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トレンド 2009年05月26日 15時00分
オヤジの磨き方 女性への贈り物に花束は鉄板
ビリヤード仲間のSさん(45)から「知り合いの女の子が誕生日なんだけど、何をあげたら喜ぶかなあ」と相談を受けました。この時点でゲームは私の10連勝中。きょうのSさんはプレーに集中できていないな…と思っていたのですが、なんのことはない、ずっと女性のことを考えていたわけです。 私はキューにチョークを塗る手を休めず、「花束がいいですよ」と即答しました。ちょっとスカしすぎかもしれません。しかし、そのくらい“鉄板”の回答なのです。 女性は年齢、職業、性格にかかわらず花が大好きです。その証拠に母の日にはカーネーションをあげるでしょう? 父の日に花を贈る習慣はありません。 相手の女性が何歳であろうと、そしてどのような関係であっても、花束のプレゼントは間違いなく喜んでもらえます。いい例えではありませんが居酒屋で「とりあえずビール」と注文するぐらい確実です。 注意してほしいのは、花束の構成をフラワーショップまかせにしないこと。値段が安いのでかすみ草は大盛りで。彼女のイメージに合う花を1つだけ選び、その名前を聞いておきましょう。花束を買うくせに、中途半端に照れるのはやめてください。 ただし、花言葉を気にするナルシストオヤジにだけはならないように。「花言葉は…」なんて寒すぎます。 ちなみにSさん、花束を贈った20歳年下の彼女とうまくいったそうで、最近ビリヤード場に来なくなってしまいました。(ジゴロライター・紫三太郎)
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その他 2009年05月26日 15時00分
競輪人国記 岡山(2)
一時、「岡山ハンドル」というのが流行った。競りやすいようにハンドルを太くして相手のハンドルをこじあげるのだが、このハンドルを作ったのは西谷康彦(40期)だった。最初は29期の試験を受けて不合格。家業を継いだが、29期の阿部良二(岩手)の活躍を見て「阿部があんなに活躍できるなら俺にもできる」と40期を再受験した。東京の山口国男と仲が良く岡山勢は「かくれフラワー軍団」といわれた。競りに強くスタートも速かった。 片岡克己(42期)は昭和51年の千葉日本選手権での新井正昭(埼玉)の逃げ切りを見て競艇選手希望から競輪選手に変わったという。体の大きな片岡にとっては競輪選手への志望変更は正解だった。 自転車に乗り始めて3カ月で42期の試験に合格したのだからすごい。昭和53年10月にデビューして10連勝特進でA級に上がり、実は41期の適性組の試験を受けようとしていたから、41期にはすごいライバル意識を持っていた。特に村岡和久(福岡)や原田則夫(新潟)にはファイトむき出しで闘いにいった。 45期の峰重竜一は先行まくりで鳴らした峰重和夫がおじさんにあたる。小柄な体だが、番手勝負専門で昭和57年の小倉競輪祭新人王を獲った時は松枝義幸(47期)−佐古雅俊(現在・徳島)について、松枝がカマすと「3番手でも勝てる」と自信満々で、タイトルを獲ったのに、それほど感激した表情もみせなかった。相撲の千代富士に似た感じで勝ち負けに淡々とした表情を見せたのも共通した感じだった。
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社会 2009年05月26日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(49)
