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戦艦陸奥爆沈の謎(1)

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画像はイメージです。

 ミッドウェー海戦で主力空母を喪失し、ガダルカナル島からも撤退を余儀なくされ、日本の敗勢が明確となりつつあった1943年(昭和18)6月8日、日本海軍にとって最も安全な海域であるはずの瀬戸内海、柱島泊地に投錨していた戦艦陸奥が一瞬にして爆沈した。当時、陸奥は開発されたばかりの新型対空砲弾「三式弾」を搭載していたが、新兵器であるがゆえに安定性や信頼性の検証、運用経験の蓄積が不十分であり、爆沈原因のひとつとして自然発火説が浮上した。もちろん、弾薬庫内における火薬の自然発火は、艦にとって極めて致命的な事故であり、最悪の場合は爆沈に至ることすらある。

 ただし、実際に艦内保管の火薬が「本当に自然発火した」事例は意外と少なく、重大事故に至った事例の多くは乗組員による放火や、あるいは何者かによる破壊工作が原因だった。つまり、艦内軍規の乱れにせよ、防諜保安体制の不備にせよ、最終的には軍事組織の欠陥が事故をもたらしたといえ、その意味では軍艦特有の事象といえるかもしれない。

 特に日本海軍では、建軍から解体に至る期間に戦艦および巡洋戦艦の爆沈事故の全てについて、乗組員による放火の可能性が極めて濃厚とする研究者もおり、通算保有隻数に対する爆沈喪失数の多さとあいまって、いささか異常な有様を呈しているといわざるを得ない。日露戦争の直前から敗戦に至るまでの約40年間に日本海軍が保有した戦艦は28隻だが(戦利艦をのぞく)、陸奥を始めとする4隻が爆沈しており(1隻は修理再生された)、比率にすると約14%にも達するのである。

 規律厳正とされた日本海軍であったが、防諜および対破壊工作対策に何らかの手抜かりがあったのか、あるいは組織に乗員を破滅的行為に追いやる欠陥があったのか、主力艦の爆沈事件を手がかりに、陸奥爆沈の謎へ迫る。

 まず、日露戦争の勝利に沸く祝賀ムードを文字通り吹き飛ばした戦艦三笠の爆沈事件から始めて、やはり謎の多い筑波と河内の爆沈、そして陸奥の爆沈へと至る日本海軍の事故史を踏まえつつ、爆沈の謎へと迫ってゆきたい。

(続く)

*写真イメージ

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