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芸能 2009年10月13日 15時00分
噂の深層 小宮悦子もリストラ危機
人気キャスター・滝川クリステル(32)がフジテレビ系「ニュースJAPAN」を突如降板した衝撃が収まらぬ中、テレビ業界は、さらなるリストラのウワサでいっぱいだ。不振にあえぐ業界が標的にするのはコスト高のベテランキャスター。中には、あの小宮悦子キャスター(51)の名前まで挙がっているという。 本紙既報のように、滝川の降板は、ギャラをめぐるフジテレビとのケンカ別れだった。滝川は今年6月に報道局長に辞意を伝えていたが、一度は引き止められていた。しかし経営不振にあえぐテレビ業界のこと。結局、渡りに船とばかりに受理されたようだ。 「滝川は、資生堂のCMの仕事が入っていたためにギャラアップを狙ったが、フジテレビは拒否した。中立が原則のニュースキャスターだから、局は特定の企業のCM出演を容認することができない。フジテレビと滝川サイドは決裂して、9月21日に降板を発表、25日に降板という電撃的な流れになったわけです」と、フジテレビ関係者。フジテレビとすれば滝川では視聴率も取れないし、これ幸いとばかり滝川を切ったらしい。 フジテレビでは、さらなる大物キャスターのクビ切りもウワサされている。コスト削減のあおりは、どのアナにとっても“対岸の火”ではないのだ。 その筆頭は「めざましテレビ」の大塚範一(61)だが、「とくダネ!」の小倉智昭(62)、そして「スーパーニュース」の安藤優子(50)らの名前も挙がっている。 「大塚のギャラは年間1億円、小倉は3億円、安藤は2億円、合計で6億円と推測されます。彼らを切って局アナにすれば、タダになる。フジテレビの場合は、局アナの人材もそろっているし、制作費削減のためには最後に残った大物の首を取るしかない、というのが局の考え方です」と前出のフジテレビ関係者。 業界一景気の良かったフジテレビでさえ、不況の荒波はすさまじい。スポット広告は売れず、ジリ貧状態が続いている。「経費削減だけが目的でなく、局アナを育てる方針が打ち出されている。そのためにも大物には去ってもらう必要があります」と、関係者は言葉を続ける。 この傾向はもちろん、フジテレビだけではない。テレビ朝日では、「ワイドスクランブル」の大和田獏(51)に続いてウワサされているのが「Jチャンネル」の小宮悦子(51)というのだから、ビックリ。 推定ギャラ1億円の小宮は、すでに51歳のベテラン。そろそろ後進に道を譲ることも選択肢のひとつかもしれない。その場合、後任は局アナの上山千穂(33)が有力といわれる。彼女はスタイルも良く美人で質素。「ニュースステーション」や「やじうまプラス」など、ニュース畑を歩いてきたため、ニュースの「読み」でも遜色(そんしょく)はない。局アナ起用を打ち出しているテレ朝とすれば、願ってもない人材だ。軽く1億円の経費が浮くことも見逃せない。 テレビ業界不振の余波をモロに食らいそうなベテランキャスターらにとって、眠れない秋の夜長となりそうだ。
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スポーツ 2009年10月13日 15時00分
新日本プロレス 中邑IWGP死守 次は猪木だ!!