腸出血で生死の境を彷徨(さまよ)った後、数カ月は床に伏せったものの、職場に復帰すると、また忙しい日々を送る徳次だった。発病後、1年半以上が過ぎていた。しかし「この際、少し療養したほうがいい」という周囲の勧めに従って塩原で湯治することにした。 仕事を何とか一段落させて、何度目かの引き継ぎも終え、出発の日を迎えた。 9月1日、その日は朝から異様に蒸し暑い日だった。空はどんよりと曇り、風ひとつない。午前11時、徳次は家を出た。文子と煕治、克己が門まで見送った。 生まれて初めての保養に一人で出かけるのを躊躇(ためら)う徳次に、巻島も2、3日付き合おうと約束してくれた。そこで、町内の巻島の家に寄った。上野には午後2時迄(まで)に到着すれば、列車には充分間に合う。 巻島の家でしばらく話をして、出発の前に散髪してこよう、と言った。時計は11時58分を指していた。その途端、徳次は座敷の片隅まで一気に跳ね飛ばされた。それからは、まるで大波に揺りあげられるような震動。言葉で言い表すことのできないような音響が辺りを包むように響いている。 障子がバタバタと倒れ、砂埃が渦を巻いて入ってきた。外からは人の叫び声がする。畳全体が波打つ。電灯の笠が落ちて大きい音を立てた。部屋の壁が落ち始めた。やっと這うようにして店まで出たが、徳次も巻島もすっかり気が動転していた。 「巻島さん、旅行どころではない。私は帰ります」。徳次は傍にあった座布団を被(かぶ)り外に飛び出した。 外に出て目にしたのは倒壊した家屋の数々、往来には悲鳴を上げ逃げまどう人々、倒れている怪我人、それらがもうもうとした土埃に包まれている。 1時間前に通った時とは姿が一変してしまった街。地面は一瞬も止まることなく上下している。巻島宅と徳次宅は目と鼻の先、200メートルほどの距離だったが、家まで帰るのがやっとだった。
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社会 2009年05月26日 15時00分
永田町血風録 総選挙へ“党内抗争”の激しさ増す民主党
民主党に、「鳩山─小沢」に対抗する“派中派”が誕生した。 党代表選で鳩山由紀夫に敗れた岡田克也を支援してきた議員たちが、東京都内で会合を開いた。そこで、その「岡田を支える有志会」が、会合を定期的に開く方向でまとまったのだ。 岡田は、小沢一郎前代表とは一線を画してきていて、党内では抵抗派とまでいわれていた。 「小沢は西松建設事件での責任説明をいまだに果たしていないのに有志を集めて、しかも民主党最大の支援団体である日本労働組合総連合会(連合)にうまく取り入って、影響力を保持しようとしている」(反小沢派議員) もともと連合は、旧社会党の支援母体だった。会長の高木剛はいつの間にか小沢に媚(こ)び諂(へつら)って、民主党の“御用団体”になってしまっている。今回の鳩山と岡田の党首争いで戦う前から鳩山有利となったのも、連合が鳩山を後押ししたからといわれている。 連合内部では、小沢の進退について代表続投と交代を求める声が交錯し、小沢との距離が広がった。だが、鳩山が小沢を総選挙のために筆頭代表代行にしたことで、連合と岡田との距離はさらに広がってしまった。 そこで岡田を応援してきた若手議員が中心になって、岡田の党内での存在感、発言力を保持しようと行動に打って出たといえる。 ある政治ジャーナリストが言うには、「民主党内で反小沢派の派中派が生まれることは時間の問題だった。主要メンバーには、党内では相当の実力者がそろっている。うかうかしていると、鳩山は足元を掬(すく)われかねない存在になる」そうだ。 岡田のほか副代表の前原誠司、幹事長代理の野田佳彦、川端達夫ら党内グループのトップも、名を連ねている。それに、今では党内ですっかり存在感が薄れた代表代行の1人、菅直人もグループのメンバー60人を引き連れてこれに加わった。 菅が「この岡田グループに加わっていないと、解散後、総選挙になった時、党内での身の置きどころがなくなる公算大」と読んでのことなのは、想像に難くない。さらには、党内での発言権を維持しようとの思惑も見え隠れする。 しかし、鳩山はその程度のことは歯牙にもかけていない。まずは自らの足元を固めようと地方遊説に力を入れている。それも小沢流に近いやり方で…。 「この派中派の出現が、かえって鳩山の闘志を掻き立てることになった。これまで以上に民主党はおもしろくなってくるよ」(前出・政治ジャーナリスト) 総選挙は間近。各種の世論調査ではわずかな差とはいえ、民主党有利が伝えられる。“党内抗争”も含めて、その動きからますます目が離せなくなってきたということか…。(文中敬称略)
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レジャー 2009年05月26日 15時00分
夜遊び最前線/合コンのノリで盛り上がるキャバクラ!
