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スポーツ 2009年08月17日 15時00分
ハッスル 越中30周年記念は勝ちにこだわる
ハッスルの“ケツおやじ”こと越中詩郎が16日の「ハッスルディナー」(東京ドームホテル)で自らの30周年記念興行「ハッスル外伝やってやるって!!」(27日、後楽園ホール)について改めて意気込みを語った。 記念興行で永田裕志&獣神サンダーライガーと組み、天龍源一郎&川田利明&TAJIRIと戦う越中は「節目にこういう大会ができることに感謝している」としつつも、「体調もいい。勝ちにこだわってお祭りムードだけじゃないっていうところを見せたい」と語った。
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スポーツ 2009年08月17日 15時00分
大相撲 朝青龍 突然の団体行動のワケ
大相撲秋場所(9月13日・初日)に向けて横綱・朝青龍の周辺が、またあわただしくなってきた。もう言い訳がきかない土俵際、それも徳俵に足をかけた状態である。かつてのカリスマ横綱は一体どこに行ってしまったのか? その周辺を追跡した。 朝青龍、秋場所も大ピンチ。大相撲はいま、東北、北海道などをまわる夏巡業の真っ最中。名古屋場所で惨敗した横綱・朝青龍も巡業前日に何とか無事に再来日。意外にも成田空港に着いたその足で東京駅に向かい、みんなと一緒の相撲列車に乗り込むと巡業地に向かった。今まではなかった移動だった。 これまで朝青龍は、いつも巡業は他の力士たちと別行動。自腹を切って飛行機やマイカーで移動していた。それが今回は自分のフトコロの痛まない団体行動。同行する巡業部の親方たちの間からは「いよいよ朝青龍もフトコロが寂しくなったか」と冷ややかな声がもれたものだ。 1000万円もの賞金が入る優勝から遠ざかること、横綱になって最長ブランクの3場所。夏場所前にはタミル前夫人とも離婚し、2人の子供たちの養育費として月2000ドル(約19万円)を支払わなくていけない。いろいろな意味で、節約を強いられている。 この突然の団体行動がもたらしたものはそれだけではない。これまで朝青龍は持ち前のわがままのせいもあったが、大金をはたいて別行動することで、他の力士たちに「オレはお前たちとは違うんだ」というところを見せつけ、自分のパワーや存在感を誇示してきた。あの横綱に逆らったら、とんでもないことになるという“無言の圧力”を養ってきたのだ。それがみんなとおとなしく移動することで一気に消滅し、並みの横綱になってしまったのだ。 「金の切れ目が縁の切れ目ではないけど、周りの見る目も全然違ってくるよ。それでなくてもうまく攻めたらなんとかなる、とみんなが思い始めているところなのに。この巡業でよっぽどビシッとしたところを見せないと、秋場所も厳しいことになるよ」と大相撲関係者は話している。 巡業2日目にはエアコンを消し忘れて風邪をひいたと称して朝稽古をサボったり、翌日は久しぶりに稀勢の里や琴奨菊らと汗をかいたと思ったら、今度は右肩痛の再発を訴えるなど、いまだに改心したところが見えない。このままでは、土俵の鬼といわれた初代横綱若乃花をほうふつさせる“仏壇返し”のマスターに励むなど、新境地開拓に余念がない白鵬らとの水は開くばかりだ。 秋場所も途中で3敗でもすれば、今度は名古屋場所のように結局10勝止まりでも、“不問にふす”という甘い裁定では済まされない。世間の目もより厳しく朝青龍を糾弾することは確かで、最悪の事態に追い込まれるだろう。
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スポーツ 2009年08月17日 15時00分
全米プロ選手権・最終日 遼が16番で驚異のチップイン
