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スポーツ 2009年06月23日 15時00分
ノア “鉄人”小橋が惜別チョップ
“鉄人”小橋建太が四天王プロレスとして激闘を繰り広げた三沢さんに惜別のチョップを捧げた。 この日、本田多聞と組み力皇猛&モハメド・ヨネのDis Obey軍と対戦し逆水平、マシンガンチョップ50連発を続けざまに発射。さらにハーフネルソン、雪崩式ブレーンバスターなどでDO軍を一気に攻め立てた。 だが、最後は一瞬のスキをつかれ、パートナーの本田がヨネに丸め込まれ、3カウントを奪われてしまった。 試合後、小橋は三沢さんの急逝について「自分自身、まだ半分信じられない気持ちですけど、現実を受け止めて歩いていかないといけない」と奮起。「いつも目標であり、追いかけてきた存在。これからも三沢さんが大事にしてきたプロレスを引き継いで、プロレス道をまい進していかないといけない」と誓っていた。
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スポーツ 2009年06月23日 15時00分
ノア 秋山が再起を誓った
改めて、三沢さんの親交の幅広さが伺えた。 これまで、沈黙を貫いていた前GHCヘビー級王者の秋山が、初めて三沢さんの急死について口を開いた。 最後に会話を交わしたのは、広島大会で自身の試合が終わり、控え室に戻る時。痛めていた椎間板ヘルニアのことを気遣って三沢さんから「大丈夫か」と声をかけてもらったという。 現在は、椎間板ヘルニアで無期限の欠場を強いられている。それでも「三沢さんの残してくれたノアですから。守らないと。何事も放り投げることが嫌な人だったんで」と団体を守り抜いていく覚悟を示し、再起を誓った。 また、かねてよりGHC挑戦は最後と口にしていたが「もう一度。ケガを治して潮崎に挑戦したい」とGHC戦線に帰ってくることも口にしていた。
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スポーツ 2009年06月23日 15時00分
ノア 横浜・仁志&内川が哀悼の意
この日は、大のノアファンとしても知られる横浜ベイスターズの仁志敏久も来場。三沢さんの死を偲んだ。 仁志といえば、三沢さんが急死したことで、自身のテーマ曲を「スパルタンX」に変更したほど。何度も武道館大会などにも足を運び、大のノアファンとして知られている。 この日は、同僚の内川聖一とともに来場し、献花に訪れた。仁志は「この日は三沢さんが亡くなったことがあって来ました。本当なら(今ごろ三沢さんは)ここにいたはずなのに。実際ここにくると悲しみがこみ上げてきます」と三沢さんに哀悼の意を捧げていた。
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スポーツ 2009年06月23日 15時00分
新日本プロレス 棚橋が杉浦に挑戦ノルマ要求
新日本プロレスIWGPヘビー級王者に返り咲きを果たした棚橋弘至が22日、都内の同事務所で会見。7・20月寒アルファコートドーム大会でプロレスリング・ノアの杉浦貴との初防衛戦が正式決定。初のIWGP挑戦となる杉浦に挑戦ノルマを要求した。 20日の大阪府立体育会館大会で中西学を倒し、王座戴冠を果たした棚橋。「熱愛が発覚しました。(ベルトと)ヨリが戻りました」とチャラ男らしく、棚橋節でベルト奪取の喜びを表した。 だが、休んでいる暇はない。次の防衛戦の相手に対抗戦でしのぎを削るノアの杉浦貴が名乗りをあげてきたのだ。 この日の会見では、杉浦とのV1戦が決定。「今はプロレス界全体が非常に大事な時期。ノアの選手の思いや気持ちをすごい感じます。本音を言うと、オレは新日本が一番じゃないとイヤ。それを証明する」と防衛を誓った。 さらに王者としての注文も忘れなかった。「後藤(洋央紀)を倒したとはいえ、ノアで“手土産”をもってくるのが筋じゃないかと。ノアのヘビー級の選手の首を2、3個とってきて欲しい」と実績作りを厳命した。 「(ベルトという彼女と)仲良しぶりをアピールしていきたい」。4度目の戴冠となった棚橋が今度こそ長期政権を築く。なお、邪道&外道のデビュー20周年記念興行(8月30日、後楽園ホール)も決定した。
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芸能ニュース 2009年06月23日 15時00分
