「もともと政治の世界を辞めた時に自動的に社長復帰というのが自然の流れだったんですが、選挙の大敗北の後処理にものすごく時間がかかってしまった」
サスケが前社長の人生にバトンを渡したのは、岩手県議会議員当選後の03年6月のことであった。執務は多忙を極め、社長業との両立は難しく、行き詰まっていたみちプロを立て直すための社長交代であったことを明かす。
「私が政治家に転身した前後、会社は人間で言うところの動脈硬化に陥っていた。組織形態は、血管が詰まってどうにもならない状況だったので、新崎人生にお願いして思い切った改革をしてもらった」
人生は03年秋から「知名度のあるザ・グレート・サスケに依存していては、みちプロの未来はない」と選手の若返りに着手。フジタ“Jr”ハヤトをはじめとする現在のみちプロの中心選手は、キャリアに関係なくメーンイベントに登用され、試行錯誤しながら成長してきた。さらに人生は興行形態を抜本的に見直した。サスケはこう証言する。
「私の路線は、下手な鉄砲も数打てば当たるというか、数で稼ごうとしたが、人生前社長は無駄な興行は削っていった。地方の細かいところまで回れない寂しさはあるけども、会社としては仕方のない選択で、赤字からの脱却に成功した。私はこれを『聖域なき構造改革』と称しています」
では、社長に再就任したサスケは、みちプロの今後についてどのような展望を持っているのだろうか? 本紙に次のような所信表明をしてくれた。
「前社長は組織、経営の両方を立て直してくれた。それを踏まえて、サスケ色をあえて出すとすれば、ダイナミックな部分を打ち出して、1年に1回、大きな会場で大勝負をしたい。そのためには世間に届く、プロレスの枠を超えた話題を考えないといけない。10年以上言い続けている、マスカラ・コントラ・マスカラ(覆面はぎマッチ)もその手段の一つ」
3年前に宿敵ドスカラスと覆面はぎマッチの気運が高まったが、サスケは「ドスカラスは最終目標。彼に限らず、マスクを懸けることがあるかもしれない」という。ただし、覆面を懸ける以上、対戦相手はビッグネームにこだわるつもりだ。
「マスカラ戦をやるならば国内外の大物級とやりたい。当然、数は限られてくるでしょうね。交渉はしていませんが、水面下ではあれこれ考えています」というサスケ。岩手県議会議員時代は、議会での覆面着用が問題となり「これはマスクではなく地肌」と言い張ったこともあった。マスクを懸けるとなれば、やや整合性を欠くが「時代時代によっていろんな解釈がある」と笑い飛ばして強引に話をまとめるあたりは、いかにもサスケらしい。
ちなみに、サスケはみちプロ旗揚げ時(93年3月)から言い続けていることがある。みちプロ50年計画だ。もちろん計画は現在も進行中で、サスケが思い描く旗揚げ50年後の青写真は「東北地区の40カ所にみちのくアリーナを建設して定期戦を行っている」というもの。そして今回、50年計画終了後の新プランについて言及した。
「50年計画終了後は地球からの脱出。すなわち宇宙での開催」
自称UFO研究家の一面が垣間見られる発言だが、本人はいたって真剣だ。生涯現役を宣言するサスケは、2043年以降の開催が見込まれる宇宙大会では必ずリングに立つつもりで、「たとえマスカラ戦に負けても闘い続ける」と意気込む。