IWGPヘビー級王者・中邑真輔が吠えた。12日、両国国技館で開催された蝶野正洋25周年記念大会で、激闘の末にZERO1の大谷晋二郎の挑戦を退けた中邑は、改めてアントニオ猪木に宣戦布告。棚橋弘至が次期挑戦者に名乗りを上げたが「俺の狙いは猪木ただ一人」と言い放った。 IWGP史上に残る激闘だった。大谷は中邑戦前に、特別な思いを胸に秘めていた。「橋本真也の魂を背負って戦う」。4年前に亡くなった橋本さんの遺伝子を持つ男は、破壊王の代名詞というべきIWGP王座を奪い取ることを誓い、破壊王の得意技だった水面蹴り、ケサ斬りチョップを叩き込んでいく。それだけではない。中邑の執拗な腕攻めにあい、何度も苦痛に顔をゆがめるが、決して後退することはない。諦めない心こそ橋本さんの真骨頂であり、この日の大谷の戦う姿に破壊王の姿がダブって見えた。加えて、ZERO1の代表として「負けられない」との意地もある。 引けないのは中邑も同じだ。ストロングスタイルを探究する中邑は、IWGP改革に乗り出したばかり。まして初代IWGPベルト奪回に向けて、対アントニオ猪木を掲げた以上、初防衛戦でつまづくわけにはいかない。 互いの信念が交錯するほど、試合はヒートアップ。最後は中邑がボマイェで辛くも王座防衛に成功したが、敗れた大谷の心意気はしっかりと観客に伝わっていた。会場は健闘を称える“大谷コール”に包まれた。 試合後には右眼か内側壁骨折で欠場していた前王者の棚橋が姿を見せ、中邑を“暫定王者”呼ばわりし「俺を倒さない限り、チャンピオンと言わせねえ」とIWGP王座の挑戦を表明。リング上では無視を決め込んだ中邑だったが、バックステージでは「いつでもどこでもやってやる」と対戦を受諾。棚橋は17日から開幕する『G1タッグリーグ』で復帰を果たすことから、11・8両国国技館大会での両者のタイトル戦が決定的となった。 また、中邑は「俺は橋本真也を知らない。でも橋本真也の言葉は覚えている。『なにがアントニオ猪木だ!』。俺の狙いはアントニオ猪木ただ一人、ほかの何者でもない」 代弁者を介すつもりはない。「アントニオ猪木の言葉を待つ。ここからは神の領域。答えは一瞬で決まる」。中邑はブレることなく自己を押し通し、運命の時を待つ。
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スポーツ 2009年10月13日 15時00分
新日本プロレス 蝶野 喧嘩キックで締めた
まさにドリームマッチだ。蝶野正洋25周年記念大会のトリを飾る6人タッグ戦にメジャー3団体のトップが集結。蝶野正洋&武藤敬司&小橋建太VS中西学&小島聡&秋山準という豪華さ。 6選手がリングに顔を揃えると、超満員の観衆の期待値は一気に高まり、会場は異様な高揚感に包まれる。蝶野をして「興奮した」という特別な空間は、武藤と小橋の闘志を駆り立てる。 いつもにも増してアグレッシブな攻めを見せた2人は「試合をしていて楽しかった」とコメント。そこまで熱くなれたのは中西&小島&秋山の考えが「お祭りで終わらせない」という点で一致していたことだ。戦いの構図は三銃士&四天王VS第3世代となり、世代闘争ととらえる中西組は結果だけでなく、存在感でも蝶野組を凌駕する気構えだった。 試合はどの顔合わせも激しいものとなった。特に初遭遇した小橋と中西の激突は重厚で、チョップの打ち合いは迫力満点。中西は入れ込みすぎるあまり、コーナーに控える小橋に再三攻撃を加えるなど、その暴走ぶりは良くも悪くもインパクト絶大で、小橋に「野人といわれるだけのことはある」といわしめた。 試合は蝶野組が第3世代の分断に成功。蝶野が孤立した中西をシャイニング・ケンカキックで仕留め、25周年記念大会を自身の手で締めくくってみせた。ただし、第3世代は敗れたとはいえ、存在感では決して負けてはいなかった。 蝶野はイベントが大盛況に終わったことを受けて「三沢さんの追悼興行も武藤さんの記念興行も超満員で、プロレスに風が吹いている。いや、吹かせている。これを来年、さ来年にどうつなげていくか。俺は戦うところは、K-1や総合だと思っている。プロレスの魅力はそういうところに負けないものだという自信がある」とコメント。その言葉通り、ドリームマッチは、プロレスの魅力が存分に詰まった一戦であった。
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スポーツ 2009年10月13日 15時00分
新日本プロレス 朝青龍ボイコット!?
