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戦艦陸奥爆沈の謎(2)

 太平洋戦争中、瀬戸内海で爆沈した戦艦陸奥については、現在に至るまでその原因が完全に特定されていない。ただ、日本海軍においては戦艦や巡洋艦の爆沈事件がたびたび発生しており、それらの調査過程からひとつの仮説が提唱され、現在では半ば定説化している。そのため、まずは陸奥以前の戦艦爆沈事件を振り返ることで、陸奥爆沈の謎に迫る手がかりとしたい。

 日露講和成立直後、祝賀ムードの佐世保軍港で碇泊中の三笠から突如白煙が噴出し、小爆発の後に出火した。まもなく後部主砲弾火薬庫が爆発し、多くの犠牲者を出した上、吃水下の破口より多量の浸水を生じた三笠は、佐世保港内に着底してしまう。事故は「三笠爆沈」として新聞各紙などを通じて報道され、日露戦勝の凱旋観艦式に旗艦が出席できなくなったことと併せて、日本海軍の汚点となる醜聞へと発展してしまった。

 当然ながら海軍当局は出火原因の特定を急ぎ、直ちに査問委員会を設けて究明が進められたが、出火原因については「不明」と結論付けている。ところが、修理再生された三笠が艦隊へ復帰した直後、今度は巡洋艦松島が爆沈してしまう。巡洋艦松島の爆沈については、乗組員の大半が死亡していたこともあり、佐世保の三笠爆沈と同様に原因不明とされたものの、人為的な放火の疑いが極めて濃厚とされた。

 そして、三笠は再び弾薬庫の火災にみまわれる。今回は誘爆を免れたものの、不審な死体が発見されたことで、人為的な放火だったことが判明した。さらに、調査の過程で佐世保における爆沈についても放火を具体的に裏付ける証言が得られたことから、海軍は以下の様な佐世保における爆沈事件の真相を把握するに至ったのである。

 佐世保での爆沈事故が起きた夜は、夕方までに東郷指令をはじめとする司令部要員は戦勝報告のため上京し、さらには艦長も不在であったことから、艦内規律はかなり弛緩していた。当時、くすねた発光信号用のアルコールを水で薄め、着火して臭気を飛ばしてから飲むという行為(ピカと称していた)が流行していた。当夜も弾薬庫の片隅でアルコールに火をつけていたところ、こぼれたアルコールに引火して燃え広がり、ついには弾薬へ引火して爆発に至ったのだという。

 艦内規律の弛緩が戦艦の爆沈に至ったことは、海軍首脳部に極めて大きな衝撃をもたらした。そのため、海軍は非人間的なほどの綱紀粛正に努め、再発防止を図った。ところが、人間心理への理解を欠いた規律は暴力的なシゴキと変わらず、問題が解決されるどころか、その後も悲劇は繰り返されるのであった。

(続く)

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