人形町大観音の門前にある竹囲いの江戸情緒あふれる路地裏。石を積み上げた土台に大きな木樽が目立つ。夜にはランプの明かりでぼんやりと照らし出される。仕事帰りの一杯に連れ立つ中高年サラリーマンが「おっ、このあたり雰囲気あるねえ」とうなる。そばには「火之要鎮(火の用心)」と書いた灯篭があった。
人形町大観音の境内には防火水槽がきちんと設置されている。この井戸は、災害時の生活用水として町の防災組織の協力を得て約10年前につくったもの。立て看板で「生きるものすべての大切な水です。安全な住みよい街づくりにみんなの力を合わせましょう」と呼びかけている。なぜ、そこまで火事に神経をとがらせているのか?
町内案内板によると、江戸時代、人形町交差点北側一帯は江戸唯一の歓楽街だった。ソープランドの集まる現在の吉原は、ここ人形町通り東側にあった遊郭・元吉原を移したもの。中村座と市村座の江戸2座では歌舞伎が上演され、見世物小屋など人形芝居の小屋が5、6軒。多くの人形師が住んでいたことから俗に人形町と呼ばれた。
1657(明暦3)年1月、明暦の大火が江戸全体を襲った。人形町にあった元吉原一帯も焼失し、幕府はこれを機会に遊郭を吉原に移転。芝居小屋もほかに移された。“振り袖火事”とも呼ばれた出火原因については諸説あるが、小泉八雲の怪奇伝説が有名。火事で遊郭などを奪われた人形町は“火の用心”の心がけが違う。