高岡早紀 今度はイケメン投手とドライブデート
またまた“魔性の女”高岡早紀(36)が本領発揮。今度のお相手は球界最後の大物独身としても名高い、イケメン投手のヤクルト木田優夫(40)だった。 「週末の深夜3時から2人きりで木田のアメ車で都内をぐるりとドライブデートしているのを女性誌にキャッチされました。掲載された写真は、暗くて車内の様子はよく見えないものでしたが、関係者によると、ドライブしていた約1時間、かなりベタベタだったようですね。2人がずいぶん長い時間密着していたのは確かなようです」(テレビ局ワイドショー関係者) 高岡といえば、引き締まった足首、くびれたウエスト、そして細いカラダには似つかわしくない87センチFカップの豊満なバストの持ち主。そのバツグンの悩殺バディを武器に、オトコをとっかえひっかえ、次から次へとモノにすることで有名な“恋多き女”の代表選手でもある。 「日ごろから“私、オトコなしでは生きていけないから…”と、常にオトコがいないとダメになってしまうことを、親しい友人に語っているほど(笑)。現在は11歳と9歳の2人の子育てをしながらも、オトコ遊びのほうも手は抜いていませんから」(芸能プロ幹部) まさに誰もが認める“恋多き女”といったところだろうか。これまでのオトコ遍歴を振り返ってみても、それは一目瞭然なのだ。 写真誌記者が語る。 「04年6月に保阪尚輝と離婚したんですが、その直接の原因になったとされるのが、直前にフライデーされた、布袋寅泰との妖艶腰密着ダンス密会でした。2人は抱擁しキスを繰り返しており、どんな釈明もできない状況をキャッチされてしまいました」 その後、保阪と正式に離婚が成立。しばらくおとなしくなるのかと思いきや、やはりオトコなしでは生きてはいけなかった。 「演出家の松尾スズキや市川海老蔵、中村獅童らと浮名を流しましたね。どれも高岡から積極的に誘っています。あんなイイ女に誘われて、そりゃ、断れるわけないですよね(笑)」(女性週刊誌記者) さらに、今年3月中旬には舞台で共演した、14歳下の俳優・勝地涼ともツーショットデートをキャッチされていた。 「本人は保阪との結婚生活を本当に後悔しているようで、もう一度正式に籍を入れることに、すごく抵抗を示しているんです。再婚なんてこだわらずに、とにかく楽しみたいというのが本音のようで、オトコとは、はじめから遊びと割り切って、仕掛けていっているようです」(前出・芸能プロ幹部) 年齢とともに美貌にも磨きがかかってきた“攻める女”。これからも攻撃を続けそうな彼女からますます目が離せなくなってきた。
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芸能ニュース 2009年06月23日 15時00分
堀北真希 “恥ずかしい写真”流出に困惑
清純派女優として人気上昇中の堀北真希(20)が“恥ずかしい写真”流出騒動に困惑しているとの噂がある。ナニが恥ずかしいって、その写真の堀北は、お笑いコンビ「ハリセンボン」の太ったほうの近藤春菜(26)に激似という。 出版関係者が語る。 「メガネをかけていた頃の貴重なショット。小学校高学年から中学時代にかけてとみられ、それほど太っていないのによく似ています。幼い少女時代に近藤に似ていたなんて事実は隠したいはずですが、本人はあっけらかんとしたものらしい」 堀北といえば、大ヒット映画「ALWAYS 三丁目の夕日」で演じた集団就職する田舎娘がハマり役。ドラマ「野ブタ。をプロデュース」ではさえない女子生徒役で人気を確かにした。 「素顔も優等生ですし“いまどきの娘感ゼロ”が売りのため、野暮ったい写真が出回っても屁でもないんでしょう。そもそも芸能界にスカウトされたのは部活帰りのジャージ姿だったとも言われますからね。表に出ても近藤が増長するだけです」と前出の関係者。ブス写真の存在が逆にファンらを萌えさせてるという。 堀北と近藤では“美女と野獣”ほどの違いがあるが、ともに中学時代はバスケ部で汗を流したという共通点も。さすがに堀北が「角野卓造じゃねえよ!」とツッコむ姿は想像できないが…。
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スポーツ 2009年06月23日 15時00分
WBCを恨んでいる男
