この事件は、当然のことながら海軍首脳部に極めて大きな衝撃を与え、直ちに徹底的な原因調査が図られることとなった。また、太平洋戦争のさなかの事故であったため、厳重な情報管制が行われると共に生存者は隔離され、遺体や漂流物の捜索も極秘の内に進められた。調査開始当初こそ、開発されて間もなかった新型弾頭の三式弾を疑う声が強かったが、生存者を交えた燃焼試験でその仮説は完全に否定された。そして、これまでの爆沈事件と同様に、またしても最終的には何者かによる放火、あるいは破壊工作の可能性が濃厚であるとの判定が下されたのである。
さて、陸奥爆沈については、原因調査の最終段階で窃盗の嫌疑を掛けられていた某下士官が放火犯としても取りざたされ、彼の遺体捜索が行われたことは確かである。そして、潜水夫を使った捜索によっても遺体を発見することは出来ず、彼に対する疑いはますます強まることとなった。しかも、調査の結果、その某下士官は相当に金遣いが荒く、例え盗品を換金していたとしても、到底賄えないほどの金を遊興につぎ込んでいた。そればかりか、何者かから定期的に送金されていた可能性を示唆する報告まであり、謀略の可能性をも否定できないのだ。
ただ、それらの証拠は全て状況証拠に過ぎず、前述したように調査報告においても断定は避けているが、少なくとも三式弾の自然発火ではないことが明らかで、またその他火薬の「自然発火」でもなかったことだけは確実である。さらに、福井静夫氏をはじめとする軍艦研究家には、謀略説を支持する人がいたことを付け加えておこう。
ところが、陸奥の爆沈に関する情報管制があまりにも徹底的であったためか、戦後出版された戦艦の解説や戦記には原因を三式弾の自然発火としているものが多く、また最近になって新たな仮説までも提唱され、陸奥爆沈の謎はより深まっていった。
(続く)
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