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トレンド 2009年10月28日 15時00分
書評「封印漫画大全」坂茂樹著、三才ブックス
いまや世界に誇る日本文化、漫画。その長い歴史のなかには、発行されるや即削除・回収で“封印”された作品が存在する。本書はそんな漫画史の表舞台から反れてしまった悲しき作品に光をあてる。 「ハレンチ学園」に代表される戦後有害図書規制の憂き目にあったもの。「沈黙の艦隊」など作品の一部背景に著作権侵害があったもの…。ここまでは分かる。驚くべきは、手塚治虫、藤子不二雄ら巨匠の作品もあることだ。 手塚治虫の「ブラック・ジャック」の第28話「指」は、手足の指が6本ある多指症の患者が5本指になりたいと手術を依頼するストーリー。奇形を扱うとの理由で単行本未収録に。差別の助長と表現の自由という表裏一体の関係の中で漫画ができていることを実感できる。(1300円)
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その他 2009年10月28日 15時00分
SG第41回日本選手権オート30日開幕 早川清太郎選手がナイガイ来訪
30日から11月3日までの5日間、伊勢崎オートレース場で開催される『SG第41回日本選手権オート』の関係者と早川清太郎選手(伊勢崎29期生)=写真(左)=が27日、江東区有明の本社編集局を訪れた。 伊勢崎期待の早川選手は「今まで伊勢崎地区は(高橋)貢さんにばかり頼っていた感じですが、これからは自分も貢さんに負けないように頑張ります。日本選手権は決勝まで行きたいですね。課題はスタートです」と意欲満々。ビッグ初Vも視野に入れていた。 伊勢崎市公営事業部の星野和正部長(開催執務委員長)は「走路改修したばかりでスピードレースを楽しんでいただけるものと思います。ファンサービス、イベント等にも力を入れ、売上げ30億円を目指して頑張りますのでぜひ本場までお越しください」とアピール。なお、日本選手権は連日、全場で場外発売を実施する。
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その他 2009年10月28日 15時00分
幻覚ナビ
左から1・2・3・4
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芸能 2009年10月27日 15時00分
酒井被告初公判 のりピー、偽装離婚へ
のりピー“偽装離婚”へ。覚せい剤取締法違反(所持、使用)の罪で起訴された女優・酒井法子被告(38)の初公判が26日、東京地裁で行われ、即日結審した。判決は11月9日に言い渡される。法廷では想定済みと思われる質問に対し、ハキハキと答え続けた同被告だが、唯一、激しく感情をあらわにしたのが離婚問題。一度ははっきりと「離婚する」と口にしながら、次第にあやふやな答えに。夫・高相祐一被告(41)への断ち切れない愛情がありありと浮かび上がった。 黒のスーツに装飾具はなし。髪はサイドをひとつにまとめた清潔感のあるスタイル。左手薬指の星形タトゥーはおそらく強力ファンデーションによって消され、左足首のタトゥーはスカートに隠された。楚々とした若奥様にしか見えない酒井被告が法廷に現れたのは、午後1時30分、開廷ちょうどの時間だった。保釈の際より少しやせた印象。青白い顔で、口元にもさすがに“のりピースマイル”はなかったが、冷静な表情で傍聴席に一礼した。 常にうつむきがちに一点を見つめながらも、裁判官の質問にははっきりと「はい」と答え続けた酒井被告。途中、情状証人に立った前所属事務所「サンミュージック」の相澤正久副社長の言葉にハンカチで目を拭うシーンもあったが、保釈時のような大粒の涙がこぼれることはなく、どちらかというと“ウソ泣き的”。総じて落ち着き払った様子だった。 そんな酒井被告が突然、涙声になって感情をあらわにしたのが弁護人に「今後はどうするのか?」とたずねられた際。「夫と話し合い、私の気持ちとしては…離婚をし、お互いに更生することが必要だと思います」と、離婚する意向を言葉にした瞬間だった。 