そんな注目の加藤だが、84年に『偽名』でレコードデビューすることになった。84年といえば、岡田有希子・菊池桃子・荻野目洋子などが同期であり、その間に割って入ってくることになり、スタイル抜群のグラビアからスタートした子がどのような展開になるのか楽しみだった。84年はレコードレビューの年ということもあり、新人賞獲りレースにも参加したのだが、上位に食い込むこともなく敗退してしまった。しかし人気がなかった訳ではなく、イベントやレコードのキャンペーンなどでは多くのファンを動員して、グラビアもできるアイドル歌手として注目されつつあった。
そんな加藤が気になりだしていた私は、84年10月にセカンドシングル『勝手にさせて』の発売イベントに行くことにした。10月の終わりごろで、少し肌寒い日だったが、後楽園けやきステージで行われるので、いつものように自転車を走らせて向かった。イベント開始の30分前くらいに現地に着くと、ほどよく席は埋まっていたが、前方にポツンとひとつだけ空いている席があったので、そこで観ることにした。写真を撮るのにも絶好のポジションだったので、我ながら席運には恵まれていると思っていた。
イベントは、まず新曲の『勝手にさせて』からスタートした。さらにデビュー曲『偽名』などを歌い、全5曲を披露し、約40分のステージを楽しませてくれた。イベント終了後にはレコード購入者対象の握手会が始まるのだが、この日は金欠でレコードを買うお金を持っていなかったので、握手会の様子をひたすら目の前で見ているだけだったのだ。とりあえず握手会が終わるまで、ずっとその様子を見ていたのだが、人の握手を見ているだけでは、ただただ空しくなるだけだった。30分くらい握手会が続いて、ようやく終わりになった時、ステージから降りる加藤に向かって「頑張って」と声を掛けるのが精一杯だった。そんな私のどうでもいい一言に対しても笑顔で微笑んでくれた。それだけでも満足だった。
85年1月に3枚目のシングル『本牧レイニー・ブルース』の発売が決まったので、今度こそイベントに参加しようと意気込んでみたが、この曲のキャンペーンイベントには行けなかった。また次の機会にと思っていたが、このシングルを最後にレコードの発売はなくなってしまい、アイドル歌手しての活動は終わりに向かっていってしまった。86年には映画『まんだら屋の良太』の出演が決まった。どんな役どころなのか楽しみにしていたら、何と映画でヌードになっているではないか。これはかなり衝撃的で、少し前までアイドル歌手として歌っていた子が脱ぐなんて想像すらできなかった。
確かにアイドル歌手活動の前がボインでグラビア活動をしていたくらいなので、こんなオファーがあっても不思議では無かったが、個人的にショックは大きかった。その後すぐに、写真集『あれから』を発売して、ここでもヌードを披露していた。もうここでは驚きも無かった。
写真集発売後には、引退を宣言したわけではなかったが、芸能活動はしていた様子もなかったので、このまま芸能界からフェイドアウトしてしまった感じだ。約3年の芸能活動という短い期間だったが、私の中に強烈なインパクトを与えてくれたアイドルのひとりである。でも悔やまれるのが、1回しか会っていないことだ。しかもレコードを買うのをケチって握手すらしなかったことを今でも後悔している。今さら後悔してもどうにもならないが、こういう後悔を経験したからこそ次なるステップに進めているような気もする。これからも色々な後悔をすると思うけど、まだまだ私のアイドル道は続いていくことだろう。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。