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の優勝から約3カ月。ペナントレースでは交流戦が終わり、いよいよ勝負の夏を迎える。WBCの影響を受け、上がった選手と大損した男にはっきり分けられる。噂ではWBCを恨んでいる男もいるとか。 田中(楽天)はWBCで主戦ではなかったが、松坂(レッドソックス)ダルビッシュ(日本ハム)ら超一流の投手の技術、調整法に間近で触れた。本人が「経験が大きかった」と言うように、直球の質も向上させて開幕7連勝するなどワンランク上の投手に飛躍した。プロ3年目で初の主要タイトル獲得も期待される。 ダルビッシュは序盤、公式球やマウンドの感覚を元に戻すのに苦心していたが、今は「全体的に良くなってきた」と本来の姿に戻りつつある。 一方、一昨年秋に右ひじ手術を受けた岩隈(楽天)は大舞台に備えたため、ケアが不十分だった。それが、ここに来ての右ひじ痛で戦線離脱という事態を招いた、ともみられている。WBC好投の余波を最も受けた投手が岩隈で「何もないですよ。でもやっぱりあの緊迫感、重圧は凄かった」ともらしているのが正直な気持ちだろう。WBCでは救援でフル回転した杉内(ソフトバンク)は開幕当初、無意識に肩を早くつくろうとする癖が残り、上半身主導のフォームに陥っていた。 野手では青木(ヤクルト)に負の反動が出た。開幕前に発熱。さらには、WBCで球が速く、小さく動く投手に対応しようとしたことで、日本投手への対応を狂わせた、ともされる。頭部死球が追い打ちをかけて不振は長引き、打率は一度も3割に届いていない。
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芸能ニュース 2009年06月23日 15時00分
来栖あつこ 意味深なブログの原因は金銭トラブル
「疲れ果てた」など意味深なブログの書き込みをめぐり様々な憶測が飛んでいたタレントの来栖あつこ(31)。交際していた年下イケメン俳優Aとの金銭トラブルが原因だったことが分かった。 「来栖と交際していたのは、ひと回り近く年下のイケメン俳優A。Aのブログのコメント欄には以前から来栖との交際について書き込まれていた。まさか、金銭トラブルに発展しているとは思わなかった」(芸能プロダクション関係者) 事の発端は、来栖の6月15日付けのブログ。突然、「6月10日 私が生きてきて31年一番大切にしていたことを、ぶち壊された日。この2年4か月、私が守ってきた宝物の中身が、空っぽだったと知った日」と、自身にとって深刻な出来事が発生したことを示唆し、さらには、「私にだって感情はある。もう…心身ともに、疲れ果てた」と絶望の淵にいることを吐露。ほかにも辛らつな内容を告白したため、ネット上で波紋を呼んだ。 しかし、来栖は21日付けのブログで「何も見えなかった真っ暗闇には、幾つもの光が差し、そこには手を差し伸べてくれる人達がいた」など前向きな心境をつづり、さらには、今週発売の「女性自身」(光文社)で騒動の真相を語った。 来栖によると、07年2月からミュージカル「テニスの王子様」に出演していた年下俳優Aと交際開始。直後に同せいを始め、Aは何度も「結婚したい」と将来を見据えた発言をしたという。しかし、Aのファンに同せいを気づかれたことなどからケンカになり、精神的に追い詰められ07年5月に自殺未遂をした。 その後も、交際は順調に続いたが、生活費はほとんど来栖が出し、Aはギャンブルなどで浪費癖があり、来栖から数百万円の借金をしたため、5月末に来栖は別れを決意。6月に入り、借金の返済を迫ると、Aは一度は「お金ができた」と返済の意思を示したが、10日になりAが「お金は用意できない」。来栖は12日にAの実家近くの喫茶店に出向いたが、Aが用意した大柄な男2人に怒鳴られたため回収できず事務所に相談。来栖の事務所はAの事務所に内容証明を送付したという。 「Aは最近イベントに登場したが、全くそんなトラブルを抱えている様子はうかがわせず、ファンもAのブログに書き込んでいた。今後、ブログが“炎上”する可能性もある」(同) 借用書など、貸付のしっかりした証拠がなければ、来栖がAから回収することは難しそうだが、「ブログで公に知れ渡っているから、精神的苦痛に対する慰謝料を求めて提訴すればいくらか回収できるのでは」(司法記者)との見方も。 今後、法廷闘争に発展するかもしれない。
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芸能ニュース 2009年06月23日 15時00分
田代まさしの新メニュー始めました! ホリエモンは頭のいい人だった!!
