巨人OBたちがよく口にする監督ONの違いだ。中日監督時代の星野仙一氏も同じようなことを言ったことがある。「なんで長嶋さんは巨人を辞めた人間の面倒を見てやらないんだろうね。オレはユニホームを脱いだ人間の就職先を探してやったり、いろいろしているよ」と。
長嶋監督1年目の75年、ワーストの最下位に終わった後のオフにフロント首脳主導の長嶋内閣大改造が行われた。「自分が選んだコーチ陣なのだから、体を張って守らないといけない。長嶋さんが『コーチを代えるのならば、辞表を出す』と言えば、フロントもコーチ陣に手を付けられないから、そうすべきだ」
側近たちは長嶋監督に強く訴えた。が、長嶋監督は動かずに関根潤三ヘッドコーチが二軍監督に転出されたのをはじめ、アンチ長嶋・川上哲治前監督の人脈の国松彰一軍打撃コーチ就任、外部から杉下茂投手コーチ招へいなどフロント主導人事で内閣改造。発足時の長嶋内閣は空中分解している。「なぜ監督はコーチを守らないのか」という側近たちの怒りの抗議の声に、「勝負の世界は負けたらどうしようもない。勝たなければ、どうにもならないんだよ」と悔しげに語っただけだった。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」。長嶋さんがよく口にした言葉だが、負けた時には言い訳せずに潔くする。そういう勝負哲学と同時に、公私のけじめを重んじて、何よりも派閥作りを嫌ったこともある。
V9監督の川上氏はファミリーを形成、川上派という一大派閥を率いていた。陰で「ドン川上」と呼ばれたのも、そのためだし、身内の人間の世話は徹底的に見た。が、長嶋さんは「プロの選手が群れるのはおかしい。プロは一匹おおかみでいいじゃないか」と川上流に批判的だった。
「牧野と森は残した方がいい」。川上監督が長嶋新監督にバトンを渡す時に川上政権の参謀役だった牧野茂コーチと、現役を引退した森昌彦(現祇晶氏)の2人を残留させるように進言したが、長嶋さんは一蹴している。川上遺産を受け継ぐのではなく、派閥抜きの実力主義という全く新しい長嶋カラーを打ち出そうとしていたからだ。
「なんで長嶋さんはオレに必要以上に辛(つら)く当たるんだろう。オレだってV9の時のように、力があればいくらでも働ける。でも、力がなくなった晩年の今、どうしようもないだろう」
こう弱音を吐いたのは、V9エースの堀内恒夫氏だった。「なんで長嶋さんは」という問いに、新監督の長嶋さんには単純明快な答えがあった。「自分が仲人をした堀内を特別扱いしているとほかの選手に思われれば、実力主義を打ち出しているチームの和が乱れる。だから公私のケジメをつけたい」。公平無私を強調しようとするあまりについつい堀内氏に対する態度が厳しくなるのだ。
心の内では「ホリも将来、巨人の監督をやるにはコーチを経験しないといけない」などと、将来まで考えてやっているのだが、口にしないから誤解が生じる。
長嶋第2次政権下では長嶋監督=堀内ヘッドコーチという体制が出来上がったが、結果は悲劇的だった。V逸の責任を堀内ヘッドコーチが取って退団。以来、2人の間には亀裂が入ったままになっている。長嶋監督が勇退した時に後継に指名したのは、原辰徳ヘッドコーチだった。