それは、ネット社会に特有の現象ではなく、大衆メディアが成立した19世紀末以降、何度も繰り返し発生している。その中でも、特に有名なもののひとつが、今回紹介する「コティングリー妖精写真事件」である。
妖精に興味が無い人でも、蝶のような羽を持つ小さな人影がが少女の周りを舞い踊っている古いモノクロ写真を観たことがあるかもしれない。その写真こそ、イギリスのコティングリーで1917年に2人の少女(当時9歳のフランシス・グリフィスと、いとこで15歳のエルシー・ライト)が撮影したとされる妖精の姿である。そして、シャーロック・ホームズの作者として有名なコナン・ドイルが写真を本物と認めたことから、当時のイギリスで激しい論議が巻き起こったのだ。
時系列に従って要点を説明すると、まず1917年7月にエルシーが父親の手札判ボックスカメラ(W.Butcher&Sons社製“The Midg”)を使って最初の写真を撮り、同じカメラで9月にも2枚目の妖精写真を撮影している。現像はカメラの所有者である父親が行い、当初は単なる子供のイタズラと思われていたようだ。
ところが、エルシーの母親は神秘思想やオカルトを通じて世界の真理を探求する神智学に興味を持っており、撮影からしばらく経った1920年には神智学協会のロンドン支部長であるエドワード・ガードナーへ写真を見せたことから、話が大きくなってしまう。ガードナーは現役の写真家にネガとプリントの鑑定を依頼し、ネガもプリントも修正を施されておらず、写真は野外で撮影され、多重露光でもないとの回答を得たことから、本当に妖精が写っていると確信するに至ったのである。
そして、ガードナーはエルシーに手札版の新しいカメラ(W.Butcher&Sons社製“Pocket Cameo”前期型)をプレゼントし、彼女も受け取った1920年8月に3枚の妖精写真を撮影する。前後するが、同年6月にはコナン・ドイルも3年前の写真を実際に観ており、やはり妖精の実在を確信するとともに、かつてホームズ譚を連載していたストランド・マガジンにおいて写真を紹介し、イギリス全土から大きな反響が寄せられていた。
こうして、妖精写真はいくつかの偶然が重なって社会現象となり、事態は当人たちの手を完全に離れてしまったのである。