今にも消え入りそうな声。証言台に立った酒井被告の薄い肩は震え、それまで姿勢よく伸びていた背筋が、「離婚」の一語を発するとともに、苦しげに曲がった。言ったそばから後悔の念が生じたことを感じさせる、急激な取り乱し方だった。 その後も、夫・高相被告との離婚については、法廷内でたびたび問われることになる。 検察官による被告人質問では、「離婚するのですか?」と単刀直入に聞かれ、「夫とはまだ話し合いを持っていません。今後話し合って決断したいと思います。お互い更生する努力が大切だと思います」と、いきなり発言内容が弱まってしまった。 次に「今後も夫と一緒に住むのですか?」と聞かれると、「夫も二度と覚せい剤をやらないとは思います。悪いのは私。覚せい剤を引き離せなかった」と、ここでも微妙な答え。結局、「一緒に住まない」と明言することはなかった。 さらに、弁護人弁論で酒井被告の弁護人は、同被告の“揺れる女心”を察したかのように、「今後は被告人と被告人のお母さんと子供の3人で暮らし、お母さんが厳しく監督すると言っている。また、夫とは『一定の距離』を置く決意もしています」と、完全に弱い言い回しに変化。結果的にかなり苦しい表現で情状酌量を求めるハメになってしまった。 思えば、21日に行われた高相被告の初公判では、酒井被告から高相被告の母に手紙が届いていたことが発覚。高相被告自身が「『大変申し訳ないことをした。家族3人でまた暮らしたい』と書いてありました」と、愛ある内容を明かしていたのだった。また、高相被告が法廷で、ときに酒井被告の不利になるような発言をしたのに反し、この日の酒井被告は「夫は私に(覚せい剤を)使用させるのには後ろめたい気持ちがあったと思います」などと、終始、夫を気遣う供述を繰り返した。 メディアでは識者が「離婚が更生への第一歩」と口々に語り、情状証人に立った芸能界での育ての親・相澤副社長もまた同じ考えだった。「離婚を認めなければ私の明日はない」と酒井被告が思うのも無理はない状況だ。しかし肝心の胸中はどうか。この日の様子から、夫への愛の感情がなお消えていないのは明白だった。 また、幼いころから両親の離婚、肉親との死別などを経験し、家族との「普通の生活」に恵まれなかった酒井被告にとって、やっと育むことができた自らの家族生活がどれほど大切だったのかも明らかだ。 裁判官に「最後に言っておきたいことは?」と促され、「二度と覚せい剤を使わず、日一日と信頼を取り戻せるよう頑張っていきたい」と宣誓した酒井被告。自らの言葉に忠実になるためには、夫と家族への尽きせぬ愛情を抑えて、“偽装離婚”とでもいうべき決断をするしかなさそうだ。
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芸能 2009年10月27日 15時00分
酒井被告初公判 やった! 本紙記者が傍聴券“的中”
一般開放される傍聴券20枚に対して6615人もの人々が雨の中、長蛇の列を作ったのりピーの初公判。1996年4月24日に開かれたオウム真理教・松本智津夫死刑囚(54)の判決公判での傍聴券競争率(一般開放は45席)の256倍をしのぐ、約330倍の過去最高となったが…。 手にした抽選番号は「5107」。予定より約10分遅れの午前11時40分ごろ、当選番号を記した掲示板の中に、その番号はしかと記されていた! 23日の押尾学被告(31)の初公判は別件取材の関係で参加できず、21日に行われたのりピーの夫、高相祐一被告(41)の初公判では早起きしてカスリもしなかったのに、まさかこの大舞台で“的中”とは…。われながら元ギャンブル記者としての面目躍如かも。 18日の秋華賞で大ハズレ。25日の菊花賞は見送りという流れは、高相裁判で傍聴券を手にできず、不参加だった押尾裁判と一緒かも? こりゃ、11月1日の天皇賞は、(5)(10)(7)に(1)を絡めた馬券で勝負するしかない。ギャンブル好きのリアスポ読者の皆さま! 覚えておいて損はないですぞ。
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芸能 2009年10月27日 15時00分
酒井被告初公判 のりピー、シャブSEXにおぼれた?
