劇中で江が述べたように江にとって秀吉は憎んでも憎み切れない相手である。父親・浅井長政、母・市、義父・柴田勝家、義兄・豊臣秀次を死に追いやり、最初の夫・佐治一成とは離縁させられ、二番目の夫の羽柴秀勝は秀吉の起こした朝鮮出兵で陣没した。秀勝の忘れ形見の定とは引き離された上に、今回は江と徳川秀忠(向井理)の長女・千姫まで豊臣家に奪われることが決められてしまう。
これらの行為は江を不幸にすることが目的ではなく、秀吉の政治目的を達成するためのものであった。しかし、秀吉が江の幸せを優先していなかったことは事実である。その秀吉が最後には江に「幸せになれ」と言い放つ。ここには江を不幸にしてきた自らの行為への反省も込められていただろうが、江を幸せにするための努力や配慮をしていない人間に発言する資格のある言葉ではない。
前回の火事で秀忠は秀勝の形見を身の危険を顧みずに取りに行った。それは江の気持ちを考えたからであった。それに対して、秀吉の言葉は最後に善人を気取って帳尻を合わせたいという独り善がりな優しさに過ぎない。
仇敵であった人物と接するうちに相手の偉大さを認識し、最後は心を通わせるというパターンはドラマの王道である。さすがの『江』も王道パターンの大枠は外さなかった。それでも岸谷五朗が演じる秀吉はバカ殿であり、狂った老人であり、最後まで身勝手を貫いた。秀吉の偉大さを認識することも、本当の意味で江と心を通わせることもなかったが、そこに定番を少しずらした新鮮さがある。
定番ずらしの新鮮さは千姫を秀頼の許嫁にする設定にもある。これは史実通りの展開であるが、『江』では豊臣家と徳川家の架け橋にするというような綺麗事と位置付けていない。秀頼の行く末を案じる秀吉が秀頼の立場を盤石にするために決めた政略であり、江にとっては幼い愛娘を豊臣家に奪われるという認識しかない。
江を主人公とする作品の難しさは、江が嫁いだ徳川家と姉のいる豊臣家との対立の描き方である。それまでの姉妹仲の良さと矛盾しない描き方が求められる。これに対して、『江』では千姫の縁組は秀吉が勝手に決めたことになっており、江には千姫を通じて豊臣と徳川の和を実現するという気負いを抱く必要がない。大阪の陣への江の視点にも新たな描き方が期待できる内容であった。
(林田力)