-
スポーツ 2011年03月24日 15時30分
永田裕志、新日本プロレスのリングの上から東日本大震災の被災者に青義のエール
新日本プロレスが毎年春に行っているシングルでのトーナメント戦『NEW JAPAN CUP』。今年も各地で熱い闘いが繰り広げられ、迎えた決勝の舞台は20日の兵庫・尼崎大会。永田裕志は矢野通を、中邑真輔は真壁刀義をそれぞれ下し、決勝戦に進出した。 序盤はグラウンドとキックの攻防という格闘技スタイルが展開。試合が大きく動き出したのは10分が過ぎた頃。永田はコーナー上からエクスプロイダー、白目式腕固めとたたみ込みペースを握った。 その後、息を吹き返した中邑がキックやボマイェで反撃したものの、バックドロップからバックドロップホールドへとつないで、永田が4年振り2度目の優勝を飾った。 下馬評では中邑有利だったこともあって、意外な結末に場内からは熱烈な永田コールが。 リング上でのインタビューの際、 「このパワーを東北で苦しんでいる皆さんに送るしかない。それがプロレスのパワーなんです。プロレスのパワーは永遠に不滅です」と被災地に向けて励ましのエールを送った。 この結果によって永田は、4月3日の後楽園ホール大会で、IWGP王者の棚橋弘至への挑戦権を獲得。久しぶりとなる王者返り咲きも夢ではなくなった。
-
社会 2011年03月24日 15時30分
東京電力が足立区・荒川区の要望を一蹴! 東京23区の4月中の計画停電はなし!
東京23区はほとんどの地域で、計画停電エリアから除外されている。そんななか、広域で実施されている足立区、一部地域で実施されている荒川区が、その不公平さに声を上げたのはリアルライブで報じた通り。 その両区の訴えに、3月23日、海江田万里経済産業相が反応。「不公平があってはいけない。23区の住宅を対象に追加できないか考えている」と発言。両区の要望を聞き入れる姿勢を示唆した。 ところが、同日、東京電力は両区の要望を一蹴した。4月末まで続く計画停電について、藤本孝副社長は「今から追加するのは、むしろ大変」と否定的な見解を示した。23区のほとんどを対象エリアからはずしている理由については、「東京23区は人口が密集し、信号機やエレベーターも多い」と理解を求めた。 しかし、冷房の利用などで電力需要が上がるため、実施濃厚となっている夏場の計画停電では、「公平感を担保できる方法で計画停電を行いたい。夏場は需給ギャップが相当厳しい。23区の方にもご協力いただくことで、エリアを拡大せざるをえないだろう」とコメント。夏場は23区でも実施する方向であることを明らかにした。ただし、その場合も千代田、中央、港の3区は「国の中枢機関が多く、停電は無理」として、対象外とする方針。 人口密集地、信号やエレベーターが多い地域は、23区以外にも多数あり、東京電力の説明では不十分。ただ、不公平感が漂うなかで、夏場は一歩前進になりそうだ。足立区と荒川区が声を上げなければ、夏場も23区は除外されたかもしれない。その意味で、両区の行動は決してむだではなかったといえよう。 両区はこの回答に対し、「納得がいかない」として、東京電力本社に直談判するもようだ。(蔵元英二)※関連記事計画停電の不公平 不満爆発の声もhttp://npn.co.jp/article/detail/92336194/計画停電の不公平に足立区と荒川区が激怒!http://npn.co.jp/article/detail/25747256/
-
トレンド 2011年03月24日 15時30分
【連載】「ミカエル・コバタの沖縄あれこれ」第16回〜慶良間諸島・阿嘉島
ハイサイ! 先回は慶良間(けらま)諸島の座間味島を取り上げましたが、今回はその南西にある座間味村の阿嘉(あか)島を紹介します。 阿嘉島は周囲12.3km、面積3.82平方km、人口約350人ほどの小さい島です。人も少なく、本当にのんびりした島です。以前、八重山諸島の黒島を取り上げましたが、イメージ的にはそんな感じの島です。阿嘉港から上陸すると、ほのぼのしたムードが漂います。 阿嘉島も座間味島同様、ダイビングが盛んですので、ダイバーが数多く訪れます。座間味島、渡嘉敷(とかしき)島ほどは混み合わないので、穴場かもしれません。港のそばには小さなビーチもあって、着いてすぐ遊べます。ポピュラーなのは、島の西側にあるニシバマビーチです。トイレ、シャワー施設も完備されています。島内交通はないため、レンタサイクルか徒歩になります。小さなホテル、民宿はあります。レンタルショップは数が少ないので要注意です。 座間味島には映画「マリリンに遭いたい」に登場するメス犬のマリリンの像がありますが、阿嘉島には港の目の前にオス犬のシロの像があり、これも有名な観光スポットになっています。 