男子ゴルフの全米プロ選手権は16日、米ミネソタ州チャスカのヘーゼルティン・ナショナルGC(7674ヤード、パー72)で最終ラウンドを行い、日本人史上最年少でメジャーの決勝ラウンドに進んだ石川遼は72で回り、通算8オーバーの296で大会を終えた。第3ラウンドで73だった藤田寛之は78とスコアを落とし、石川と並ぶ通算8オーバーだった。優勝は通算8アンダーのY・E・ヤン(韓国)が初V。 石川遼は8オーバーからのスタートとなった最終日。勝負パンツの赤いズボンでスタートしたが、いきなり1番でボギーを叩いてしまった。同組で回るNo.2ともいえるミケルソンから激励されたのがプレッシャーになったのか。 続いて3、4番のロングショートホールで連続ボギーとし、前途に暗雲が立ち込める11オーバーと後退してしまった。 ところが、これでくじけないのが遼の若武者らしい魅力のあるところ。7番ロングホールに入ると果敢に攻めた。3オン1パットがバーディー。そして、前半最後の9番でも風にもめげずバーディーを奪い返し前半を終えて9オーバー。そして、勝負をかける後半に突入した。 「遼がんばれ」。強風にのってウッズの声が聞こえたのか、遼が3ホールをパーでしのいだ後の15番ロングから弾けた。642ヤードの長いパー5だが、遼は確実に3オンに成功すると、グリーンのラインを読み切り「ナイス・バーディー」(ミケルソン)。 そして、圧巻だったのは16番のミドルホール。遼の打った第3打はピンを目指してまっしぐら。なんとボールは直接カップに吸い込まれた。チップ・イン・バーディーだ。ギャラリーの大歓声が響き渡る。そこにウッズがいるのかと間違えるほどの大騒ぎ。やはり17歳の若武者はスターとしての資質を兼ね備えているといえるだろう。 遂に最終ホールを迎えた。激闘を続けてきた4日間の集大成を見せる時である。第2打をバンカーに入れたが、「自信はあった」と言う通り、鮮やかにボールはピンそば30センチにピタリと寄った。またもや大勢のギャラリーが大歓声をあげる。 結果は8オーバーで終わったが胸を張れ天才少年石川遼。近い内に必ず大きな仕事をするはずだ。 石川遼の話 世界トップクラスの選手と回って、自分のゴルフができた。こういう舞台でプレーし続けたいと思った。
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スポーツ 2009年08月17日 15時00分
「メジャーリーグ極秘情報」“攻撃的捕手”マリナーズ城島 復活のカギ
城島健司は2006年、日本人メジャーリーガー25人目にして、初の捕手としてシアトル・マリナーズに入団。開幕戦からマスクを被ると、いきなりの本塁打で「世界の城島」を知らしめる鮮烈デビューを果たした。 福岡ダイエー、ソフトバンクホークス時代の城島は、とにかく型破りが持ち味だった。球種はともかく、基本的なリードは打者の内角一辺倒。しかも死球を恐れず「大体、この辺に投げればいいから」のアバウトリード。斉藤和己、新垣渚ら制球に難のある選手を見事にコントロールしたのだ。 「ハッキリ言って王監督は最後まで城島を認めていなかった。王監督の考える捕手像は森祇晶氏のスタイルで、打撃よりもリード重視。『捕手は自身の打撃を考えている暇があったら、スコアラーのところへ行け』が王監督の考え方。そこに行くと城島は『リードはそこそこ。バットを重視』のスタイルを最後まで崩さなかったのです。覚えがめでたくなる訳がありません」(ソフトバンク担当記者)。これでは王監督と交わる訳がない。 確かに城島は南海・野村克也に続く“攻撃的捕手”(打てないという訳ではなく、バッティング重視の捕手の事を指す)だけに、「日本人の誰もが城島の渡米に期待をした」(当時のダイエー担当記者)のも事実だ。 別府大付属高3年次、駒沢大入りが内定していた中、当時・ダイエーの球団社長だった根本陸夫氏(故人)が彼の十八番であった“強奪”で獲得した。 ご存じの通り「打つだけの捕手」にピッチャーの工藤公康が実践でリードたるモノを教えた、という“逸話”があるほどだ。 