新人王、連続KO勝利記録…。それまで渡部のボクシング人生は順調に進んでいた。
14歳の時「自分が感じた中で一番男らしい、かっこよかった」とあこがれを抱いていた、プロボクサーになることを決意。花咲徳栄高校に進学すると、本格的にボクシング人生をスタート。当時は「本当に弱かった。へなちょこボクサー」(渡部)だったが、それでも高3の夏(2003年)にはインターハイで準優勝する。
その後、プロをめざし協栄ジムに入門。「どうせジムを選ぶんだったら、強い人がいるところがいい」という理由で、渡部と同じ階級で日本チャンピオン(佐々木基樹=現帝拳ジム)がいる同ジムを選んだ。とにかく強くなりたかった。
04年2月のデビュー戦こそ判定勝ちだったが、2戦目からKO勝ちを重ね、05年には新人王、MVPをダブル受賞。この直後に渡部にとって最初の転機が訪れる。06年3月、新人王獲得のボーナスとして米国で、5階級制覇のフロイド・メイウェザー・ジュニアとスパーリングを行うことになった。
「初めて見る“生物”でしたね。オーラが出てたし。新人王戦も全部KOだったんで多少自信を持っていた時だった。でも、自分と世界との距離が本当に分かった。世界で一番強い男と20歳の男がスパーリングできた。あの時の経験は相当でかい。本当にオレの財産ですね。『世界を見てこい』と言ってくれた金平会長に感謝しますよ」
またひとまわり成長し、帰国して順調に白星を積み、15戦連続KO勝ちという日本タイ記録を樹立。そして、記録更新が懸かった運命の16戦目。07年12月、初の日本タイトル挑戦となった湯場忠志戦で1RKO負けを喫してしまう。
「キャリアが足りなかったんじゃないですか。開始8秒ぐらいで倒した時、動揺したのは自分の方じゃないかって。チャンピオンの方が冷静だった。修羅場をくぐっていた」と振り返る。
その後は泥沼にはまったように3連敗。その間、いろんな手法で復活するすべを探した。初挑戦に失敗した直後、3日間の自転車の旅に出た。さらに08年4月には何かにとりつかれたように雪が残る富士山に一人で登った。「何か見つかるかなと思ったけど、何も見つからなかった」という。
ここが2度目にして、一番のターニングポイント。「絶頂期からどん底まで落ちた、というのは自分にとって財産だなと思ってます。オレの武器ですよね。負けて得たものが大きかった。半端じゃなくて3連敗したのがよかった」これで何かが吹っ切れた。
「3連敗をして考え方が変わった」と語るように、このままじゃダメだと思い、デビュー当時から世話になっていた萩原トレーナーと再びコンビを組んで迎えた今年6月の再起戦で4RKO勝ち。1年9カ月ぶりの白星だった。
実は渡部は今年も富士山に登っている。今年は1人ではなく、地元・埼玉の友人たちと登った。
「同じ険しい道のりだけど、気の持ち方ひとつでこんなにも楽しく登れるんだと思いましたね。1人で登った時は本当につらくて怖かった」。1年前の“幻影”は、もうそこにはなかった。
8月の復帰2戦目もKO勝ちし、23日には「レイジングバトル」決勝戦(後楽園ホール)での岳たかはし(新田)戦が控えている。「まず自分がやることは23日の試合に勝つこと。来年には日本のベルトを巻きたいと思ってます。ちょっとずつ力を出せるようになっている。レイジングバトル優勝が目標じゃない」としっかり足下を見ている。
将来の夢はボクシングで完全燃焼し、アメリカンドリームをつかみとること。「ラスベガスで1試合何十億も稼げるようなボクサーになりたい。(東洋人初の四階級制覇を達成した)パッキャオみたいになりたい。フィリピンの英雄じゃないですか。何年かかってもいいからベストを尽くせるまでやる」。渡部は今日も目標に向かって“終わりなき旅”を続けている。
<プロフィール>
本名・渡部信宣(わたなべ・あきのり)1985年7月10日生まれ。24歳。血液型O。埼玉県北葛飾郡出身。03年高校総体ウェルター級準優勝。04年2月16日プロデビュー。21戦18勝(17KO)3敗。05年全日本ウェルター級新人王、MVP獲得。日本ウェルター級6位。15連続KO勝利(日本タイ記録)。好きな言葉は「臨機応変」。好きな芸能人は木下優樹菜 オフィシャルブログ「あきべぇん家〜ボクシングでてっぺんとります〜」も更新中。