朝青龍にすっぽかされた! メーン前には尾崎仁彦リングアナウンサーからスペシャルゲストとして「第68代横綱、朝青龍関です」と紹介アナウンスがあったが、スポットライトの先に肝心要の朝青龍がいないハプニングが発生。すぐさま「朝青龍関は席をはずされているようです」と、訂正のアナウンスを流したものの、最後まで朝青龍が会場に現れることはなかった。 結果的に「謎のドルジ来場アナウンス」となってしまったが、そもそも朝青龍は席をはずしているどころか、最初から来場していなかった。蝶野も「オファーはしてて、来る予定だったんだけどね。でも来ないっていう連絡もなかったけどね…」と困惑気味。蝶野からしてみればドタキャンで思わぬ“肩透かし”を食らった格好だ。
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スポーツ 2009年10月13日 15時00分
新日本プロレス 中邑 11日は“不良の祭典”を視察
初防衛に成功したIWGPヘビー級王者の中邑真輔だが、前日11日夜にはケンカ自慢が集う不良の祭典「OUTSIDER」東京・ディファ有明大会を視察。同大会の前田日明代表とも接触を果たし、決戦へのボルテージを高めていた。 お忍び視察だった。決戦前夜にもかかわらず、中邑は自らチケットを購入してCHAOSの矢野通とともに同大会を観戦。「モチベーションをあげるためにケンカを見に来た。自分以上の何かを背負って闘っているヤツらがいる。好きだね」と不良たちのアツい激闘を見入った。 ただの観戦だけではなかった。大会の実行委員長で元新日プロの前田氏とは報道陣をシャットアウトして10分間に渡って密談。内容は明かさずじまいだったが「いろいろとお話しました。フッフッフッ、フーゥ」とニヤリ。かつて対アントニオ猪木を掲げていた同じ境遇の前田氏との極秘会談に好感触を得たようだ。 CHAOSにとっても意義のある視察だった。“金色の知将”矢野も「ここには俺と同じ臭いのするヤツがたくさんいた。まあ引き抜けるヤツがいれば引き抜こうと思っただけだ」とし「新日本のバカどもが忘れてるものがなにか引っかかってたんだけど、ここにはそれを持ってるヤツがいたってことだな」と満足気に会場を後にした。
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スポーツ 2009年10月13日 15時00分
OUTSIDER 初の王者決定トーナメント開幕
最強のケンカ自慢が集う「THE OUTSIDER」の第8戦が11日、東京・ディファ有明で行われた。同イベント初の王者決定トーナメントが開幕。65キロから70キロ級の初代王者を決める闘いの火ぶたが切って落とされ、激闘が繰り広げられた。 この日は1回戦のベスト16と準々決勝の2試合が開催。熱戦を勝ち抜いた4強が出そろい、準決勝で“九州天下一武闘会の大目付”野村剛史VS第4回大会MVPの佐野哲也、北関東最強暴走族の魔璃闇薔薇元総長で格闘彫師・吉永啓之輔VS川口連合第十代総長の武井勇輝が行われることになった。 なお、12・13ディファ有明大会では準決勝と決勝が行われ、65キロから70キロ級の最強の不良を決する。
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スポーツ 2009年10月13日 15時00分
ボクシング 四ヶ所麻美 “女の夢”獲った
ボクシングトリプルタイトルマッチが12日、東京・後楽園ホールで行われ、OPBF(東洋太平洋)女子フライ級2位の四ヶ所(しかしょ)麻美が王座決定戦を制し、初代女王の座に就いた。 同級3位のOA・ゴーキャットジムとのタイトルマッチに臨んだ四ヶ所。ここまでの道のりは決して楽なものではなかった。1カ月前から緊張と不安によるプレッシャーで眠れなくなり、夜中に泣き出すこともしばしば。試合の直前にも緊張のあまり涙がこみ上げてきたが、我慢した。 序盤から右ボディー、左フックを多用し、ペースを握ると、4Rにはワンツーがクリーンヒットし、ゴーキャットジムをぐらつかせる。その後も左右のラッシュやコンビネーションをうまく使い主導権を渡さない。最後は8R46秒、右フックで戦意を喪失させTKO勝ち。プレッシャーという“悪夢”からも一時開放され、喜んだ。 17日には30歳を迎える。最高の誕生日プレゼントを獲得した四ヶ所は「これでようやく安心して眠れる」。ベルトを枕元に置き、そうつぶやいたに違いない。 また、OPBFスーパーミドル級王者の清田祐三は、同級10位のヤント・シマモラを3R2分52秒TKOで下し、3度目の防衛に成功。次戦は世界挑戦を見据え、世界ランキング15以内のランカーと交渉に入る。「世界を狙うためにも日々精進していきたい」と更なる飛躍を誓っていた。 なお、11日の後楽園では、協栄ジム期待のホープ佐藤洋太が、佐藤純一郎に7回TKO勝ちし、日本フライ級タイトル挑戦権を手にした。