「実際には、試合中にそんな事をしていたら、ピッチャーもキャッチャーも気持ちが入らず、メッタ打ちを食らう。工藤の話している事はオーバーですよ。城島は若菜嘉晴コーチ(当時)に独自のリードを学び、急成長したのです。若菜コーチは現役晩年に米国留学した経験があり、城島はその話に感銘し海を渡った、といわれています」とは、ベテラン記者だ。 その独自のリードとは冒頭に記した「球種は構わず内角一辺倒」のリード。クラウン(現・西武)、阪神の正捕手時代、強肩と共に唸らせたものだ。 晴れて若菜門下生となった城島は海を渡ってもダイエー、ソフトバンク当時の内角勝負を敢行。移籍1年目は見事に成功し、持ち前の打撃も打率2割9分1厘と奮闘した。 しかし、捕手というポジション柄、避けて通れないものがある。ピッチャーとのコミュニケーションだ。「1年目は彼の突飛なリードに相手のチームどころか味方の投手も混同し、訳の分からないまま試合が進行していた。だが、相手チームに研究し始められた07年頃から、彼の打撃は上がったものの、逆にリードでチョンボするケースが目立ってきたのです」と、語るのは大リーグ通の球界OBの話だ。 投手との信頼を得ることが「言葉の壁」により出来ず、正捕手からバックアップに異動。3年目の今年は出場試合機会はほとんど無くなった。 このままでは、近日中にマリナーズから解雇通達が出ても不思議ではない。やはり、原点回帰してバッティング練習よりも捕手練習をすべき、ではないだろうか。
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レジャー 2009年08月17日 15時00分
「第45回札幌記念」 凱旋門制覇へ挑むブエナ 問題は勝ち方
今週は札幌競馬場で夏の祭典「第45回札幌記念」(GII、芝2000メートル、23日)が開催される。注目は10月4日、仏ロンシャン競馬場で行われるGI・凱旋門賞(芝2400メートル)への挑戦を表明しているブエナビスタだ。北の大地を壮行戦に選んだ牝馬2冠馬は、オークス後も順調な調整が続けられている。世界最高峰のレースを目指す以上、初コース、初の古馬相手うんぬんはいっていられない。焦点はその勝ち方に絞られた。 初の古馬相手に加えて初コース。越えねばならないハードルはいくつかあるが、史上最強牝馬の呼び声高いブエナビスタなら、そんなものは朝飯前で片づけてしまうかもしれない。 松田博調教師は相手関係について「それが問題やな。まあ、やってみないことには分からんわ」と謙遜するが、斤量はハンデ並みの52キロ。札幌記念に管理馬を出走させるある関係者からは「あれは反則でしょ。もうあの馬はいないものと考えるしかない」と白旗ムードだ。 真の目標は、はるか異国の地にある。しかし、その前の壮行レースでコケてしまったら元も子もない。夏休み返上で下地をつくってきたブエナは2日に札幌競馬場に入厩。12日の1週前追い切りでも直線追われると鋭く反応し、6F79秒7、上がり3F38秒1→12秒4をマークした。 「いつも通り、あんなもんやろ。食いはいいし、何も段取りは変わりないわな」と指揮官。春先からの成長については、「体はひと回り大きくなってるかもしれへん。精神面はいつもと一緒や」と言葉少ないが、強い馬に特別なものはいらない。穏やかなトレーナーの表情が「ブエナ順調」を如実に物語っている。 舞台は脚質的に不利な小回り平坦の札幌だが、それは承知の上での参戦。むしろ、このぐらいのハンディを克服できないようでは海外進出などとはいっていられない。 「いつも通りケツからいって差せるもんなら、差したらええし…。そのあたりはジョッキーが考えて乗るやろ。一番の問題はジョッキーの減量かもしれへんな(笑)」 トレーナーは52キロで騎乗する安藤勝騎手をジョーク交じりに気遣う余裕すら見せている。 10月に迫った大一番に向け、どんな勝ちっぷりを見せるのか。もはや焦点は、その一点に尽きる。 