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繰り返された悲劇 八甲田山田代平の怪

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 1902年(明治35年)1月、ある悲劇が起こった。帝国陸軍・歩兵第5連隊第2大隊210人が雪中行軍中に八甲田山で遭難したのだ。連隊の210名中193名が死亡するという大惨事であった。 この事件に纏わる怪異の噂は今も囁かれている。後藤伍長の銅像の付近では、今も第5連隊の兵士たちが行進しているという。テレビ朝日の番組により、行進する兵士たちの姿がTV画面に映し出され…。日本中で話題になった事もあった。八甲田山の兵士の幽霊の目撃情報は頻繁にあり、今もその幽霊伝説の存在がささやかれている。

 1997年7月12日午後9時20分頃、八甲田山山中において陸上自衛隊第9師団第5普通科連隊が訓練中に遭難するという事件が起こる。この訓練は5月12日から10週の予定で始まった。7月12日午後4時。最初の異変が起こった。隊員のT三曹が右腕に異変を感じた。I教官の判断で、T三曹は教官付き添いのもと本隊を離れ、休憩後合流する事になった。取りあえず、本隊とは田代平にある石碑の前で合流する事とし、休憩後、二人はやや遅れてスタートした。そして、ようやく待ち合わせ場所の石碑の前まで来た二人だったが、本隊の姿が見えない。また、訓練期間中は、無線も緊急時以外は使用を禁止されている。

 いったいどうしたものか。本隊となかなか合流できない二人に焦りが生じた。二人が、本隊を探し回っている時に、更なるアクシデントが起きた。T三曹がくぼ地に転落したのだ。I教官もすぐに救出に走るが、そこには悪魔が潜んでいた。くぼ地に溜まった有毒ガスの為、二人は、体の自由を奪われてしまった。この時間は午後8時頃である。本隊もようやく二人のうめき声に気付き、救助にあたるが、有毒ガスの為、14名の隊員がくぼ地でばたばたと倒れ込んでしまった。午後9時50分にようやく救急車が到着し、酸素ボンベに身を包んだ救急隊員が全員を助け出したのは午後10時31分であった。

 人々はこの事件の後、八甲田山の悲劇の再現だと噂した。何故なら、二つの隊はいずれも第5連隊であり、遭難したのも同じく八甲田山の田代平であった。歴史は繰り返す……のかもしれない。彼らは今も徘徊しているのであろうか。そう思うと、なんとも言えない悲しい気持ちになってくる。

(山口敏太郎)

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