やはり、麻薬セックスに明け暮れていたのか? 26日の初公判で、覚せい剤の使用を認めた酒井法子被告(38)。その入手先は「夫」とし、自分で買ったことはないとするなど、拘置中にもれ聞こえてきた供述内容とほぼ同じことを語ったが、新証言がひとつ。夫に覚せい剤を“おねだり”していた事実が発覚したのだ。 この日の酒井被告の供述をまとめると、同被告が初めて覚せい剤を使用したのは約4年前。手を染めた理由としては「好奇心と、一番近い人(夫・高相被告)から勧められたので」とした。覚せい剤初体験は「変な味、いやな感じがした」が、同時に「最初から(気分が)すっきりする感じはあった」という。 およそ3年の歳月を隔てて昨年夏ごろから使用を再開。動機として「そのころ私は生活のリズムが乱れていたと思います。朝も昼も晩も動いていて、休む時間がほとんどありませんでした。また私は人に期待されると、頑張りすぎてしまう傾向があり、そのころもそうだったのだと思います。(使用すると)疲れが取れる、体が動くようになることから使ってしまいました」とした。使用頻度は月に1回から数回で、計10回かもう少し多いくらい使用した、という。 依存症については何度も強く否定したが、一方で、覚せい剤の効果が切れたときには「(使用しているときには)やはり眠気がなくなるので、(効果がなくなると)疲れてしまったり、ずっと眠ってしまう」などの症状が現れたことも吐露。また、育児への影響として、掃除をしなくなったことを認めた。 覚せい剤の魔力がいかに強く恐ろしいかを物語る供述だが、さらに注目すべきは裁判官質問でのやり取りだった。 それまでの供述で、夫婦ともに「やめようね」と言い合いつつ、覚せい剤にハマッていった経緯を告白した酒井被告。また、覚せい剤は夫からもらっていたと語ったが、裁判官に「あなたの方から(覚せい剤が)欲しいと言ったことはなかった?」と聞かれると、「…はい」。「あった?」と重ねて聞かれ、「はい」と答えた。 かつて国民的アイドルだった酒井被告が、“覚せい剤おねだり”をしていたまさかの事実。 麻薬中毒患者への取材を多く行ってきたジャーナリストは「使用すると疲れを感じなくなる、頭がすっきりする、といった効果があるのは事実。しかし、男女で一緒に使用した場合に何より“魅力的”なのは催淫効果。100%、セックス目的といっても過言ではない。それほど性的快感への寄与は絶大で、とくに女性は絶頂感が延々と続くなど、顕著な効果があるとされています」と指摘する。 セックスの快感のために覚せい剤を“おねだり”していたとしても不思議ではないのだ。 公判では、夫への尽きせぬ愛情を垣間見せた酒井被告だが、その原動力のひとつとなっているのは、2人きりで味わった、この世のものとも思えない快感なのかもしれない。
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芸能 2009年10月27日 15時00分
酒井被告初公判 相澤副社長は無言で芸能界復帰支援否定
酒井法子被告の初公判で情状証人として出廷した前所属事務所サンミュージックの相澤正久副社長に話を聞こうと26日夜、四谷のサンミュージック事務所前に一部の報道陣が詰め掛けた。 事務所関係者から相澤副社長、相澤秀禎相談役とも本日は事務所に姿を見せる予定がないことを告げられると、いくらかの報道陣が一旦事務所前から引き上げた。しかしその約10分後、相澤副社長を乗せた車が事務所に到着。待ち受ける報道陣から逃げるようにして事務所の中へ消えて行った。 そして約1時間半後、事務所関係者が車の動線を確保している中、相澤副社長が再び姿を現した。無言を貫いて車に乗車するかと思われたが、報道陣から「バックアップするんですか?」との質問が飛ぶと、言葉は発しなかったが手を左右に振って、バックアップの意思がないことを明らかにした。
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社会 2009年10月27日 15時00分