阿嘉港から南に阿嘉大橋を渡ったところが、慶留間(げるま)島。ここは人口80人ほどの、本当に小さな島。集落は阿嘉とは逆の南側にしかありません。この島を巡るなら、阿嘉島で自転車を借りた方がいいでしょう。 さらに南に橋続きでつながっているのが、無人島の外地(ふかじ)島。ここには慶良間空港があり、かつては那覇から飛行機が飛んでいましたが、残念ながら今は廃線となっています。 座間味の島々はどこも魅力的ですが、日帰りで訪れるなら、オンシーズンにした方がいいかもしれません。もちろん、海水浴だけでも楽しめますよ。 アクセスですが、座間味島、阿嘉島に向け、那覇・泊港(通称=とまりん)から船が出ています。所要時間は先に到着する島が50分(フェリーなら90分)、後に到着する島が70分(フェリーなら120分)。ルートは便によって違います。船の運賃は高速船が片道3140円、往復5970円。フェリーは片道2120円、往復4030円。高速船もフェリーも1日2往復ですが、増便や運休がありますので、ご注意下さい。 この他に座間味島〜阿嘉島を往復する村内航路があり、1日4便運行しています。所要15分、運賃は片道300円です。(旅人:ミカエル・コバタ)
-
-
トレンド 2011年03月24日 15時30分
石原・ホスト掃討作戦 歌舞伎町のいま
「ここは、新宿、歌舞伎町−−」 久米明さんの特徴的なナレーションで始まる風俗嬢のドキュメントなどは、久しく観ていない気がする。先日夕刻に、バスの車窓から歌舞伎町を眺めた際も、観光客がまばらにいる程度、といった状況にみえた。 思えば、2005年4月1日施行の改正青少年条例で、路上スカウトが禁止になって久しい。これについては、 「構わずスカウトやってる人もいますよ(笑)仕方が無いのでは」(新宿のホスト談) という証言もある。 いっぽうでそのホスト氏の店も、営業時間規制や、客からもらった車や金品などへの贈与税付加など、次々と繰り出される“石原・ホスト掃討作戦”の連射砲に、青息吐息だそう。 「廃業するヤツは多いですね。次々と店がつぶれ、うちも下手するとあぶない。お客の女の子は『まじ、うぜえ。(知事が)自分のじいちゃんだったら、逃げる』って言ってますね」(同氏) しかし、こんな声もある。 「正直いままでは、AV・キャバ・風俗ともに、スカウト会社のつける10段階評価におけるS、Aランクの子は皆無でした。ある程度のレベルの子がいても、業界のしがらみにとらわれるのが平気な、いわゆるヤンキータイプだけだったかと…。比較的安心感が広がったことで、一部のキャバクラや風俗店などで、女の子のレベルが上がっている現象が見られます」(風俗ライター) 規制が厳しくなる中、ホストもキャバ嬢も、無垢で原石の輝きを放つような人材が増えている?
-
スポーツ 2011年03月24日 11時45分
水道橋駅前で巨人軍の選手が義援金募金
23日、巨人軍の選手16人が東日本大震災被災者への義援金募金を東京・水道橋駅前と東京ドーム正面ゲート前で行った。 周辺には1時間程前から募金をしようと集まったファンの長蛇の列ができ、駅周辺はサラリーマンの帰社時間とも重なって大混雑となった。 選手会長の内海、主将の阿部、ラミレス、小笠原、震災で祖父母を亡くした星ら16選手が募金を呼びかけた。 内海投手は「まさかこんなにたくさんの人が協力してくれるとは思わなかったのでうれしい。これで少しでも被災者の人たちが元気になっていただけば僕らもうれしいです」と語った。
-
-
トレンド 2011年03月24日 11時45分
DVに近親相姦、レイプ! 鬼才が描く、AV女優の姿は「上辺だけの世間に対するアンチテーゼ」
「昔、企画モノのAVを撮っていた時期があって。AVをやっている女の子って、感受性が強い」。そう語るのは、ピンク映画界の鬼才との異名を持ち、ならではの作品を寝ぼけた邦画界に突きつける佐藤寿保監督だ。 企画AV女優たちの赤裸々な性とむき出しの生を描いた映画『名前のない女たち』が現在DVDで発売中。本作は、“企画AV女優”のノンフィクションインタビュー集が原作だが「DVあり近親相姦ありレイプ、輪姦された女の子、悲惨なものがたくさん。けれども、そこには必死にもがきながら生きている女性の姿があった。社会が抱えている問題が凝縮されていた」と感想を述べる。 「そんな女の子たちにとって、自分を活かせる場所がたまたまAVの世界だった。しかし、ただそこで一生を終えるわけではない。特に若い女の子たちの中には、そういったところを通過してこなければ生きられないという部分があるはず」という佐藤監督の思想は、そのまま作品に反映されている。 佐藤監督作品には「視線の暴力」「浮遊する少女」といったテーマが根底にある。