凱旋門賞挑戦について松田博調教師は「今回の結果を見ないことには何ともいえんわな」と多くを語らないが、その周辺は世界制覇へ向け、すでに動き始めている。 現地での入厩先はM・ボラックバデル厩舎に決定。ボラックバデル調教師は2000年のジャパンCにレーヴドスカーを挑戦させた女性トレーナーで、同馬の現役時代のオーナーでもあるノーザンファーム・吉田勝己代表の縁からタッグを組むことになった。 今後のスケジュールについても、9月23日に出国する当初の予定を20日に変更。前倒しすることで現地での調整期間を少しでも長くする。また、輸送の負担を軽減するため、経由地も韓国・仁川からオランダ・アムステルダムへと変更された。これも日本馬として史上初の凱旋門賞馬になるため。陣営は細部にも目を光らせている。
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レジャー 2009年08月17日 15時00分
クイーンS(GIII、札幌芝1800メートル、16日)北の女王決定戦は波乱の幕切れ ピエナビーナスが大金星
札幌競馬場で行われた真夏のヒロイン決定戦「第57回クイーンS」(GIII、芝1800メートル、16日)は、11番人気の伏兵馬ピエナビーナス(牝5歳、栗東・南井厩舎)が、中団からメンバー最速タイとなる上がり3F34秒9の末脚で、初重賞制覇を成し遂げた。手綱を取った古川吉洋騎手は、12年ぶり2度目の重賞Vとあって喜びは2倍。笑顔を弾けさせた。 うれしい大誤算だった。ぎりぎり1頭分のスペースをこじ開けて、ピエナビーナスをVゴールに導いた瞬間、古川騎手はムチを握る左手で小さくガッツポーズを作った。 忘れかけていた味かもしれない。1997年の阪神3歳牝馬Sをアインブライドで制して以来、12年ぶり2度目の重賞制覇。それまで上村騎手が持っていた9年7カ月半というJRA重賞競走最長間隔記録を大きく塗り替えた。 だが引き揚げてきたその顔はすでに、いつものひょうひょうとした雰囲気に戻っていた。「僕はマイペースですから。勝つときはこんなもんなんですね」。カラリとした札幌の日差しが、笑顔を輝かせた。 11番人気の伏兵を操った勝利は、無欲の勝利でもあった。スタートを決め、折り合いもスムーズに中団をキープ。「馬場の内々、いいところで我慢した。内があくまで(その位置に)いようと…。いい感じに乗れたね」。 4角過ぎ、内をすくって末脚を伸ばした。鞍上のムチに馬も応え、メンバー最速タイの上がりを繰り出し、先に抜け出したザレマをゴール前できっちりとらえた。「いい仕上がりだったし、いつも北海道では走る馬だから…」。古川騎手は謙遜したが、ロスのない経済コースを通り、ジッと我慢して直線に懸ける好騎乗が光った。 痛みとの闘いにも勝った。7月19日の札幌最終レースで、落馬した馬のアオリを受けて自身も落馬。右ヒ骨を折る重傷を負った。まだ2週間前に復帰したばかり。「馬は万全だったけど俺の足は完全じゃないからね(笑)」と軽口で喜びを表現した。 一方、一躍真夏のヒロインになったピエナに南井調教師は「うまく折り合っていいレースをしてくれた。以前、1800メートルでいい伸び脚を見せていたので、今回も距離は合うと思っていたが、正直、勝つとまでは思ってなかったから(笑)。今後についてはこれから考えたいと思います」と笑みを浮かべた。2度目の重賞挑戦でのタイトル獲得。それは指揮官にとってもうれしい誤算だったようだ。
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レジャー 2009年08月17日 15時00分
札幌記念(GII、札幌芝2000メートル、23日) マツリダ雪辱だ