石原知事“賞金付き火山地帯オフロードバイクレース”公約
災害復興の切り札として東京都の石原慎太郎知事(77)が発案したバイクイベント「チャレンジ三宅島モーターサイクルフェスティバル」が先週末行われ、現地入りした知事が来年度から“賞金付き火山地帯オフロードバイクレース”を実施することを島民に約束した。昨年のイベントでケンカを売ったホンダ(本田技研工業)とは終戦。やたらこだわって国内バイクメーカーとの軋轢を生んだ公道レース構想は捨て、代わりに噴火災害の跡が生々しい雄山(標高約775メートル)の中腹を使うレースを始めるという。 イベントは3回目。知事のスピーチは今年も振るっていた。 「これで3度目になりますけど、大勢の人においでいただきありがとうございます…って、あんまり人が来ないんだ。これねえ、このイベントの限界でしてね。本当のレースをやらないとなかなか来ませんよ。人を引っ張ってこないと島の復興にもなりませんしね。短兵急に『公道レースをやる』と言ったから(国内バイク)メーカーも反発しましたけど、だんだん誤解もとけてきましてね。有力メーカーも自主的に協力してくれて新しいうれしいステージになりましたが、これで満足するわけにもいかない。雄山の下でモトクロスとロードレースの、何というカテゴリーか知りませんが、そのレースを来年からやります。4000〜5000人集めて日本でめったにないレースをやりましょう。必ずやります。ライダーも体張っておもしろいレースを展開していただきたい。お願いしますよ、みなさん、ねっ。今年はどうでもいい。来年、来年!」 さあ、これからという開幕のあいさつで「どうでもいい」と言われてしまっては、ライダーも島民も笑うしかなかった。 知事が新競技としてぶち上げたのは、2000年に噴火した雄山の中腹に舞台を移すモトクロスバイクの賞金レース。パリ・ダカのように岩や倒木、泥流跡など過酷な自然を乗り越えながらゴールを目指す。バイク業界関係者によると、日本ではあまりなじみがないが、欧米では「エンデューロ」と呼ばれてそこそこ人気があるという。 雨天の開幕となった24日、ヘリコプターで来島した知事はスケジュール変更してあいさつ前にレース会場候補地を視察。三宅村の平野祐康村長らと04年度に完成した榎木沢砂防ダム一帯を見渡しながら国内トップライダーの話を聞き、「ここならすぐできる?」「少し整地する必要あるでしょ?」などと質問攻めした。ロケーション的には問題がないことを確認し、さっそく島民に“公約”したかたちだ。 同フェスティバルをめぐっては、コースの危険性が指摘されても知事が「公道レース」に執着する姿勢を崩さなかったため、安全性の観点から国内バイクメーカーにそっぽを向かれた経緯があった。昨年のあいさつではホンダのイベント妨害疑惑を訴えて徹底抗戦を叫んだが、今年からホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの国内バイクメーカー4社が協賛。試乗会に最新マシンを提供するなど和解した。 知事は記者団に「(三宅島の)道路事情は狭小で険しいけれど、山の上ならば逆にモトクロスだったら絶好の条件というのが専門家の意見。公道を使ったレースはあきらめました」ときっぱり。競技内容には検討の余地を残しつつも、ホンダをはじめとする国内メーカーの知恵を借り画期的なレースにしたいという。 賞金を集めるほか、好天時に再度視察する考えを明かすなどやる気満々だった。◎三宅島イベント今後の展望 石原知事が公道レースを断念したことは、イベントの今後に大きな影響を与えそうだ。若者のバイク離れでメーカーは大苦戦。千葉・幕張メッセで開催中の「東京モーターショー」2輪部門では、カワサキが出展を見送った。ホンダ関係者は三宅島のバイクイベントについて「観光客が増えればいい。一方でわれわれメーカー側もどこだってつぶれかねないという危機感を持っているし、お金をかけずにPRするのに必死。イベントの注目度が増してライダーのすそ野が広がればメーカーにもありがたいんです」と話した。 三宅島唯一のレンタルバイク店「朝信」は知事の新構想について「山の上のレースならばだれにも迷惑をかけないし、いいアイデアだ」と賛同した。