本作には視聴を目的に生産されるAV、そしてそこに出演する少女というダイレクトな素材がそろっていたからこそ、「これまで映画は何本も撮ってきたけど、今回の場合は、このときでしか撮れない映像というのが多かった。芝居も現場で高めていって、ぶつかり合う感覚。そういう意味では、撮影を振り返って『ああすればよかった』というのはない」と断言できる。 「上辺だけの今の世の中に対しての、アンチテーゼとして描写したかった」と佐藤監督が言うように、本作のラストには衝撃とともに力強い余韻がある。「主演二人の体当たりの演技を見て、感じてほしい。それに個性的な役者がたくさん出ているので、そこの個性のぶつかり合いも見所」と語りながら、「あとは何かしら感じていただきたい、というのが正直なところ。まあ、あんまり具体的に言っちゃうとね!」と意味ありげに笑っていた。DVD『名前のない女たち』はハピネットより発売中(税込み:3,990円)
-
芸能 2011年03月24日 11時45分
「お父さん、本当にありがとう」ハイパーレスキュー隊の高山隊長の娘がコメント
原発事故現場に出動した東京消防庁第6方面ハイパーレスキュー隊の総括隊長である高山幸夫氏の娘で、グラビアアイドルとしても活躍する高山智恵美さん(19)が自身のブログでコメントした。 22日に更新されたブログには「ありがとう」のタイトルで、「前にもちらっと書きましたが私のお父さんはハイパーレスキュー隊です。そして名前で気づいてる方もいると思いますが記者会見に出席していた高山幸夫総括隊長は私のお父さんです」と公表。「お父さん、日本国民のため被災者の方々のため家族のために働いてくれて本当にありがとう」と感謝の言葉を述べている。 さらに23日に更新されたブログには、「私は父と違って一人の命も救うことはできません、けれど父が救ってくれた方々を笑顔にするために私は芸能界で頑張ってます」と語り、「私が父を誇りに思うように私も父の誇りでありたいと思っています」と抱負を語っている。 東京消防庁ハイパーレスキュー隊は阪神・淡路大震災を教訓に編成された部隊。新潟県中越地震においても救援部隊として派遣された。 また、高山隊長は、AKB48のメンバーへ番組の企画で大島優子や秋元才加らがハイパーレスキュー隊へ1日入隊した時に指導を行った。今回の原発現場へ出動したことについて、大島、秋元も自身のブログで高山隊長らへ「どうか、無事であってください」などのコメントを出していた。※画像は高山智恵美さんの公式ブログです。
-
トレンド 2011年03月24日 11時45分
iPhoneアプリ「5円プリント」でプリント代の一部が震災義援金に
iPhoneで撮った画像を激安価格で銀塩プリントできるアプリ「5円プリント」が、「東北地方太平洋沖地震 義援金プロジェクト」を開始した。「5円プリント」、「500円フォトブック」、またwebサイト「ネットプリントジャパン」の売り上げの一部を義援金として日本赤十字社を通じ被災地に寄付すると発表したもの。 プロジェクト担当者は 「被災地の一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。ネットプリントジャパンといたしましても、わずかなお力にしかなれませんが、プリント業界から被災地の復興に少しでもお役に立てればと思います」と話す。【プロジェクト】 https://netprint.co.jp/main/touhoku/?jjj/【アプリの詳細HP】 https://netprint.co.jp/main/iphone/?jjj/
-
社会 2011年03月24日 11時45分
愛知県西三河地方の伝説 「桜の木が植られた城(桜城)」
愛知県豊田市元城町にあった桜(佐久良)城の元となったものは、慶長19(1614) 年、三宅康貞という武将が武蔵国瓶尻から挙母に転封された時、元城町一帯に築いた陣屋がその始まりであった。その陣屋の内外に多数の桜の木を植えられたため、佐久良城と呼ばれたという。三宅氏が寛文4(1664)年に渥美半島の田原に転封された後、挙母は幕府の直轄地となった。その時代、名代官といわれた鳥山牛助精元が曲尺手堤を築き、さらに城跡に倉庫7棟を建設した。 天和元(1681)年、磐城国白河城から本多忠利がこの地に転封され、桜城跡に新しい陣屋を築いた。本多氏は以後3代にわたり、挙母の藩主として統治した。寛永2(1749)年、本多兵庫筆頭忠央が遠江国相良へ転封され、その代わりに上野国安中城主・内藤政苗が挙母の藩主となった。 内藤政苗は寛永2(1749)年5月23日に安中を発ち、中仙道を経由して、6月3日に挙母に到着したが、12月には築城の設計図の作成した。実際に築城工事は宝暦6(1756) 年2月に始まった。挙母藩の財政は窮迫のため幕府より4千両を借用した。