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スポーツ 2009年10月13日 15時00分
アイスリボン さくらえみ 軽くなって新王者
アイスリボンのさくらえみが驚異のダイエットに成功だ。 さくらは12日のアイスリボン北沢タウンホール大会で王者真琴の持つ60kg以下限定「ICE×60王座」に初挑戦。さくらが真琴を下し、第四代王者となった。 この日のため8日前に66.6kgだった体重を59.8kgまで落とした。徹底した食事制限で頬はゲッソリ。数日前から絶食し幻覚を見た。 試合ではいつもと変わらぬ動き。「さくらえみ59.8キロ」を炸裂させ、最後はラ・マヒストラルで真琴から完璧な3カウントを奪った。 試合後、60kg以下をキープできなければ同王座の返上を約束。「このベルトが獲れれば彼氏ができるかなと思います」と婚カツレスラーを力強く宣言したさくら。 しかし、やはり減量はつらいようで「今日だけはアイスクリームが食べたい…」とボヤいていた。
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スポーツ 2009年10月13日 15時00分
酸いも甘いも知る男の夢は プロボクサー・渡部あきのりに迫る
渡部あきのりというボクサーをご存じだろうか? もしかしたら「牛若丸あきべぇ」というリングネームの方がピンとくる方もいるかもしれない。15連続KO勝利の日本タイ記録を作りながらその後に3連敗。栄光と挫折の両方を味わった“未完の大器”は、いくつかのターニングポイントを経ながら、その胸中では壮大な野望を抱いていた。 新人王、連続KO勝利記録…。それまで渡部のボクシング人生は順調に進んでいた。 14歳の時「自分が感じた中で一番男らしい、かっこよかった」とあこがれを抱いていた、プロボクサーになることを決意。花咲徳栄高校に進学すると、本格的にボクシング人生をスタート。当時は「本当に弱かった。へなちょこボクサー」(渡部)だったが、それでも高3の夏(2003年)にはインターハイで準優勝する。 その後、プロをめざし協栄ジムに入門。「どうせジムを選ぶんだったら、強い人がいるところがいい」という理由で、渡部と同じ階級で日本チャンピオン(佐々木基樹=現帝拳ジム)がいる同ジムを選んだ。とにかく強くなりたかった。 04年2月のデビュー戦こそ判定勝ちだったが、2戦目からKO勝ちを重ね、05年には新人王、MVPをダブル受賞。この直後に渡部にとって最初の転機が訪れる。06年3月、新人王獲得のボーナスとして米国で、5階級制覇のフロイド・メイウェザー・ジュニアとスパーリングを行うことになった。 「初めて見る“生物”でしたね。オーラが出てたし。新人王戦も全部KOだったんで多少自信を持っていた時だった。でも、自分と世界との距離が本当に分かった。世界で一番強い男と20歳の男がスパーリングできた。あの時の経験は相当でかい。本当にオレの財産ですね。『世界を見てこい』と言ってくれた金平会長に感謝しますよ」 またひとまわり成長し、帰国して順調に白星を積み、15戦連続KO勝ちという日本タイ記録を樹立。そして、記録更新が懸かった運命の16戦目。07年12月、初の日本タイトル挑戦となった湯場忠志戦で1RKO負けを喫してしまう。 「キャリアが足りなかったんじゃないですか。開始8秒ぐらいで倒した時、動揺したのは自分の方じゃないかって。チャンピオンの方が冷静だった。修羅場をくぐっていた」と振り返る。 その後は泥沼にはまったように3連敗。その間、いろんな手法で復活するすべを探した。初挑戦に失敗した直後、3日間の自転車の旅に出た。さらに08年4月には何かにとりつかれたように雪が残る富士山に一人で登った。「何か見つかるかなと思ったけど、何も見つからなかった」という。 ここが2度目にして、一番のターニングポイント。「絶頂期からどん底まで落ちた、というのは自分にとって財産だなと思ってます。オレの武器ですよね。負けて得たものが大きかった。半端じゃなくて3連敗したのがよかった」これで何かが吹っ切れた。 「3連敗をして考え方が変わった」と語るように、このままじゃダメだと思い、デビュー当時から世話になっていた萩原トレーナーと再びコンビを組んで迎えた今年6月の再起戦で4RKO勝ち。1年9カ月ぶりの白星だった。 実は渡部は今年も富士山に登っている。