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芸能 2009年10月27日 15時00分
田代まさしの新メニュー始めました! 舞台「凛として…、」にゲスト出演
実はオレ、今度ある舞台にゲスト出演することになっていて、今けいこに入っている。舞台に出演するのなんて志村けんさんとやった「志村けん&田代まさし・だいじょうぶだぁファミリー公演」以来かも(笑)。 なぜ出演することになったかというと、これにはちょっとしたエピソードがあって、この舞台の演出を担当しているのが、その昔、桑野信義のマネージャーをやっていた石橋という男なのだ。当時、オレは桑野とセットでテレビに出ることも多かったので、石橋と会う機会も多く、まだ業界に入ったばかりで慣れないことも多かった石橋にアドバイスしたり、励ましたりして、すごくかわいがっていた。 でも例の事件でオレは事務所をクビになってしまい、石橋もマネージャー業を辞めて演出の道に進んだ。それにオレが刑務所に入ってたこともあり、ずっと連絡を取っていなかったんだけど、なんと今年出した俺の著書「審判」のサイン会に石橋が来てくれたのだ。 そこであいつ、サインを待つ列に並びながらポロポロ泣いててね。「田代さんから昔頂いた“優しさ”は今でも忘れてません! あの時、田代さんの背中を見て学んだことが、今大変役に立ってます」って言ってくれたんだ。それにはオレもちょっとグッときちゃったよね。 それから「少しでも恩返しできれば…」ということで石橋の演出しているこの舞台へ誘ってくれたんだけど「あの時のお前の涙のお返しに出るよ、お金じゃ買えないものだから!」ということで、オレもふたつ返事でオッケーした。 ただ、いくら舞台に出るって言ってもゲスト出演なのでちょこっと顔を出すくらいかなー…と思ってたら、「田代さんが出てくれるんだから!」ということで、わざわざセリフも作ってくれたらしく、結構出番があるのだ。別にそこは気を遣ってくれなくてよかったのに。セリフ覚えるのが大変(笑)。でも、人に優しく接していると、それは自分にも必ず返ってくるんだなって改めて思えた出来事だった。舞台は「凛として…、〜天国は遠くの町〜」というタイトルで、新宿のSPACE107で10月28日〜11月1日まで公演しているのでお時間があったらぜひ見に来てください!
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芸能 2009年10月27日 15時00分
映画「銀色の雨」 賀来賢人「最初は吐きそうに」
映画「銀色の雨」(11月28日公開)の完成披露試写会が26日、東京・シネマート新宿で行われ、「水曜どうでしょう」でおなじみの鈴井貴之監督、イケメン俳優の賀来賢人、AKB48の大島優子が舞台あいさつに立った=写真。 浅田次郎氏の短編小説を映画化。父を知らずに育った高校生と、引退を勧告されたプロボクサー、スナック勤めの天涯孤独な女。偶然の出会いから始まった三角関係の共同生活を通して、3人がそれぞれの心の傷を乗り越え、新たな一歩を踏み出すという内容。 初主演の賀来は「最初に話を聞いたときは吐きそうになった。しかし現場ではスタッフの方々に孫のようにやさしくしてもらいありがたかった」と振り返り、賀来が演じる高校生に思いを寄せる同級生役の大島は「今回の役はほとんどストーカーみたいですが、好きだからこそという純粋な気持ちがみなさんに伝われば」と意気込んだ。 また、2作目の監督を務めた鈴井は「はっきりいって地味な映画。今の時代には向いてないかもしれない。宣伝費もあまりないので、みなさんの口コミでこの映画を宣伝してください」と最初のクールなたたずまいから一転、熱弁を振るい、会場の笑いを誘っていた。