バラエティ全盛期の80年代には、現在より何倍も危険なゲームに挑戦、命を落としかねないギリギリのところで闘っていた軍団の面々。しかし、当のたけしには、彼らを売るつもりなんて、サラサラなかった。放送コードに乗ることができない芸名を付けていたからだ。
たとえば、ダンカン。元は、立川談志(故人)の弟子という異色の経歴。軍団入りした最初の芸名は、「ふんころがし」だった。同じく故人の横山やすしから、最初の挨拶で殴られたという、伝説の芸名だ。
あの明石家さんまの親友である、松尾伴内。関西のローカル番組では、男女兼用の服を着続け、後輩からもツッコまれる唯一無二の存在。デビュー後の芸名は、「いびつこめびつ」だ。頭の形がいびつだということが、ふざけた由来だ。「こめびつ」は、たんなる語呂合わせだ。
現在はレポーター業がおもな、ラッシャー板前。最初の芸名は、「力道川」だった。ご存知、昭和を代表するプロレスラー・力道山(故人)をパクったもので、ぽっちゃり体型と細い目が似ていたことから、つけられた。
浅草キッド・玉袋筋太郎も、当然最初は悪ノリだった。ところが、何度も訪れた改名のチャンスを逃しつづけて、早28年。いまでは「玉ちゃん」の愛称さえ、浸透している。NHKに出演時は、「知恵袋賢太郎」に変えさせられた実話は、あまりにも有名だ。
当初の候補は、玉袋以外に2つあった。「蟻の門渡哲也」と「シロマティ」だ。俳優の渡哲也と、元プロ野球選手のウォーレン・クロマティをパロディにしたものだ。
問題なのは、そんな玉袋の相方が、「2代目亀頭白乃介」だった点だ。さすがに、玉袋&亀頭のコンビは、許されなかった。そっこう却下され、亀頭は水道橋博士となってスタートした。
今回紹介した彼らは、幸いにも売れた。しかし、今なお地下に潜ったままの団員は多い。次週はそんな彼らを、成仏すべく紹介しよう。(伊藤由華)