しかし、桜城(挙母城)は完成半ばにして、矢作川の氾濫を避けるため、童子山(小阪本町)に第2の挙母城である七州城の築城をするに至った。桜城がどの程度まで作られていたかは不明であるが、天明2(1782)年に七州城は完成した。『七州城沿革小史』によれば、本丸、二の丸、天守閣は築かれた。33年間も藩主2代が居城したと記されている。 桜城時代の街筋は中町通り、西町通りなどはいずれもカギの手に曲がった城下町特有の町割りは現在でも残っている。また桜城隅櫓跡は昭和47(1972)年2月24日に豊田市指定・登録文化財となった。(写真:「桜城北隅櫓台」愛知県豊田市元城町1丁目)(「三州の河の住人」皆月 斜 山口敏太郎事務所)参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
-
-
トレンド 2011年03月24日 11時45分
荻窪文学散歩
杉並区には文学者が集まった。太宰治、中原中也、与謝野晶子、川端康成も若いころの一時期、高円寺に住んでいた。 JR荻窪駅(杉並区)北口の天沼(あまぬま)に「教会通り」がある。井伏鱒二が天沼に住んでいたころ、近くの銭湯へ通ったという。現在の「教会通り」は道が舗装され、新築のおしゃれな建物が目立つ。【読書の森公園】 駅に戻り、南口を歩く。「読書の森公園」がある。隣接する「杉並区立中央図書館」と一体となるという全国でも珍しい公園。『荻窪風土記』(井伏鱒二)から引用された碑文や、絵本の形をした谷川俊太郎のモニュメントがある。ベンチや芝生で読書することもできる。園内には、池と東屋も造られている。井伏鱒二が天沼に住んでいたころの、杉並区を流れる善福寺川をイメージして設計された公園だ。 中央図書館の正面には、荻窪体育館がある。ここはかつて、杉並区立公民館があった場所。現在、体育館前の一角に、記念碑が建てられている。【大田黒公園】 読書の森公園から歩くと、「大田黒公園」がある。ゆるやかな起伏を生かした回遊式日本庭園。秋は紅葉の名所として賑わう。大田黒元雄(1893-1979)の遺族から区へ寄贈され、1981年から公開されている。園内に屋敷跡がある。生前の大田黒元雄が愛用した蓄音機やピアノが展示されている。 大田黒元雄は、旧制中学校卒業後、ロンドンに留学。帰国後、雑誌「音楽と文学」を創刊した。「音楽と文学」の「創刊の辞」に、以下のように記載されている。 「我々は音楽の真髄を探究し『せん』明しようと努力するものである。我々は常に音楽と他の姉妹芸術との接触を図り、音楽を今日の孤立した状態から救い出して、更に有意義な多趣味な且つ一般的のものたらしめようと欲して居る。「音楽と文学」はかういう主張の下に発行される。そして仮令如何に小さくとも此の仕事を永続して行く決心を我々は持つて居る。-音楽と文学社同人-」 「音楽と文学」は、同人が東京を離れなければならない事情などが重なり1919年に終刊した。大田黒元雄は、1933年に荻窪に移り住み、生涯にわたり、我が国の芸術振興に貢献した。【角川庭園・幻戯山房〜すぎなみ詩歌館〜】 大田黒公園の先には、「角川庭園・幻戯山房〜すぎなみ詩歌館〜」がある。角川書店(現・角川グループホールディングス)創設者で、俳人・国文学者の角川源義(げんよし、1917-1975)邸を復元した建物。2005年に遺族から区へ寄贈され、開放されている。 角川源義は富山県に生まれた。1945年に角川書店を設立。1949年に角川文庫創刊、1952年に『昭和文学全集』を刊行。「出版界の風雲児」と呼ばれた。 現在、角川文庫巻末に、角川源義の「角川文庫発刊に際して」が掲載されている。冒頭から2行を引用する。 「第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たち若い文化力の敗北であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した」 角川源義は、1955年、天沼から荻窪に転居した。当時、角川邸周辺は、一面の田んぼだった。(竹内みちまろ)
-
レジャー
アイルランドT キンシャサノキセキ断然
2006年10月06日 15時00分
-
芸能
よしお兄さん、だいすけお兄さんの結婚を祝福「直接聞きました」 パパとしての喜びを語る
1999年11月13日 11時50分
-
芸能
マギー司郎「童貞は舞台に立たせない」
1990年12月15日 12時55分
-
芸能
中居正広がクレカ被害、詐欺師に対し「可哀想」
1990年11月15日 11時21分
-
芸能
a
1980年09月26日 22時06分
-
芸能
a
1970年09月27日 12時20分
-
芸能
a
1970年09月26日 22時43分
-
芸能
a
1970年09月26日 22時28分
-
芸能
a
1970年09月26日 22時10分