search
とじる
トップ > アイドル > TOKIOもV6も本当はSMAPだった!

TOKIOもV6も本当はSMAPだった!

 SMAPが結成27年、TOKIOが21年、V6が20周年のメモリアル。ジャニーズの中核集団が、どんどん“20”という節目を過ぎている。それでも3グループは、今なお脂が乗りきっているが、歌手デビューする前には、意外な“トレード”が行われていたことは案外知られていない。

 たとえば、SMAP。前身グループは「スケートボーイズ」で、光GENJIのバックダンスが主な仕事だった。このとき、ジャニー喜多川社長から直接、「YOU、スケボーできる?」と電話がかかってきたのは、V6・長野博だ。興味がなかったため、「できない」と、そっけなく答えた。しかし、その数分後、再び連絡があったが、「だから、できないって」と語気を荒く断った。

 この数か月後に、スケートボーイズが正式に結成。もしもあのとき、長野がスケボーを練習していたら、その後の運命が変わっていたかもしれない。

 ちなみに、そのスケートボーイズには、のちにジャニーズ事務所を退所させられた俳優の反町隆史、TOKIO・国分太一も在籍していた。

 そしてこの国分は、SMAP初期メンバーのひとりだった。なんと、SMAP結成後初のレギュラー番組となった『いつみ・加トちゃんのWAーッと集まれ!!』(88年/フジテレビ系)には、SMAPの一員として出演しているのだ。ところがこの出演方法は、稲垣吾郎が修学旅行に行ったときのピンチヒッター。正式に認められてはいなかった。

 しかしこのころ、国分がSMAP正規メンバーの候補に挙がっていたことは確かだった。同じく、V6・坂本昌行も、名が挙がっていたという。

 すでに40歳を超えている国分、坂本。メンバー5人中4人が40の大台に乗っているSMAPにいても、決して不思議ではない。ジャニーさんの審美眼にかかった運命とは、ほんとうに予測不可能なのだ。

 次週は、TOKIOとV6の意外な縁を明かそう。

*【訂正】誤字訂正しました、大変失礼しましたお詫びいたします。

関連記事


アイドル→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

アイドル→

もっと見る→

注目タグ