今年は1人ではなく、地元・埼玉の友人たちと登った。 「同じ険しい道のりだけど、気の持ち方ひとつでこんなにも楽しく登れるんだと思いましたね。1人で登った時は本当につらくて怖かった」。1年前の“幻影”は、もうそこにはなかった。 8月の復帰2戦目もKO勝ちし、23日には「レイジングバトル」決勝戦(後楽園ホール)での岳たかはし(新田)戦が控えている。「まず自分がやることは23日の試合に勝つこと。来年には日本のベルトを巻きたいと思ってます。ちょっとずつ力を出せるようになっている。レイジングバトル優勝が目標じゃない」としっかり足下を見ている。 将来の夢はボクシングで完全燃焼し、アメリカンドリームをつかみとること。「ラスベガスで1試合何十億も稼げるようなボクサーになりたい。(東洋人初の四階級制覇を達成した)パッキャオみたいになりたい。フィリピンの英雄じゃないですか。何年かかってもいいからベストを尽くせるまでやる」。渡部は今日も目標に向かって“終わりなき旅”を続けている。<プロフィール> 本名・渡部信宣(わたなべ・あきのり)1985年7月10日生まれ。24歳。血液型O。埼玉県北葛飾郡出身。03年高校総体ウェルター級準優勝。04年2月16日プロデビュー。21戦18勝(17KO)3敗。05年全日本ウェルター級新人王、MVP獲得。日本ウェルター級6位。15連続KO勝利(日本タイ記録)。好きな言葉は「臨機応変」。好きな芸能人は木下優樹菜 オフィシャルブログ「あきべぇん家〜ボクシングでてっぺんとります〜」も更新中。
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スポーツ 2009年10月13日 15時00分
「時代」を彩った男と女・あの人は今 元巨人捕手・山倉和博さん
巨人V9時代の名捕手・森昌彦(当時、現・祇晶)の後に巨人の捕手だった山倉和博。彼をクローズアップするときは、いつもチームメイトだった江川卓と必ず比較される。山倉VS江川の対決が、いまも大学野球の語り草になっているからだ。 山倉は早稲田大学時代に岡田彰布(前阪神監督)、佐藤清(元早大監督)らと神宮球場を沸かせた。1977年、ドラフト1位で巨人に入団。翌年のプロ初安打は本塁打だった。 「巨人は伝統的に捕手のいいのが集まっていた。藤尾(茂)、森、そして山倉と巨人優勝の原動力となるのはいつも捕手だった。いまの阿部(慎之助)もそう」(プロ野球関係者) 現役時代の背番号は15だったが、手抜きしてリードすることからニックネームは「ナマクラ」と言われた。 守備は平均以上。ただ打撃の確実性に欠けていたが、意外性もあった。82年には規定打席に到達しながら打率は1割8分6厘と2割を切っている。なお、この年の山倉を最後に規定打席に到達して打率2割未満の選手は出現していない。 80年から8シーズン連続で100試合以上に出場、藤田元司と王貞治の両監督の下では中心捕手であった。87年、打率は低かったが、巨人の捕手としては史上初のシーズンMVPを獲得している。ただし、67年に森が日本シリーズで捕手として初めてMVPを獲得している。 88年以降はケガや、中日から中尾孝義が加入して出番が少なくなり、それとともに村田真一の台頭などもあって、90年に現役を引退した。引退後はテレビやスポーツ紙で野球解説者を務め、93年から98年には巨人のバッテリーコーチに就任し、99年から03年までNHKで再び解説者に戻った。 現在はフリーの解説者で活躍しているが、読売新聞西部本社のスポーツアドバイザーとして野球の普及活動を行っている。◎一般受験で早大に合格! 東邦高時代は俊足で強打者として知られ「愛知県に山倉あり」とまでいわれ注目された。愛知県大府市出身だが、生まれは福岡県田川市。愛知も福岡も野球の盛んな土地のため「知らず知らずのうちに野球になじんでいた」というのもうなづける。 1973年の春と夏の甲子園に出場。山倉はプロのスカウトの注目を集めた。そしてドラフトで上位指名の呼び声も高かった。 「捕手で強肩、強打、そして俊足と三拍子そろった」山倉はどこへ行ってもプロで通用する人材であった。だが、ドラフトで上位指名されたが、プロへは行かずにかねての希望であった東京六大学の早稲田へ進学した。 早稲田もこれだけの選手であれば、将来の主力と思っていたが、野球推薦のない当時、山倉は一般受験で合格した。 同期に作新学院の江川卓がいたが、志望した慶応大に受からず法政大の2部に合格した。こんな話も当時のマスコミは「山倉と江川の差」として書き立てたものだった。
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