この間、7月2日からCSのMONDO21で放送がはじまるおれのテレビ復帰第1弾番組「田代まさしのいらっしゃいマーシー」の収録が、なかの芸能小劇場で行われた。 CSとはいえ、おれがテレビに復帰するということについては皆さん賛否両論あると思う。でもおれとしてはせっかく与えて頂いたチャンスなので、精一杯がんばろうと思っているから、温かい目で見守ってもらえるとうれしい。 さて、その番組の第1回目のゲストはあのlT界の寵児(ちょうじ)、ホリエモンこと堀江貴文氏だった。対談をしてみての第一印象は「とても頭の良い人だなぁー」ということ。おれみたいなバカなヤツらが犯す犯罪というのは単純明快でとても分かりやすいものが多いけど、ホリエモンのような頭の良い人たちが犯す犯罪はなんだか分かりづらい(彼の場合はまだ刑が確定したわけではないが)。彼の起こした「証券取引法違反」いわゆる「ライブドア事件」の容疑はホリエモンの著書「徹底抗戦」を読んでも、実際に話を聞いても何が悪いのかさっぱり分からなかった。 しかし、お互い同じ東京拘置所を経験した者同志、分かり合える部分もたくさんあった。対談してみて初めて分かったのだが、時期は違うが2人とも東京拘置所では同じ階の同じフロアに収容されていたのだ(ちなみにおれが入っていた時には隣の房に福永法源さんが入っていた、どうも有名人犯罪者が収容されるフロアだったみたい)。 ほかにも、家宅捜査の時のエピソード(通信販売で外国から取り寄せたグッズで作った、自分のイチモツを型どった張り型を捜査員に見つかっちゃった)や彼の金銭感覚(今まで買った高額買い物は自家用ジェット。なんと30億円!)など、びっくり仰天するような話のオンパレードだった。 世間を騒がせたlT界の窮児と芸能界の問題児が繰り広げるほかでは聞けないトーク。CSのMONDO21の「田代まさしのいらっしゃいマーシー」で見届けてもらいたい。ちなみに2回目のゲストは梨元勝さん。こちらは公開収録が6月30日に北沢タウンホールで開催。芸能人の天敵・梨元勝VS田代まさしのトークバトルもぜひとも見に来て欲しい。
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社会 2009年06月23日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(73)
早川電機工業の近くにライト・ハウスという社会福祉の事業館があった。 創設者は岩橋武夫。早稲田在学中に失明し、英国エジンバラ大学に留学。帰国後は関西学院などで教えていたが、やがて大阪盲人協会を起こし、昭和10(1935)年、世界で13番目のライト・ハウスを建設する。ライト・ハウスでは点字図書館、点字出版、盲人の更生・援護相談所などの事業をおこなっていた。 戦火の厳しくなったある日、岩橋から徳次に、失明者のために何か電気について講演してほしいという依頼があった。 戦地で失明した軍人達も数を増して来ていた時期だ。徳次は笹尾ほか研究部の者を連れ、2日間の講演をおこなった。受講者は戦時下で途中失明した人達で、生きていくために徳次の話に耳を傾け、笹尾の実習を受けた。 講演から数日して、岩崎から改めて相談があった。ライト・ハウスの礼拝堂を改造して失明軍人の職場にしたいが、機械・器具、作業、技術指導まで奉仕してもらえないだろうかという内容だった。徳次は快諾した。盲目の井上さんの手のひらの温もりを思い出していた。 恩に報いる好機だと思った。早速、礼拝堂に二十数台の機械を入れ、失明軍人会館と改めた。そしてこれを無線機の部品の一部を作製する早川の分工場とした。 会社から技術指導者が出張し、作業を文字通り手を取って教えた。この分工場は後年、昭和25(1950)年、会社が経営危機に陥った際に身体障害者専用の工場、合資会社早川特選金属工場として分離独立させた。 昭和20(1945)年8月15日、終戦を迎える。その日、徳次もラジオから流れる玉音放送に耳を傾けた。 終戦の1週間後、徳次は故障ラジオの無料修理を実行した。新聞紙上に故障したラジオを無料で修理すると発表した。会社には連日、ラジオを抱えた人が押し寄せ、人の群れは20日ほど続いた。このアイデアは材料不要で持てる技術を即活用できるというところから出てきたものだ。
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