今週は札幌競馬場で「第45回札幌記念」(芝2000メートル、GII)が行われる。最注目は2冠牝馬のブエナビスタだが、他陣営も虎視たんたんと主役の座奪取を狙っている。なかでも昨年の2着馬マツリダゴッホは、得意の条件で巻き返しを期す。レース当日には、オーナーも来場する予定とあって陣営は渾身仕上げで臨む。 リベンジの夏だ。今春、大阪杯で7着惨敗後、鼻出血を発症。金鯱賞→宝塚記念のプランを断念したマツリダゴッホが捲土重来を期す。 札幌記念は、秋への前哨戦以上にこだわりがある。ここ2年の成績は(7)(2)着。いかにも小回り向きといったパワフルな先行力から一昨年、昨年とともに1番人気に支持されたが、それに応えることができなかった。とりわけ、直線抜け出し、勝ったと思った瞬間、ゴール寸前でタスカータソルテに強襲された昨年は、悔やんでも悔やみきれない敗戦だった。 三度目の正直。背後からはブエナビスタの蹄音が忍び寄るが、こちらにはグランプリホースとしての意地もある。秋を実り多きものにできるか。今後を占う試金石ともいえる一戦だけに、陣営は並々ならぬ闘志を燃やす。 「昨年は勝ち馬にうまく乗られたけど、脚質的に札幌は合っている。ここでの好走は秋につながるし、ぜひとも頑張ってもらいたい」と椎本助手も腕を撫す。レース当日にはオーナーも来場する予定とあって、「ぜひいい思いをして帰ってもらいたい」と張り切っている。 もちろん調整に抜かりはない。札幌競馬場に入厩した23日以降も、順調に乗り込まれてきた。12日の1週前追い切りは、札幌競馬場のダートコース。5F64秒3、上がり3F38秒8→12秒8を馬なりでマークした。手綱を取った横山典騎手は「予定通りの追い切り。変わりなく順調ですよ」と好感触を得ていた。 また、椎本助手も「1週前はこんなもの。速い追い切りは今週で3本目だが、今週、ある程度やって、あとは来週1本やればきっちり仕上がる。順調にきているし、普段から気持ちの高ぶりやすい馬なので、レース間隔があこうが、あくまいが力は出せるはず」と出走態勢は九分通り整っている。 気になる鼻出血も「もう心配いらない」としっかりケアされた。秋にもう一度大仕事を成し遂げるためにも、真夏の札幌で復活の祭りばやしを奏でてみせる。
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レジャー 2009年08月17日 15時00分
レパードS(オープン、新潟ダ1800メートル、23日)シルクメビウス 初代王者はもらった!
今週の新潟メーンは「第1回レパードS」(オープン、新潟ダ1800メートル、23日)が行われる。Gの付かない重賞扱いだが、賞金はナント4500万円。3歳限定のダート戦としては、オイシイ賞金設定だけに砂路線のトップクラスが集まった。主役はシルクメビウス。この世代では一枚上の実力馬が、記念すべき第1回の勝ち馬に名を刻む。 世代トップの実績馬として、メモリアルVは必ず頂戴する。シルクメビウスが極上の仕上がりだ。 前走のジャパンDダービーはテスタマッタに2馬身差の2着。しかし3着以下にはきっちりと4馬身差をつけており、能力の高さを示した。 「前走は4コーナーで前があいて、早めに先行馬を捉えにいった。その分、足元をすくわれる形になったけど強い内容の2着だった」と領家調教師は満足げな表情を浮かべた。 しかも今回は前走で接戦を演じたテスタマッタが不在。強力ライバルがいない今回は、実績からも受けて立つ立場。横綱相撲の期待が高まる。 唯一の不安である道中の折り合い難も徐々に解消されてきた。気性の成長はもちろんだが、調教方法にひと工夫加えられたのが大きい。 「2週続けて強いケイコをやるとテンションが上がってしまう。だから速い追い切りをした翌週はサッとやるだけにしている。この中間は落ち着きがあるし、状態面に関しても言うことない」と、指揮官も余裕の笑みだ。 実績、状態に加えて初の新潟へのイメージも悪くない。2走前のユニコーンSは同じ直線の長い東京コースで自慢の末脚を爆発させた。モタれる心配のない左回りなら、豪快な差し切りVの可能性がぐんと高くなる。 「折り合いを考えれば、前走から1Fの距離短縮はプラス。ペースが速くなるからね。それに新潟ならじっくり行っても差し届く。何より秋に向けて、ここは答えを出しておかないと」。 同世代との勝負付けを終え、秋は古馬の厚い壁に挑む。そのためにも、問題は勝ちっぷりと言いたげだ。
