中日対阪神第8回戦(ナゴヤドーム)。試合前の練習中、予告先発されていた中日・川上憲伸(38)が腰痛を訴え、急きょ、登板を回避した。セ・リーグのアグリーメントに従い、谷繁元信兼任監督(43)は審判員の立ち会いのもと、阪神・和田豊監督(51)に止むを得ない状況を説明。2年目の左腕・浜田達郎(19)の“代理先発”が了承された。
中日側の説明には、全く不正はない。だが、穿った見方をすれば、浜田は『緊急登板』とは思えないほど落ち着いており、完封勝利という“120点”の結果を出してみせた。
「浜田は4月29日に一軍初登板し、この緊急先発が3試合目でした。阪神打線は浜田に関する情報が皆無に等しく、打席でストレートのキレや変化球を確かめようとしました。その待機策が裏目に出たようです」
ネット裏に陣取っていたライバル球団のスコアラーも、そんな同情を寄せていた。
浜田に翻弄されるまで、阪神打線はリーグトップの打率を誇っていた。浜田の好投はもとより、プロ野球の対戦において、いかに対戦投手のデータが重要か…。それが再認識された試合でもあった。
『予告先発』のハプニングは、ほかにもある。
4月3日のDeNA対巨人戦でも、両ベンチの衝突が起きていた。
DeNAの先発はモスコーソ、巨人はセドンと前日に発表されていた。奇しくも、両予定先発投手ともに、同日に一軍登録する段取りになっていた。巨人は午後3時にセドンを一軍登録したものの、その5分後に『雨天中止』が決定。この時点でDeNAはまだモスコーソを一軍登録していなかったのだ。当然、巨人サイドは怒った。
「序盤戦、巨人の救援陣は不振で、セドンを登録しないで済むならば、リリーフタイプの投手を登録したかったんです」(関係者)
DeNAに試合出場登録の期限である3時をすぎていたため、セ・リーグはモスコーソを追加登録することを命じた。
DeNA側にも悪意はなかった。そう頻繁に起こるわけではないが、こうしたトラブルを見ると、なぜ、セ・リーグも『予告先発』にこだわるのか、考えてみなければならない。
日本の予告先発は、1985年、パ・リーグからがファンサービスの一環としてスタートさせた。ファンの関心を高めるため、毎日曜日に限り、先発投手を事前発表した。全試合の先発投手が発表されるようになったのは95年。セ・リーグがそれを真似たのは2012年からだった。
理由は『ファンサービス』である。
12年スタートということで忘れてはならないのが、05年から導入されたセパ交流戦だ。当時はセ・リーグ側の反対で、パ・リーグも交流戦期間中は予告先発をやらなかった。また、野村克也氏や落合博満氏がこのシステムに批判的だったのも有名な話だ。
野村氏は楽天イーグルズの指揮官時代、パ・リーグの監督会議で「ファンに先発を予想してもらうのも…」と予告先発の廃止を提案したが、賛同は得られなかった。また、ヤクルトスワローズの監督に就任した90年、新外国人左腕・バニスターの開幕投手をチラつかせたが、右の内藤尚行を送り、巨人打線を慌てさせている。
80年代のセ・リーグだが、相手チームの先発投手が読みきれず、登板予定のない投手をスタメン表に入れ、初回から代打を使うケースも見られた。右投手か、左投手かで迷うくらいだから、『情報』が勝敗を左右するのは昔も今も変わっていないようだ。(スポーツライター・飯山満)