演じていて、これからもっと憧れる人が出てきてくれたらうれしいです」と発言。農業の担い手不足解消なるか? また映画については、「世界観が深くて素晴らしい。今度はおふたりにぜひ八戸を舞台にした映画を撮って欲しいです!」と語った。
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レジャー 2009年05月30日 15時00分
日本ダービー(JpnI、東京芝2400メートル、31日) “ミリオン男”石沢記者はトップカミングと心中
何度となく重賞好走歴があるのに、まったく人気が上がらない不思議な馬。トップカミングを狙い撃ちだ。 全成績(2)(2)(1)(7)(4)(3)(3)(3)(3)(1)(3)着が示すように、安定感は間違いなく世代トップクラス。ただ、一頭になると力を抜く悪癖があり、勝っておかしくないレースをいくつも落としてきた。 とくに前走・青葉賞(3着)がその典型だ。直線半ばでいったん、先頭に立つまでは完ぺきだった。しかし、一頭になった途端、右にフラリ、左にフラリ。手応えは勝ち馬アプレザンレーヴを上回っていただけに、もどかしさだけが残るレースだった。 この集中力のなさでは到底、ダービーで◎には推せないと思っていたが、この中間、陣営は対策を講じてきた。ノーマルハミから制御力が強いDハミにチェンジ。これが効果てきめんだったと中川助手はいう。 「何度も同じ競馬が続いとるからな。急にハミを替えて馬が戸惑わないか心配してたんやけど、先週の追い切りでハミをグッと受けてくれた。こちらの想像以上にうまくいった」 さらに、8キロ減だった前回の反省を生かし、今回の直前は「機嫌を損ねないように」(同助手)終いサラッとのソフト調教に変更。これもハミ同様、絶大な効果を与えている。中川助手は「前回は負荷をかけすぎたが、この中間はメリハリを利かせたいい調教ができた。これで対策はバッチリや」と満面の笑みだ。 ここに向けて徐々に距離を延ばしてきたことも好感。くみしやすいプリンシパルSではなく、あえて強敵が集まった青葉賞を使ったことも結果的には大正解。本番と同条件での競馬は絶好の予行演習となった。 「これだけ使っているのに、一戦ごとに状態がまだアップしている。こんな馬は今まで見たことがない。しかも、いつも絶対3着まで持ってくるんやからな。最後までまじめに走れば、ウチの馬が一番強い」。中川助手のこの言葉を素直に信じ、一世一代のアップセットに熱き一票だ。
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レジャー 2009年05月30日 15時00分
HP版!!狙え「アベコーのハッピー馬券」
東京10レース 日本ダービー3連複 (11)軸(18)(2)(8)(16)(9)3連単 (11)(18)→(11)(18)(2)(8)→(11)(18)(2)(8)(16)(9)(17)(12)
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