内巻き、外巻き髪にロングドレスの正統スタイルに加え、合コンみたいに盛り上がりを期待できるお店はないのか、専門誌やネットでチェック。で、本川越に見つけたのが、『CLUB GUILTY』(クラブ・ギルティー)。 店内はブラウンとゴールドを基調のインテリア。キャストは桜井美奈チャン(写真)のほかにもモテフワロール髪にドレス姿のレディ揃い。一見、リーマン接待系の敷居が高いお店と思わされますが、そんなことは絶対にありません。「タバコ? 私も吸うからゼンゼン平気、平気! 最近、喫煙者って肩身狭くてヤになるよね!」「ねぇねぇ、小腹すいてない? ウチの店って、揚げタコヤキがマジ美味しいんだけど!」なんて、綺麗なお顔に似合わず随分と親しみやすい美奈ちゃん。 軽い冗談言うと、僕の肩や腿を叩いて大爆笑。「割引きイベントとかは1年中多いから、1人で居酒屋とかで飲むよりウチ来た方が得だよ」なんて、客の懐具合も心配してくれる。まるで顔なじみの飲み会に招待してもらったような賑やかさだ。なんて心地良いんだろうか。 店長から「アットホームに感じる雰囲気が当店のポリシー。毎月曜は30分500円の『1コインDAY』、他サービスドリンク付の『私服DAY』、また謝恩企画などのイベントもたくさんありますので、いつでもご来店下さい」。【記事提供】キャフー http://www.kyahoo.jp/
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その他 2009年05月25日 15時00分
内外タイムスが衝撃の要請
24日、内外タイムス社オーナーがアントニオ猪木と食事会を行った際、オーナーから「内外買収を」との衝撃要請があった。猪木は即答を避けたが深い興味を抱いた。
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スポーツ 2009年05月25日 15時00分
ボクシング 内藤の中国防衛戦中止の裏にこじれた三角関係
WBC世界フライ級王者・内藤大助の上海での防衛戦が中止になったことを受け、内藤陣営が24日、都内で記者会見。26日にディファ有明で異例のワンマッチ興行を行うことを発表した。V5戦を2日後に控えた中でのドタバタ劇。一体、何が原因なのか。今回の一件を探ると背景には複雑な人間関係があった。 V5戦を前にチャンピオン側が大ポカをやらかした。 試合直前になっての興行中止。混乱を招いた騒動のてん末はこうだ。 宮田博行会長はスタッフとともに昨年9月ごろから隔週ごとに週末を利用し、水面下で中国を訪問していた。中国の市場開拓を目指すWBCとの思惑が一致し、タイトルマッチの開催を検討。12月に4度目の防衛に成功すると、実現に向けて交渉を本格化していった。 だが、上海・盧湾体育館での防衛戦に踏み切ったことで、トラブルに巻き込まれた。 当初は中国側が興行権を持つはずだったが、不況のご時世でスポンサーが次々と撤退。権利が宮田ジムに譲渡され、現地のイベント会社に委託していた。 問題が発覚したのは、21日に宮田ジムとJBCのスタッフが現地入りしてから。宮田会長によれば、北京の国家体育総局の許可が下りておらず、内藤陣営は22日に同局に直談判。交渉の末、なんとか同局からは中国での興行許可を取りつけたが、さらに上海市同局の許可も取得しなければならず、事務処理が終了するのは早くても25日になってしまうため、会場設営などの問題から中国での開催を断念したという。 この日、宮田会長は都内で緊急会見を開き、「関係者の皆さまには多大なるご迷惑をおかけした。監督不行き届きがあったのは事実です」と謝罪。会見中に6度も頭を下げた。 本来なら興行中止もやむを得ない状況だが、内藤の試合をテレビの前で心待ちにしているファンや関係者、内藤のモチベーションにも影響することもあり、都内での代替開催をWBCが承認。JBCの規定により、日本でのボクシング興行は、全試合合計で32R以上50R以下で行うのが原則となっているが超法規的措置として特例が認められ、タイトルマッチ1試合のみでの開催となった。 入場券は当日券のみで、中国に観戦に行く予定だったファンは「最優先で招待する」(宮田会長)という。 どうしてこんな不測の事態を招いたのか。石井孝マネージャーは「イベント会社に任せていて、どんな書類が必要かわからなかった。我々も確認しなかったのがいけなかった」と背景には第三者への“丸投げ”があったことを認めた。中国でプロモーターを務めるはずだったイベント会社については「浜崎あゆみのコンサートとか、芸能関係の仕事はやったことがあると言ってました。ボクシング? ちょっと分からないですね」(宮田会長)とボクシングの興行に関しては素人同然という驚がくの事実も発覚した。 さらに挑戦者・熊朝忠のトレーナー兼プロモーターを務める劉剛氏は「宮田会長に、今回のイベント会社を紹介したのは私です」と明かしている。 3人の話を総合すると、中国当局、内藤陣営、イベント会社と3者間に複雑な“三角関係”が築かれていることが分かる。その結果、3者の間で興行権がたらい回しにされている実態があるのも事実だ。 「日中友好と巨大市場開拓の先行投資。まだまだ中国で開催するという夢を捨ててはいません」と語った宮田会長。未開の地を開拓するためには、多くの課題が山積みだ。
