「森脇氏をコーチ推薦したのは、王会長です。大道(典嘉=40)もホークスを解雇された06年オフに王監督が水面下で巨人に獲得をお願いし、尾花(夫)横浜監督が巨人コーチになるときも、強い推薦がされました」(球界関係者)
王会長がホークス監督だったころ、読売グループは何度も『巨人帰還』を訴えてきたのは有名な話。しかし、王会長は帰還を拒み、巨人OB会会長を引き受けたのが“ギリギリの妥協”だった。
「88年秋、まだ公式戦を残していたのに『解任』となり、そのときの屈辱感がいまだ尾を引いているようです。ホークスの教え子たちもコーチに転身したり、ベテランと呼ばれるようになりました。まさに『自分が育てたチーム』であり、愛着もあって離れられないのでしょう」(前出・同)
王会長は古巣を恨んではいない。読売関係者の1人がこう続ける。
「王会長はコーチのことを思って、ホークス退団後の再就職を斡旋しています。大道のときは『現役を続けたい』という意向を直接聞き、当時、たまたま右の代打を探していた巨人に話を付けました。尾花・横浜監督が巨人コーチになったときは『単身赴任の限界』でした。03年、スコアラーだった金森(栄治=現ロッテコーチ)に対しても、岡田彰布氏が阪神監督に昇格するにあたって、2人の友情を知った王監督(当時)が『(阪神に)行ってやれよ』と背中を押したんです。王氏はそういう人なんです」
去年の今頃、森脇氏は「組織の活性化」という“曖昧な理由”でホークスのコーチ職を外された。突然、かつ一方的な解雇通告にホークスナインも「何故!?」と驚いていたが、後日、王会長の配慮で「編成アドバイザー」の肩書で“チーム復帰”している。しかし、球団業務の重責を担うことはできず、「コーチ復帰」の思いは募るばかりだった。王会長はそれを見兼ねて、「森脇氏に相応しい職場(職種)を」と、巨人に訴えたのである。
「王会長のお願いとなれば、誰も断れないでしょう。もちろん、王会長も無理難題を押し付けることはしません。森脇氏は王会長がガン手術で入院した際、代行指揮官も務めた腹心です。王会長の『何とかしてあげたい』という気持ちも分かっているから、巨人も森脇氏を迎え入れたんでしょう」(前出・球界関係者)
これまで、王会長に救われた者たちは「恥をかかせてはいけない」と、必至に働いてきた。彼らの健闘が古巣・巨人を救ってきたのも事実であり、王会長自身が「帰りたい」と思えば、その環境は十分に整ったとも解釈できる。しかし、王会長自身はOB会以外の巨人関連行事には、絶対に顔を出さなかった。この古巣との“微妙な距離感”が崩れたとき、王会長への帰還要請が再燃するだろう。
「コミッショナー事務局のなかには、『近い将来、王会長にコミッショナーを!』の願望もあります。ソフトバンクは王会長に球団そのものを託したいとしていますが」(メディア陣の1人)
孫正義氏は「王コミッショナー」よりも、「ホークス(ソフトバンク)の王会長」であってほしいと思っている。これも、王監督の人徳もあるだろう。王監督の下で戦ったホークススタッフが他球団でも評価されれば、それはある意味で、「ソフトバンクが新・球界の盟主になった」とも解せるのだが…。いずれにせよ、今回の森脇氏の一件で、王会長の巨人における影響力と、その大きさが再認識されたようである。