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レジャー 2009年08月17日 15時00分
北九州記念(GIII、小倉芝1200メートル、16日)止まらないミッキー旋風 サンダルフォンがV
サマースプリントシリーズ第3戦「第44回北九州記念」(GIII、小倉芝1200メートル、16日)は、8番人気のサンダルフォン(牡6歳、栗東・松永幹厩舎)が中団から力強く末脚を伸ばして、重賞初勝利を達成した。勝ち時計は1分7秒5(良)。 松永幹調教師の笑いが止まらない。「スプリントと2000、サマーシリーズ両方決めてくれればうれしいですね」。うまくいく時はこんなものか。騎手時代、唯一重賞を勝てなかった小倉で、小倉記念に続く重賞連覇。16番人気だったダンスアジョイの後は、8番人気のサンダルフォンが大仕事をやってのけた。 いつもスタートの悪い馬がこの日はうまく流れに乗った。「千二では行き脚がつかないかと心配したのに、手応えが凄く良かった」と酒井騎手。その通り、先行争いの後ろという絶好位から、直線は一気に弾けた。 「いつも惜しい競馬だったんですが、今日はゲートが決まったのと荒れ馬場が向きました。次はセントウルS(9月13日)を考えてます」と師。6歳の遅れてきた新星が、大混戦のサマースプリント制圧を狙う。
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レジャー 2009年08月17日 15時00分
新重賞今昔物語 1999年札幌記念 大胆な後方待機策でイメチェンしたセイウンスカイ
セイウンスカイは逃げ馬。これは誰にも異論のないところだろう。特に1000メートルごとにハイペースとスローペースを巧みに織り交ぜて後続を幻惑、当時の世界レコードでキングヘイローとスペシャルウィークを完全に封じ込んだ1998年の菊花賞は鮮やかの一語に尽きる。ちなみに菊花賞の逃げ切りは38年ぶり、快速2冠馬ミホノブルボンですら成しえなかった快挙だった。7月18日、JRA通算2000勝を達成した横山典騎手にとっても、ベストパフォーマンスの一つといっていい。 そんな「芦毛の魔術師」が新しい地平に踏み込んだのが、99年の札幌記念だった。菊花賞の後は暮れの有馬記念が4着。年が明けて、日経賞は完勝だった。そして迎えた春の天皇賞は、スペシャルウィーク、メジロブライトとの3強再戦となった。 しかし今度は菊のようにうまくいかない。逃げは打ったものの、最後の踏ん張りが利かず3着。スペシャルとメジロの一騎打ちから2馬身半遅れる完敗だった。 これが転機になった。セイウンと同期の95年生まれは、他にもグラスワンダーやエルコンドルパサーと名馬がひしめく。さらに他の世代の強豪とも互角以上の戦いを続けるには、マークが厳しくなる一方の逃げ一辺倒では厳しい。 停滞しかかった現状を打開するため、横山典騎手は札幌記念で思い切った手を打った。いつもなら先頭か2番手にいるはずの1コーナーを何と7番手で回ったのだ。どよめくスタンド。単勝1.4倍という圧倒的支持のほとんどは、胸のすく逃げ切り劇を期待していただろうから、その反応は当然といえた。 しかしセイウンスカイは悠々と後方待機を続けた。再度、スタンドが沸いたのは3コーナー、芦毛の馬体がペースを上げると馬群を外から一気にまくって出たのだ。直線はファレノプシスに追い詰められたが、半馬身封じ込む完勝だった。 見事な変身。だが次の天皇賞秋は本馬場入場で他馬と接触するアクシデントがあり5着。しかも屈腱炎に見舞われ、1年半ぶりだった2001年春の天皇賞は12着と大敗した。追い込み馬としての奥行きをもう少し見たかっただけに、その後の失速は残念でならない。