そんな西郷には、とんでもない説が存在している。それは「西郷隆盛は西南戦争で死んでいなかった」という説だ。もちろん、史実では西郷隆盛は西南戦争で敗北し自決したとされるが、その死が確認されたわけではない。フィラリアに感染し巨大化した陰嚢を持つ、首のない遺体が確認され、それを官軍が西郷の遺体として認定しただけである。
当時、鹿児島ではフィラリアが流行していた。成人男子の10人に1人が感染していたほどで、フィラリアに感染した遺体が西郷であるという明確な証拠はないと噂された。まして直接顔を知る者は限られているのだから、別人になりすまして逃亡したとも、生存しているとも噂された。
そもそも、西郷は西南戦争で勝つ気がなかったという説もある。薩軍が熊本に進撃しているときに1万人規模の農民一揆が起き、その一揆と連動すれば南九州を制圧することは可能であった。だが西郷はその策をとらず、自滅の道を歩んでいく。不平士族を鎮めるために明治政府と連動し、あえて西南戦争を敗北に持ち込んだと指摘する研究家もいるくらいだ。
その後、明治から大正にかけて「西郷隆盛生存説」は庶民に流布された。ロシアで生存しており目撃者がいるとか、ロシアの戦艦に乗って帰国するとか。また、今年見ることができたスーパーマーズを「西郷星」と呼び、火星を望遠鏡で見ると軍服姿の西郷が見えると評判になった。
多くの人に慕われていた幕末・明治の偉人であったがために、このようなファンタジックな伝説が生まれたのであろう。
(山口敏太郎)