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スポーツ 2009年05月25日 15時00分
ボクシング 西岡利晃がアウェー防衛の快挙
内藤が海外でのドタバタ劇に見舞われる中、WBC世界スーパーバンタム級王者の西岡利晃は23日(日本時間24日)、メキシコのモンテレイで逆転勝ち。24年ぶりとなるアウェー防衛の快挙を成し遂げた。 西岡は同級2位で元WBOバンタム級王者のジョニー・ゴンザレスと指名試合を行った。当初は新型インフルエンザの震源地ということもあり、タイトルマッチの開催が懸念されたが、事態が終息に向かっていることもあり予定通り実施された。 アウェーの強烈な野次に動揺したのか、1回にいきなり右ストレートを被弾し、ダウンを奪われた。それでも冷静に持ち直すと3回、ジャブで距離を詰め、左ストレートでKO。1985年にWBCスーパーフライ級の王者の渡辺二郎が韓国で防衛して以来、2人目の快挙を成し遂げた。 西岡は「(左ストレートは)実は覚えていないんです。作戦通りに試合を運べていたから出たんだと思う」と謙遜した。今後については「もっと大きな(会場で)試合ができればうれしい」と野望を語った。
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スポーツ 2009年05月25日 15時00分
DREAM 元メジャーリーガー、カンセコ、揺るぎない自信の背景に濃密おっぱいトレ
「DREAM.9 スーパーハルクトーナメント〜世界超人選手権〜」(26日、横浜アリーナ)で格闘家デビューする元大リーグのスーパースター、ホセ・カンセコが24日、都内のホテルで会見した。試合用コスチュームとして、袖なしヘンテコ道着を披露。さらには、推定Jカップの巨乳美人マネージャーをはべらせ「彼女と練習してきたからバッチリさ」と怪気炎を上げた。 横浜大会で開幕する無差別級トーナメントで総合格闘家デビューするカンセコ。黒い袖なし道着に黒帯という、格闘技ゲームのキャラクターを彷彿させる市街地型格闘技風の奇抜なスタイルで登場し「試合でもこの道着に似たようなものを着る予定です」と自慢げに“勝負服”をお披露目した。 デビュー戦の相手は韓流大巨人チェ・ホンマン。会見では身長218センチの巨人にハイキックをサク裂させるプランも明かし「サイドキック、ハイキックが得意。自分がハイキックでホンマン選手の頭部を蹴るのはかなり難しいでしょうが、運良くホンマン選手が前かがみになれば頭部に当てられる。エキサイティングな試合をしてノックアウトできたら」と話した。 “巨人狩り”に自信をみせるが、その実力は未知数。格闘技経験もムエタイ歴が26年で自称“黒帯”というものの、実際のところプロのリングで通用するレベルか否かは定かではない。MMAデビューに向け、一体どこでどんな練習をしてきたかについては、カンセコ本人も詳細を明かさない。 それでもカンセコは「練習は常に彼女と一緒さ。彼女は格闘技とかやっているわけじゃないんだけど、ミットを持ってもらったりもしてるよ」「彼女と練習してきたからバッチリさ」とニヤリ。格闘技経験のない美人マネージャー、ハイディー・ノースコットさんと一体どんなトレーニングをしているのかは謎だが、29歳の巨乳美女と日夜練習を重ね、自信をみなぎらせているようだ。 謎多き元大リーグのスーパースター。リングでどんな闘いをみせるか、楽しみだ。
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スポーツ 2009年05月25日 15時00分
DREAM カンセコ協力援軍に大魔神
カンセコはこの日の夜、プロ野球の横浜VS楽天で始球式に登場した。 バッターボックスに入り、元大リーガーでメジャー時代には過去3度対戦した“大魔神”佐々木主浩氏と9球勝負を行った。 まともにバットを振ったのは5年ぶりというが、大リーグ通算462本塁打のパワーの片りんを見せるレフトフェンス直撃弾をかっ飛ばすなど、決戦前に元大リーガー対決でひと暴れした。 「チェホンマンのような大きい選手と闘うためにはスペシャルなサポーターが必要だ」として、試合当日には佐々木氏が強力援軍として観戦に駆けつけることも決定。カンセコは決戦に向けて再会を果たした大魔神の応援も取り付けた。
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