1980年代の終わり、長野から出てきたばかりのRくんは横浜で一人暮らしをしていた。
「よし、いつか有名になってやるぞ」
Rくんは、初めての一人暮らしに夢を持っていた。昼間は学校に通い、夜はバイトに明け暮れた。
「あの頃は、貧乏暇なしで寝る時間もなかったですよ」
当時、彼の住むアパートは、「オンボロアパート」という言葉がぴったりの建物だった。築30年近く経った、6畳一間のアパートに彼は住んでいた。アパートはコンビニからも遠く、駅から自転車で10分もかかる立地の悪さゆえ、家賃はずいぶんと安かったという。
「いや、でもあのアパートは何だか好きだったんです。妙に温かくてね」
彼はそのアパートに何か温かみを感じていた。そして、それ以上にうれしかったのは、隣の部屋に住む女子大生が美人でとても親切だったのである。
「こんにちは、なんだか雨が降りそうですね」
「こっ、こんにちは」
顔を合わせると必ずあいさつしてくれるし、付近のコインランドリーや、おいしい定食屋もいろいろ教えてくれたのだ。
(こんな娘が彼女だったらいいな)
Rくんは、いつしかその女子大生に恋をするようになっていた。そして、彼女のことを考えると胸が締め付けられて苦しくなるのである。
(いつか、彼女に告白するぞ)
そう心に誓うRくんであったが、その女子大生にも嫌なところがひとつだけあったという。
それは彼女がよく、幽霊の話をすることだった。
「このアパートには霊がいる」
「霊のたたりで、1階で死んだ人がいる」
「昨日金縛りに遭った」
廊下や階段での立ち話でも、必ずこういう話をするのだ。
(何で、この娘はこんな話ばっかりするのかな)
元来臆病な彼は、そういう話を聞くのもだめ。彼女の幽霊話にだけは閉口していた。
ある夜のこと。彼が寝ていると、何者かが布団の上に覆いかぶさった。
そして体重をかけ、首を締め付けてくる。
(彼女が言っていた「霊現象」って、このことか)
恐怖の中で、Rくんは、何者かの手を引き離し、体をはねのけ、電気をつけた。
すると、部屋の中は誰もいない。
乱れた布団のみがある。
(これはいったい何だ。俺の幻覚なのか。彼女が霊の話をするから、ついに本物の霊が出たのか)
不審に思った彼は大家さんのところに行き、この体験を話したところ、大家さんはこう言った。
「アパートには今、あなたしか住んでませんよ」
それ以来、彼は女子大生の姿を見ないそうだ。
(監修:山口敏太郎事務所)